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退部

サッカー部に行かなくなってから3ヶ月が過ぎた。

心の中でもある程度感情の整理がついたので、退部に至った理由を客観的に分析しようと思う。

以前、以下の記事で多少触れたので良ければ是非。

僕がサッカー部を抜けた理由は主に2つに分類できると思っている。


1つ目は組織風土に馴染めなかったことだ。

サッカー部は兼部自体は禁止していないものの、兼部をしている人が居やすい組織ではなかった。

と言うのも、サッカー部は長期休みの予定が長期休みに入る1週間前に公表されたり、練習の連絡が前日に行われたりする。

その為、サッカー部以外の部活はもちろん、私生活の予定もサッカー部中心に決めていく必要があった。

予定で試合や練習に出れないだけで評価は下がる。

現に顧問に欠席の連絡を入れるたびに、「サッカーより○○を優先するのね」と言われた。

中にはサッカー部のそうした組織風土を理由に海外旅行や旧盆の帰省を中止や延期を余儀なくされている人も居た。

僕も兼部先の鉄道研究部の旅行を何度もキャンセルせざるを得なかった。

結果的に中学サッカー部ではレギュラーメンバーに兼部先で幽霊である場合を除いて兼部をしている人は居なかった。

僕の様に色々な部活を兼部し、旅行等の私生活も楽しみたい人間にとってそういった組織風土は馴染みにくい物であった。

別にそういった組織風土を否定するつもりはないし、サッカーと言う勝負の世界でやっていく部活である以上仕方ないことではあるは思う。

ただ事実として僕が馴染めなかっただけだ。


2つ目は実力不足だ。

以前公開した2つの記事に書いている通り、僕はサッカー部内で明らかに実力不足だった。

入部当初は顧問と相談しながら、時に顧問に話に行ってアピールしながら何とかレギュラーの座を掴んでいた。

ただ、次第に周りが上手くなっていく中で、自分の強みとなるプレー、長所が見つけられなくなっていった。

人よりも上手い所を見つけてそこを伸ばし、苦手な部分を補っていくことが出来なかった。

今思えば、他人よも劣っていても何かを極めて、自分より勝っている相手を越えたり、新たに自分の長所を生み出せばよかっただけかもしれない。

ただ、当時の僕は今まで自分の持っていた強みが通用しないという事実に打ちのめされていてそれどころではなかった。

結局、僕は自信を失ってしまい、プレーはどんどん下がっていき、中3になってからは毎回途中出場していた身すら怪しくなった。


今思えば引退試合において、交代枚数に制限がない中、普段なら1枚目か2枚目で僕を試合に出してくれる顧問が、
ベンチメンバーの中で最後に僕を試合に送り出したのは僕にサッカーとの向き合い方を考え直すように言われているような気がする。

続けるなら今のままでは行けないことを示された。


自分のやりたい事、やれることを文化祭直前期に貰った長期休み中に考え、僕は退部することを決断した。

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