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思い出のアメリカン・フード (4: りんご、アップルサイダー)

第4章 りんごの季節、アップルサイダーの季節

 りんごの季節が始まると、心が浮き立つ。ここ札幌では、本州産、多くは青森産の早生「つがる」がまずスーパーの棚に並ぶ。やや遅れて北海道産のりんごも市場に出てくる。道内産地直送の農産物が売られるイベントでは、「ハックナイン」「コックスオレンジピピン」といった珍しい品種も含め、余市などから持ち寄られた多種多様なりんごが大箱の中に魅惑的な顔をのぞかせる。季節が進み、いわば真打ともいえる「ふじ」がフルーツ売場に何段にも積み上げられるまで、移り変わっていく品種を順に楽しむ。アップルパイや焼きりんごなどの菓子に適した品種が出回る期間はあまり長くない。「あかね」や「紅玉」を見つけると、シーズンに一度は買ってお菓子を作る。パイ用のりんごでは、近年の娘とわたしのお気に入りは、輝くアップルグリーン色が美しい「グラニースミス」。オーストラリア発祥の品種ということで、しっかりした酸味を持ちつつも紅玉よりも軽やかな風味のパイに仕上がる。実店舗で見かけることはごく少ないので、野菜・果物の宅配業者のカタログで注文したりする。

 アップルパイをはじめ、りんごの加工品もさまざま売られている中で、日本では売っていないものがある。アメリカのりんごシーズンの到来を告げる「アップルサイダー」(apple cider)だ。
 サイダーといってもりんご味の炭酸水ではない。サイダーにはシードル(りんご酒)の意味があるが、北米でいうアップルサイダーはアルコール飲料ではない。アップルサイダーとは、りんごをすりおろして絞ったものである――って、それりんごジュースでしょう?と言いたくなるが、アップルサイダーとアップルジュースは明確に区別されている。生の果実を絞ったままなのがアップルサイダーなのに対し、果汁から固形物をきれいにこし取って、低温殺菌処理を施したのがアップルジュース。ジュースの方は濃縮還元もあるが、サイダーはストレートのみ。透明なジュースに対して、すりおろしを布で絞っただけのサイダーには果実分が残っていて、もやもやと容器の底に沈殿している。液体の色は茶色っぽく濁っており、見た目はミルクティーに近いかもしれない。
 そして大事なのは、アップルサイダーはその年に新しく収穫されたりんごが出回る時期、つまり秋にしか店頭に出ないということだ。りんご自体は一年中売られているのだから、それを絞ればよさそうなものだが、もぎたての新鮮な風味を楽しむための飲み物だからということか。「アップルサイダーは季節もの」と決まっているのだった。
 シカゴに留学していた当時、大学に近いショッピングセンターには、当時のアメリカではもう珍しくなっていた市民生協のスーパーマーケットがあった。(その後、残念ながら生協が解散し、普通のチェーンのスーパーに変わってしまった。)9月の中旬に大学の新年度が始まった後、風の中に秋の冷気が感じられるようになった頃に訪れると、アップルサイダーを詰めた1ガロンサイズ(1ガロン=約3.785リットル)の、持ち手のついたプラスチック容器がずらりと並べられていたものだった。ボトルを透かして中身が見えるのだが、茶色い液体の上のボトル内面にりんごのカスがはねているし、容器の外側にはラベルも何もなく、まるで素人が自家製ジュースをボトル詰めしたように見えた。大学の寮に暮らす学生一人では生ジュース1ガロンを鮮度が落ちないうちに消費するのは難しく、買うことはできなかったが、あのボトルの大きさといい、並べられた数といい、アメリカの農業が生み出す豊かさをじかに目にしているわくわく感があった。
 スーパーで買えなくとも、飲む機会はある。大学街の大衆食堂には、ドリンクメニューに hot apple ciderと載せているところがあった。アップルサイダーを熱々に温めて、シナモンを添えて出す。素朴といえばこれ以上素朴な飲み物もないけれど、歴代の学生たちの落書きで埋まった木のテーブルで、りんごの香りの湯気が立つマグカップから一口いただくと、ああ、秋だなあ、とこの上なく幸せな気分になる。アメリカで生まれ育ったのでなくとも、その素朴さの中に、ずっと昔から変わらず続いてきた季節のうつろいとそこに根差した人の営みとを実感できるからなのだろう。
店で飲むアップルサイダーももちろん、季節限定のメニューなので、秋に北米に旅する機会があったら探してみるといいかもしれない。

 サイズと量で圧倒してくるものがアメリカには多く、スーパーで売られている生鮮食品やパッケージされた食品もやはり大きいものが多い。けれども、りんごに関しては、日本のりんごに比べるとずいぶん小さい――というのは、すでにいろいろなところで言及されているので、ご存じの方も多いと思う。日本では1個のりんごを複数人で食べるために切り分けるが、アメリカでは一人が1個をまるかじりするために小さく作るのだという話もよく知られているのではないだろうか。日本のりんごがない季節に輸入されているニュージーランドのりんごはアメリカと同様に小さいし、イギリスもそうだというので、イギリス文化をベースとする国々ではりんごは一人用サイズが基本なのだろう。
 上の写真はアメリカのりんごではないが、近いサイズ感なので参考に撮影してみた。9月に行われた「さっぽろオータムフェスト」に出店していた、芦別の「大橋さくらんぼ園」のブースで購入した「さんさ」だ。ここはさくらんぼ狩りができる果樹園で、さまざまな品種のさくらんぼを育てて加工品を作っているほか、プルーンやりんごも生産している。「さんさ」は盛岡で作られた品種で、親は「あかね」と「ガラ」。「ガラ」(Gala apple)はニュージーランドで生まれた品種だそうだが、昨年(2018年)、それまで約50年にわたってトップに君臨してきた「レッド・デリシャス」を押しのけ、アメリカで最も多く生産されているりんごとなったという。この写真の「さんさ」は大きさも色も不揃いなところが、ますますアメリカで売られているりんごに似ている。(あちらでは野菜や果物は個数ではなく重量で売るので、不揃いでも支障が少ない。)
 品種について付け加えれば、アメリカのスーパーでは日本では見たことのない名前のものもある。中でも『風と共に去りぬ』のヒロインの名、「スカーレット・オハラ」や、「ローマ・ビューティー」といった名前を見た時は、どんな背景や由来でつけられたのだろうと想像をかき立てられた。「ふじ」も一般的だが、やはり一人用サイズに作られている。
 
 アップルサイダーと品種の話で予定の長さになってしまった。アメリカを代表する果物であり、イギリスに始まる英語の世界では文化的にも重要な果物でもあるので、わたしの限られた知識や体験の中でもまだまだ語り尽くせていない。残る話題は、また別の回に書きたい。

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