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あらためまして自己紹介

「顔が見える人とサービスが信頼の基本」という考えの元、私自身と、個人の活動&会社の活動が、世の中の皆様に見えるようにという趣旨で、2022年6月よりnoteへの投稿を始めました。コミュニケーションのコンテンツ、コミュニケーションマネジメントのエッセンス、気づきのエッセイ、Radioトーク、様々な記事を投稿してきましたが、そろそろ全体像をまとめるものが必要と思い、あらためて自己紹介と仕事紹介を記事にすることにしました。この記事は自己紹介です。

■基本情報

数矢英子(すうやえいこ)
星座:魚座 
血液型:O型 
年齢:人生の折り返し地点過ぎてから1年1歳ずつマイナスカウントしているためわからなくなりました(いきなり嘘! 笑)
身長:156センチ・・から縮んでいるかもしれません
体重:ヘルスメーターに乗らないのでわからない(本当!)

■ステージ1:気は強いけど寂しい本音を隠す子供時代

■幼少期
同年齢の中で背がダントツ小さくて、いつも一番前。2番目と大きな段差があり、クリスマス会の女の子用ドレスを引きずってしまい、急遽私だけ男の子用の服になりました。後ろ姿が刈り上げだったので、気づかれなかったようです(涙)。母の買い物を待っていられず迷子の全館放送をかけてもらうことしばしば。活発ですが寂しさにはめっぽう弱い子供でした。
■小学校低学年
いつも子供の歯がびくともしないうちに大人の歯が生えてきて、抜歯のために歯医者に行くのが恐怖!学童保育から歯医者に行き終わったら学校へ戻るはずが、順番前に脱走した時は、警察が出動!ご迷惑おかけしました。それでも気は強く「友達は私が遊んであげている!」くらいの勢いでした。
■小学校中学年
東京から大阪へ転校したのをきっかけに少しおとなしい子供になりました。なぜなら言葉がわからない!「遊びにいかへん?」が、「行く」なのか「行かない」なのか「行かない?」なのかわからない。早く馴染みたくて猛スピードで大阪弁を身に付けるも、家に帰ると母が大阪弁を嫌うため、やむなく家では標準語。そこから言葉の二刀流?になりました。
■小学校高学年
一人っ子なのですが(妹は1歳で亡くなってしまったためほぼ一人っ子)一人が嫌いです。小学校教師だった母が帰るのを待ち、暗くなるまで外で遊び、誰もいない家に帰ると電話機をとり電話ごっこ?(相手はいません)をしていた記憶。寂しくて突然一人泣くことがありました。気は強かったので寂しいとは言いませんでしたが、本音のマイナス感情を強く感じる子供になりました。

■ステージ2:芝居で自己を確立しようとした学生時代

■中学・高校時代
内包する思いを表現する面白さから、演劇部の部活動にのめりこんだ6年間。最後は部長を務め、大学はエスカレート校を上がらずに演劇の学科を受験。素直に進めば今とは違う人生があったと思いますが、既に当時の私の中には、元来の気の強さと、表に出さない、言えない、言わない自己のマグマが、噴火寸前で待機していました。
■舞台人を目指す複数アルバイト生活時代
演劇科のある大学へ進むも「そんなに芝居がやりたかったらなぜ大学に来た?」という先生の言葉を真に受け、置手紙1つおいて家を出ました。東京で学生でも借りられるアパートを借り、朝から夜中まで複数のアルバイトを掛け持ちしながら演劇で生きることを目指しました。当然無理はいつまでも続かず、体を壊し入院。その時の友達の涙の衝撃が、自分勝手な私の生き方を振り返らせ、人生の選択を変えることになりました。
「人のために泣くなんて想像したこともなかった。もっと人に優しくなろう。せめて心配させない生き方をしよう。もう一度普通の人生をやりなおしてみよう。」

■ステージ3:普通に憧れ普通をあきらめた混沌時代

■美大生時代
普通の人生に今さらお勉強でもなかったので、美術系の大学を受験し入学。上手ではありませんでしたがデザインを学びました。家出した実家にも顔を出すようになり、少しずつ普通の生活に戻っていきました。このまま普通の結婚をして憧れだった普通の家庭を築くのも良いなと考えるようになった時期でした。
■専業主婦離脱
夢の専業主婦にトライしました。専業主婦は憧れでしたが、よく考えれば自分の中に専業主婦像が刻まれておりません。時間が空いたとき、何をして良いのかわからない。色々いらぬことを考えてしまう。私の憧れはもろく崩れ去りました。
お芝居もできなかった。絵のプロにもなれなかった。専業主婦にもなれなかった。私は結局何もできないという思いを抱えて、すがるように「未経験者歓迎」というコンサルティング会社が運営するコールセンターラボのオペレータに応募しました。

■ステージ4:コミュニケーションの仕事に学び広げた時代

■オペレータ➡️スーパーバイザー➡️マネージャー➡️コンサルタント
オペレータの仕事は、その難しさへの驚愕からスタートしました。お客様が何を言っているのかさっぱりわからない。「あなたが不安になるのは勝手、お客様にその不安を伝えてはダメ。ニッコリ笑って”お調べしますのでお待ちくださいませ”と保留にする!保留してから騒いで!」が私への最初の指示というレベル。
ところが、そこからの日々には、自分の経験が何一つ無駄にはならない、コミュニケーションの奥深い学びの世界がありました。
オペレータからチームを管理するスパーバイザーへ、複数チームを管理するマネージャーへ、外部クライアントを指導・サポートするコンサルタントへ、自分の仕事の範囲を広げると共に職位を上げるやりがいを感じる日々でした。
■インハウスコールセンター時代
限られた時間の中で組織へ助言する仕事から、内部で仕組みを作り上げる仕事に従事したいと願い、セールスサポート系全国統合センターを立上げる某不動産デベロッパーへ転職。立上げから5年間で様々な仕組みを作り上げ、パフォーマンスを安定させることを目指し、実践しました。プロセスは重要。活動と結果は必ず紐づくことを体感した時期です。
■コンサルタント時代
最後は多くのクライアントに貢献したいと、再度コンサルタントの道を考え、組織マネジメントコンサルティング会社へ入社。これが2度目の転職となり、以後17年半コンサルタントとして従事する中で人のマネジメント、お客様とのコミュニケーションマネジメントの現状把握方法を確立し改善支援を行いました。改善のための全体フレームワークを確立した時期です。

■ステージ5:自分らしさを活かす在り方に目覚め起業

仕事が面白く、朝から晩まで寝る間を惜しんで仕事をし続けた17年。言葉ではなく心を感じて、受け入れ関わることの重要性を痛感し、そのことを仕事として形作る一方で、誰にでもは出来ない職人技と見られるジレンマ、継ぎ手がない職人のような位置づけになっていく孤独と戦う日々でもありました。
そんなある日両肘骨折。自分自身が医療を受ける立場になり、医療の現場で行われている患者さん理解、一人一人の患者さんにあわせる支援、介入を体感し、私のもやもやは晴れていきました。一人一人の違いを明確すること、個別の人に合わせた道筋をたてることは、体の不具合を治す医療の現場に、体系化されて存在し、リハビリ等で実践・活用されていました。ここで諦めずに、個を理解し活かしきる新しい切り口で、わかりやすいコミュニケーション改善の方法論を確立しよう。そう思えたことが起業の決意に繋がりました。

様々な経験を経て、今は、私らしく、個人の活動、会社の活動を通して世に貢献したいと思っています。
気の強さはぶれない舵取りに活かし、お芝居に学んだことはラジオトークに活かし、デザインに学んだことはコンテンツに活かし、お客様応対に学んだことはコミュニケーションに活かし、コンサルティングに学んだことはコンサルティングに活かそう。

自分を大切にすることは特別ではない。自分らしいあり方を確立する。あきらめない人生。自分らしさを全開にする人生。自分らしさで還元する人生。実践はきっと次の世代に役立つはず。
少しでも誰かの役に立てれば嬉しいです。

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