えゐじん(Noda)

AZB H1-2 岡山生まれ、沖縄育ちの東京人 無言でのフォロー失礼します 投稿は個…

えゐじん(Noda)

AZB H1-2 岡山生まれ、沖縄育ちの東京人 無言でのフォロー失礼します 投稿は個人の意見であり、所属する組織の見解と必ずしも関係がある訳ではありません

最近の記事

沖縄人厳選、沖縄おススメスポット。

沖縄本島に旅行に行く後輩から沖縄のおススメスポットを聞かれ、折角なので記事にしてみることにした。 以下に沖縄在住歴11年のウチナ―ンチュが自信を持って紹介できる沖縄おススメスポットを列挙していく。 飲食店沖縄の飲食店の中で、ここだけは絶対に訪れて欲しい3つの店を厳選した。 宮里そば ☆☆☆ 知る人ぞ知る沖縄そばの名店。 どこか懐かしみを覚える店構え、落ち着く地元のおばちゃん、出汁の効いた沖縄そばすべてが完璧。 おススメのメニューは三枚肉そばとトースト。 前述の通り

    • 小言

      我々の代が最高代となって開催する文化祭がそろそろ幕開ける。 その前に、関係者複数名を集めて理想の文化祭について語り合うのだが、人々の発言を聞いてちょっとした小言を言いたくなった。 と言いつつも立場的に声を大にして言う訳にも行かないので、この場を借りて少し書き記すことにする。 理想の文化祭とは何か。この問いにこんな答えが出て来た。 「外部の方が楽しめる文化祭にするのか、それとも内部の人が楽しめる文化祭にするのか」 「内部生は主に文化祭実行委員会所属生徒とそうでない生徒

      • 別に理解されなくていい。

        「彼女欲しい」 この感情が全く理解できない。 なぜ彼女が欲しいのか問うと、色々な答えが返ってくる。 「単純に性欲」 「誰かに優しくされたい」 「甘えられたい」 そのほか諸々、 ただ、殆どの回答を聞いていてそれが彼女である必要性が理解できない。 別に、それが彼女でなくとも親友でもいいし、彼氏でも良い気がする。 これを話すとゲイと間違えられるが別に僕はゲイでもない。 ってかゲイだと決めつけられるのが怖くてあんまり話してない。 だって、別にその求めているものが

        • 1言だけ。

          僕が何らかの組織や個人を批評するのはその組織や個人に自分の時間を割くに値する価値があると判断したから。 つまり、僕が何らかの組織や個人を批評している時は何らかの期待をしているということ。 僕が批評しなくなった瞬間が訪れた時、 僕は本当にその組織や個人に対して自分の時間を割く何ら価値を感じなくなったという事。 何も言われなくなってラッキーと思っているならそれでいいんじゃないですか。 ウィンウィンで。 何とも誰とも言わないけど、そういうことです。 以上。

        沖縄人厳選、沖縄おススメスポット。

          帰省

          学校の入試休み中、僕は沖縄に帰省した。 3年ぶりに多くの友人と顔を合わせた。 僕は中学に進級すると同時にあらゆる人間関係を沖縄に置いて東京に来た。 正直、この3年間寂しく思うことが多々あった。 先輩や後輩、同輩が小学校の頃の友人や恋人と一緒に話したり遊んだりしたことを聞いたり見たりすると寂しく感じることがあった。 その事を沖縄の友人に話しても、 「東京は沖縄と違って何でもあって俺らの方が羨ましいよ」 と殆どの人に言われ続けた。 そんな中、1人だけ僕を叱ってきた奴

          3.11と向き合う

          映画って誰かと観に行きたいよなぁと思いながら誰かを誘う訳でもなく時が過ぎ、気付いたらいつか観たいと思っていた「すずめの戸締り」を観ること無く2月に入ってしまった。 ただ、先日たまたま心優しき友人に誘われ「すずめの戸締り」を観に行った。 今回はその「すずめの戸締り」の中での東日本大震災の扱われ方について僕の見解を記述していく。 「すずめの戸締り」は、東日本大震災が作品を構成する要素として扱われているとして多くの非難が寄せられた。 事実、東日本大震災では多くの方が亡くなり

          3.11と向き合う

          原動力

          所属している同好会の展示査定までの暇つぶしに二応を清掃していた。 そこに先輩がやって来た。その先輩に唐突に聞かれた。 「君が予算委員として活動し続けられる『原動力』って何?」 その問いは僕自身、事務局長になって数ヶ月経過した時から抱いていた。 ただ、中々答えは出てこなかった。 事実、予算委員は予算委員であるだけで嫌われることもある。 更に多くの時間を拘束されるにもかかわらず何の報酬も存在しない。 時には難しい判断を迫られ、親しい友人さえも失う。 こんな組織に普通なら居

          冬休み日記

          このnoteは英語科から冬休みにしたことに関して自由作文をしろと言う課題が出たので、noteで冬休みを振り返りがてらその内容をまんま翻訳して提出しようという試みの下で投稿されたものです。 普段と趣向が違うのはご容赦下さい。 ということで冬休みを日記形式で振り返っていきます。 採点補講期間から実質的に冬休みに入ったことになるので12/12から始めていきます。 12/12(六ツ石山山行) 山岳部入部後初の登山。 冬の登山は初めてなので着込んだのだが、着込み過ぎて暑かった。 登

          退部

          サッカー部に行かなくなってから3ヶ月が過ぎた。 心の中でもある程度感情の整理がついたので、退部に至った理由を客観的に分析しようと思う。 以前、以下の記事で多少触れたので良ければ是非。 僕がサッカー部を抜けた理由は主に2つに分類できると思っている。 1つ目は組織風土に馴染めなかったことだ。 サッカー部は兼部自体は禁止していないものの、兼部をしている人が居やすい組織ではなかった。 と言うのも、サッカー部は長期休みの予定が長期休みに入る1週間前に公表されたり、練習の連絡

          もやもや

          言葉にしずらい感情を言葉にしようとしている都合上、どうしても読みずらい文章になっていることを予めご了承下さい。 今日、討論部の活動で中1の後輩が別の中1の後輩に対して放った一言が心に引っかかって離れない。 この一言が心から離れない。 それどころか、何故か悲しさを覚えた。 当本人は特別、悪意を込めて話しているわけではない。 飽くまでも会話の流れの中で出た一言でしかなかった。 それでも心に引っかかるし、悲しくてたまらない。 この一言を放った後輩は入部当初から僕がサポ

          理想の自分

          山岳部合宿の疲れと深夜テンションで闇落ちしてしまい、見苦しい文章になっています。ご容赦下さい。 僕は中学受験期、自分に対して物凄い自信を持っていた。 その自分に対する自信が中学受験合格へと導いてくれたと言っても過言ではないような気がする。 今思えば、その自信は熾烈な中学受験を乗り越えるため、塾の先生方や家族など周りの人が着けてくれたものだと感じている。 しかし、その自信は中学校に入ってから一瞬にして崩れ去った。 きっかけは入部したサッカー部だ。 中学受験期にやって

          ディベート甲子園を問う

          いきなりです。 皆さんは、弁論と討論の違いは御存じですか? 早速、広辞苑で調べてみましょう。 どうやら両者に違いはないように見えますね。 しかし、実は1つだけ弁論と討論には大きな違いが存在します。 それは弁論と討論それぞれの目的です。 弁論の目的は議論を通して何らかの事象に対して結論を出すことです。 これは弁論という単語が、法廷や弁論大会など勝敗を決する空間において多く使用されているということから主張することが可能なのではないかと思います。 一方で討論の目的と

          ディベート甲子園を問う

          「けじめ」か「甘え」か

          冬の大会敗退時、僕は普段の練習から全力投球していくことを決心した。 逆に、その努力が出来ずチームの足を引っ張るようなら高校サッカー部進級辞退したほうがいいと考えていた。 しかし結局、僕は冬の大会敗退時に建てた 「夏の選手権までのレギュラー入り、出来なければ高校サッカー部進級辞退」 という目標に対して、練習で全く努力をしてきていなかったことに夏の選手権で気付かされた。 全力投球していれば確実にレギュラーは狙えただろう。 しかし、最後の大会、僕のポジションはベンチだった。

          「けじめ」か「甘え」か

          当たって砕けろ

          先日の試合、1-1 (PK3-4)で敗北。 都大会目前での夏の選手権敗退となった。 結局、目標としていた夏の選手権までのレギュラー入りも果たせず。 実質的な引退となる。 試合は延長戦後半2分から出場。 出場時間は僅か3分。 それでも一度シュートを打つシーンは作った。 しかし、そのシーンで味方とお見合いをしてしまい強く蹴ることが出来ず、相手GKに止められてしまった。 蹴る直前、味方に「スル―」と言うことが出来ていればお見合いもせずゴールネットを揺らすことが出来ただろう

          当たって砕けろ

          日本の公共交通が複雑な訳

          以前、公共交通の議論には経済的なマクロな視点のほかにも地域住民のミクロな視点が必要だと述べました。 しかし、日本における公共交通の事態が非常に複雑化している要因があります。 それは至極単純で、公共交通を運営しているのが「公」ではなく「私」だからです。 つまり「公」な公共交通を「私」である企業が運営していることにある訳です(市/町/村/都/道/府/県/区営を除く)。 特に公共交通は地域の外部とのかかわりを持つためには必要不可欠なインフラです。 にもかかわらずほかの企業

          日本の公共交通が複雑な訳

          公共交通ってなんなんだろう

          部誌に寄稿するため、「少子高齢化時代の鉄道の在り方」というテーマでいろいろ考えていました。 結局たどり着いたのは一つの問いでした。 そもそも皆さんは公共交通ってなんだと思いますか? 僕は、はじめ単純に公共交通は住人の足として機能する移動手段だと考えていました。 至極あたりまえな考え方だと思います つまり、住民が居て利用する必要があるからこその公共交通だという訳です。 しかし、一部の地域では公共交通を残すことが目的化している例があります。 これは、つまり使って残そう運動

          公共交通ってなんなんだろう