見出し画像

思い出のアメリカン・フード (5: りんごと学校、ハロウィーン)

第5章 りんごと学校、ハロウィーン

「りんご」という日本語から連想されるものは何だろう。赤という色や、大産地の青森県や長野県、お祭りのりんごあめだったりするかもしれない。ひと昔、ふた昔前ならば、みかんと並び、お歳暮で贈られる代表的な品の一つだったことを思い出す人もいるだろう。そこには日本の文化や社会、歴史の中でのりんごの位置が反映されている。

 では、英語の世界でapple が喚起するイメージは、どのようなものだろうか。まず挙げられる代表的なものは、「学校」だ。りんごは学校教育のシンボルとして、本の表紙デザインや挿絵、ポスター、ステッカーなど、さまざまな所で登場する。日本では新年度の教室を飾るのに桜の花をかたどった切り紙がよく使われているが、アメリカではこれがりんごに代わる。
 理由の一つは、聖書に登場する、アダムとイブが食べた(そして楽園を追放される原因になった)「知恵の実」がりんごだからだという。学校は知恵・知識を授けるところなので、うなずける話ではあるけれど、もっと新しい時代に生じた事情もある。19世紀のアメリカでは全国的に学校教育制度が整備された一方、開拓地など教員への給料支払いが難しい地域があり、そういうところではお金の代わりに農産物を支給した。りんごは北米の環境で生産しやすかったので、よく支給品に使われたのだそうだ。時代を下っても、学校の先生に生徒からりんごをプレゼントするという習慣が残った。
 前回に書いたように、アメリカのりんごは一人が丸ごと食べきれる大きさを基本としている。20世紀のアメリカの学校の子どもたちは(今もやっているのかもしれないが)、昼食用に持ってきたりんごを洗うのではなく、履いているジーンズでごしごしこすってからかじりついていた。先生にあげるりんごは何でこするのかは知らないが、きれいに磨いたりんごを先生に渡す子どものことをapple polisher といい、転じて先生にごまをする生徒を指す表現となった。実際にりんごを磨いているかどうかは別として、今は生徒たちの間で反感を呼ぶ子どもを揶揄する、ネガティブな意味の言葉となっている。

 9月に学校が始まると、さほど時を置かずにハロウィーンが近づいてくる。りんごはハロウィーンでも大事な役目を持っている。「トリック・オア・トリート」と言いながら仮装した子どもたちが家々をめぐり、お菓子をもらうという習慣は日本でもすっかり知れ渡った。かつてのアメリカでは、りんごも渡される「トリート」の一つだった。
 筆者自身が子どもとして参加した1970年代の終わり、仲良しの友人が、「りんごはもらっても食べてはだめよ。『レーザー・ブレード』が入っているかもしれないからね」と言った。「『レーザー・ブレード』って何?」まだあまり英語がわからなかったわたしが訊くと、友人は、「とがっていて、針のように鋭いものよ」と説明してくれた。後になって、lazor blade とはカミソリの刃のことだと知った。りんごの中にそういうものを差し込んでおく、悪意のある人がいるから注意しなければならないという話が、当時広く回っていたのだった。
 トリック・オア・トリートでもらうお菓子やりんごに何か危険なものが仕込んであるというのは、ほとんどの場合は都市伝説か、子どもがわざと騒ぎを起こすために嘘をついたケースだという。けれども、1960年代からそのような懸念が広がり、親たちは、りんごや手作りのお菓子は食べないよう子どもに指導するとか、市販のお菓子の場合は包装がいじられていないかチェックするとかいった防衛策をとるようになった。1960年代にというのは、おそらくそのあたりから、地域社会のあり方が大きく変わっていったのだろうと思う。

 りんごがハロウィーンに登場するもう一つの機会は、「アップルボビング」apple bobbing だ。ハロウィーンパーティーの定番の遊びとして知られる。大きな桶やたらいなどに水を張り、たくさんのりんごを入れる。ぷかぷか浮いている(これがbobbing)りんごを、手を使わずに口だけで拾い上げるというゲーム。精神としては、日本のパン食い競争のようなものでしょうか。このゲームの古い形では、実際にひもで吊り下げたりんごを口で取る競争をしたそうなので、まさに同じといえる。
 個人的には、アメリカの小学校でのハロウィーンパーティーの出し物では、アップルボビングよりも魔女の鍋に見立てたフルーツパンチの方が記憶に残っている。フルーツパンチといっても、日本で想像するような角切りフルーツの入ったものではなくて、そういう名前の市販のソフトドリンクを使う。鮮やかな赤紫色をした代物で、これを黒い鍋になみなみと入れ、ドライアイスを放り込むと……白い巨大な泡が鍋底からボコリ、ボコリと沸き上がり、白い湯気が漂って、まさに魔女が煮ている怪しいスープのよう!これをひしゃくですくって紙コップに注ぎ、魔女などの仮装をした子どもたちが飲んでいたのだから、ちょっとした絵面だっただろう。写真がないのを残念に思う。

 ここまで来たら、「アップルパイみたいにアメリカ的」as American as apple pie という表現がある通り、アップルパイにも触れないわけにいかない。実際にりんごが北米で広く栽培され、食べられているからという理由のほかに、American とapple pie との語呂の良さも、この慣用句が広く使われている理由にはあるだろう。
 現在のような形のパイの歴史はそれほど古くなく、フランスからバターが導入され、砂糖が安く出回るようになって初めて、食べて美味しいパイ皮に甘い具を詰めたパイが完成したという。調べた限りでは、普及したのは19世紀中のことのようだ。それ以前のりんごの加工食品は、ドライフルーツや各種のりんご酒が主だった。またパイ皮は、それ自体を食べて楽しむよりも、中の具を長く保存するための容器として、粉とスエット(獣脂)で作ったものだったという。
 現在ではアップルパイは一年中売られているが、やはり何といっても秋の食卓を彩るデザートだ。アメリカではパンプキンパイと並び、サンクスギビング(感謝祭)につきものの菓子だが、この祭日は11月の第四木曜日と定められている。北米のりんごの大産地に近い地域では、秋というより冬を間近に感じる時期となる。収穫されたばかりのりんごでパイを焼くには、ハロウィーンの方がより適した季節ではないだろうか。ハロウィーンに合わせて、ジャック・オー・ランタン風のデザインをアップルパイの表面にほどこすのも、現代的な楽しみ方としてあるようだ。

 それでは皆さん、ハッピー・ハロウィーン。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?