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〈評論〉磔刑のキリスト、あるいは目玉おやじ―『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』における犠牲と父性― 第8回(全8回)

【各回共通の注記】
・映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』と関連の『ゲゲゲの鬼太郎』テレビアニメについて、クライマックスや謎解き、結末を含む内容への詳細な言及があります。問題のない方のみお読みください。
・本文約22,400字。
・上記作品を知らない方にもわかるように書いています。
・書籍著者名の敬称略。
・イメージ写真出典:写真AC(https://www.photo-ac.com/)より「夜桜と月」撮影者: kosumiさん

おわりに

 愛について、大切なものだと臆面もなく語るのははばかられる時代に、私たちは生きている。これは、親の愛、家族愛、無償の愛といったものが語られる時、そこにしばしば誰かの――多くの場合は女性の――自己犠牲が伴うのを当然視する言説が幅を利かせてきたからだ。血縁や婚姻関係に伴う感情の結びつきを絶対視する価値観は、一歩間違えれば、本作で批判的かつ悲劇的に描かれた、「家」制度のもたらす搾取と抑圧の方へ簡単に堕ちていく。
 中村草田男が「降る雪や明治は遠くなりにけり」と詠んだのは昭和6(1931)年とされているが、年号が令和となった今、平成の時代を挟み、遠ざかる昭和期を郷愁を込めて振り返る風潮が強まっている。『鬼太郎誕生』の舞台に選ばれた昭和30年代は、経済発展の途上で活気に満ちていたと同時に、牧歌的雰囲気やあつい人情の残る幸福な時代として描かれることが多い。それも一面の真実ではあるだろう。しかし、大衆文化における「懐かしい昭和」の氾濫は、現在から見て都合の良い過去のみを選別し、そうでない過去を忘れ去ったり、矮小化したりするのにつながる危険をはらんでいる。
 懐かしい昭和の象徴としてよく使われるイメージに、駄菓子屋がある。本作の中にも、水木と鬼太郎の父が手を組む合意をした後、村内を調べて歩く間に駄菓子屋に立ち寄り、アイスキャンデーを食べながら事件について考察するシーンがある。木の壁に貼られた栄養剤や蚊取り線香の看板、店頭にぶら下げられた安手のオモチャ、菓子の入った大ビン、薄暗い店の奥に見える金属の引手のついた箪笥たんすといったディテールは、道に落ちる太陽の光と濃い影、しきりに聞こえる蝉の声などと相まって、ノスタルジックな夏休みの雰囲気を醸し出す。美しく魅力的なシーンだが、あまりにもステレオタイプな「昭和」の演出とも見える。
 しかし、多くの類例とは異なり、このシーンが観客を和ませる効果や、時代の再現に対するフェティッシュな関心のために入っているわけではないことは、古賀豪監督の、「少し前には昭和30年代を美化した映画も多く作られていましたが、本作ではこの時代の空気感のシビアな部分もリアルに描くようにしています」というコメントからうかがい知ることができる(『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎 劇場用図録』掲載のインタビューより)。ここから読み取れるのは、先行する映画表現への批評的まなざしであり、「都合の良い過去」の選別に抗う姿勢である。
 本作の最後で、哭倉村は虐殺された者たちの怨念が生み出した狂骨によって滅ぼされる。村ぐるみの犯罪で潤っていたという真実が暴かれてみれば、風が吹き渡る緑の田も、花で飾られた村の道も、また子どもたちの幸福の種をあきなっていたはずの駄菓子屋も、管理する人間の手は血で汚れていたことになる。先に考察した本作中のクリシェが、安直な選択としてではなく必然的な表現として採用されているように、ステレオタイプと見えた演出は、ここで全く異なるものに性格を変える。明暗両面を備えた人間社会の、どちらが欠けても完全ではない一部を、隠すことなく描写した表現となるのである。
 本稿では、ごく一般的に流通し、陳腐にも見える各種のイメージや表現が、効果的な使い方によってより豊かな意味を持つものに変わる実例を見てきた。アニメは大衆文化の代表的な表現形式であり、また若年層を主なターゲットとするために、広い層にとってのわかりやすさを重視せざるを得ない。『鬼太郎誕生』はその条件をオマージュやクリシェを活用することで満たす一方、時代や社会への批評精神をも単純化せずに表現し、強いメッセージ性を持つ作品となった。政治的・経済的にますます細分化され、共通言語を持つことが困難に感じられる現在の日本で、こうした作品が制作され、興行的に成功したという事実は、一筋の希望の光を私たちに与えてくれる。
(終わり)

【付記】
 
北海道新聞のリレーコラム『魚眼図』2024年3月5日分に、「『鬼太郎』映画と未来幻想」と題した文章を寄稿しています。デジタル版の購読申し込み、または無料会員登録(道新ID取得)をすれば、以下のURLから全文を読むことができます。https://www.hokkaido-np.co.jp/article/983280/

主要参考資料リスト

〈書籍〉
江藤淳『成熟と喪失――“母”の崩壊――』(講談社文芸文庫、1993年)

大貫恵美子『人殺しの花――政治空間におけるコミュニケーションの不透明性』(岩波書店、2020年)

小熊英二『〈日本人〉の境界 沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮 植民地支配から復帰運動まで』(新曜社、1998年)

梶井基次郎「桜の樹の下には」『檸檬れもん』(新潮文庫、1967年)187-191頁

坂口安吾「桜の森の満開の下」『桜の森の満開の下・白痴』(岩波文庫、2008年)211-244頁

佐谷眞木人「近代日本の国家イメージ形成における和歌の機能――桜の表象を中心に」羽田功編『民族の表象――歴史・メディア・国家』(慶應義塾大学出版会、2006年)83-113頁

水木しげる『決定版 ゲゲゲの鬼太郎』1~10巻(中公文庫、2023年)

水木しげる『決定版 ゲゲゲの鬼太郎 鬼太郎夜話』上・下巻(中公文庫、2024年)

水木しげる『総員玉砕せよ!新装完全版』(講談社文庫、2022年)

〈雑誌〉
『アニメージュ』2023年12月号・2024年3月号(徳間書店)

『アニメディア』2024年2月号(Gakken)

『PASH!』2024年3月号(主婦と生活社)

『spoon.2Di』vol. 107 2024年1月発行(KADOKAWA)

〈パンフレット〉
『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎 劇場用図録』(東映、2023年)

〈オンライン記事〉
朝日新聞デジタル「大人に照準、『鬼太郎誕生』ヒット 興行収入27億円『想定外』」2024年2月21日、https://www.asahi.com/articles/DA3S15868505.html(最終閲覧日:2024年4月13日)

あのアレどこ「HARU COMIC CITY 32 サークル集計」2024年3月13日https://anodoko.net/blog/?p=7038(最終閲覧日:2024年4月13日)

映画ナタリー編集部「『ゲゲゲの謎』関俊彦が主人公2人の関係性を熱弁『実は最初から似た者同士』」2023年11月30日、https://natalie.mu/eiga/news/551227(最終閲覧日:2024年4月13日)

河野真太郎「どちらも“特攻隊”の生き残りが主人公だが…『ゴジラ-1.0』に感動した人が『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』もすぐに観るべき理由」2023年12月2日、https://bunshun.jp/articles/-/67353(最終閲覧日:2024年4月13日)

コミックナタリー編集部「『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』の尺は104分59秒、時間ギリギリまで詰め込まれた監督の思い」2023年11月19日、https://natalie.mu/comic/news/549760(最終閲覧日:2024年4月13日)

トレンドビデオ「『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』興行収入推移と観客動員数まとめ」2024年4月2日更新版、https://www.trendvideo.info/archives/44054(最終閲覧日:2024年4月13日)

〈アニメ作品〉
映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』(古賀豪監督、配給:東映、2023年製作)

テレビアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』第6シリーズ(製作:東映アニメーション、放送:フジテレビほか、2018年4月1日~2020年3月29日)

テレビアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』第5シリーズ(製作:東映アニメーション、放送:フジテレビほか、2007年4月1日~2009年3月29日)

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