小説 チケット狂騒曲

「明後日なんだけど、Go Hell Quicklyのライブ
 行けない?」
 ずっと無視していたけれど、
 あまりにもしつこくかかってくる
 電話に出たら、いきなり言われた。
「すいません。明後日は予定があるんで」
「そう。お友達で行けそうな人いない?
 Go Hellが来日するにはもう最後かもしれないよ」
「ヘヴィメタル好きな友達いないんで。
 すいません」
「お姉ちゃんはメタル好きじゃなかった?
 曲知らなくても全然楽しめるから大丈夫だよ」
「姉も明日から出張なんで」と私は嘘をついた。
「ネットで探したら行きたい人いると思いますよ」
 このやり取りを早く終わらせたい一心で、
 私は適当な事を言った。
「前にクーちゃんが騙されたんだよね。
 だから怖くて。やっぱり友達に買ってもらうのが
 一番安心だから」
 別に友達じゃないんで、と言いたいところを
 ぐっと堪えて、
 私はもう一度だけ力を込めて言う。
「本当にすいません。
 明後日のライブは行けません」
 疲れた、私は呟いた。
 私は20歳の大学生。
 一年ほど前にヘヴィメタル好きな人達と
 知り合う事ができ、
 一緒にライブやレコード店巡りをして楽しい
 時間を過ごしていたはずなのだけれど、
 雲行きが怪しくなってきたのは
 3か月ほど前からだった。
 都合が悪くなりライブに行けなくなった人から、
 ライブチケットを買ったのが始まりだった。
 どうやらライブに行けなくなっても
 私がチケットを買ってくれる、
 という情報が出回っているらしい。
「私の友達が○○のライブに
 行けなくなったんだけど、
 チケット買ってくれない?」
 という電話、メール、メッセージが頻繁に届く。
 ちょっとお茶しない?と誘われて、いそいそと
 お洒落なカフェに行ったら、
 行けなくなっちゃった、
 とチケットを渡された事もある。
 くれるのではなく、その場で7,000円
 を請求された。
 もちろん、しっかり断った。
 断った後は何とも言えない罪悪感に苛まれる。
 私が知り合ったヘヴィメタル好きの人達は
 殆どが主婦だ。
 子供がいる主婦、と聞いてなんとなく
 小さい子供がいる専業主婦、若しくはパートで
 働く主婦を想像していたのだけど、
 実際は大学生や社会人の子供がいるフルタイムで
 働く主婦だった。
 時間もお金も私より遥かに自由になる人ばかり。
 ライブで帰りが遅くなればタクシーと使う。
 高額な参加費のイベントにも難なく行ける。
 そんな主婦の皆さまが20歳に大学生の
 私に6,000円以上のチケットを容赦なく
 売りつけてくる。
 いくら実家住みとは言え、大金だ。
 行けなくなったチケットを他人に売る方法
 ならいくらでもある。
  直前になってしまうとそれも少なくなるのは
 確かだけど。
 そして不思議な事にいつでも明日か明後日
 なのだ。
 学生という立場を考慮して、
 6,000円を5,000円にするとい
 ようなことは一切ない。
 丸々全額請求してくる。
 中には手数料まで上乗せする人もいた。
 もう嫌だ。
 私は繋がっていた全てのヘヴィメタル好きの
 人と縁を切った。
 20年後
 或るヘヴィメタルが流れるBARにて。
 「夏野さんと話してみたいな」とカウンター席の
  男性が呟く。
 「私も」と隣に座っている女性が言った。
 「ああ。夏野さんは無理かな。だって、あの人の
  顔を知ってる人いないもん。本当に謎の人」と
  マスターが教える。
 夏野秋絵。
 知る人ぞ知る音楽評論家
 主にヘヴィメタルについての記事を書く。
 歌詞やバンド名に込められた社会問題、
 人間としてのあり方等を聖書、哲学、
 心理学、歴史や文化という視点を交えて
 解説している。
 夏野秋絵の記事を読むと頭が良くなる、
 という理由からヘヴィメタルは聞かないけど
 夏野の記事なら読む、という人も多い。
  夏野秋絵は決してメディアに姿を見せない。
 名前も本名かわからない。
 それは彼女が大学生だった頃、
 ヘヴィメタル好きの人達と知り合って、
 とんでもなく嫌な経験をして以来、
 誰とも繋がらない事を心に決めたからだという。
 本当かどうかはわからないけれど。
 ヘヴィメタル好きを嫌いになっても、
 ヘヴィメタルを嫌いになる事はなかったようだ。
 彼女は今、幸せだ。(終わり)

 

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