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手織り真田紐のこと

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国内唯一技術継承された手織り真田紐職人です。
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記事一覧

手織り真田紐のこと(一)出逢い

能登半島輪島、輪島塗の倉庫にいました。 国産漆を使用した輪島塗を探していました。 輪島塗は透ける様に薄い木地に幾重にも漆を塗るのですが、今ではその漆も国内ではほぼ採れず、国外に頼っているそうです。 積み上げられた塗り物からどうやって見分けるのか・・ 目に留まったのが輪島塗が納められた桐箱でした。 桐箱には紐がかかっていて、何か違いがある様に思えたのです。 それからその紐について調べてみましたら、『真田紐』というものであることがわかりました。 素人の私には、真田紐が手織りで

手織り真田紐のこと(二)職人西村家

 日本で一人最後の手織り真田紐職人、幸道庵の西村幸さんが他界され 幸さんの元でしっかり修行を積まれた長女操さんと次女の千鶴さんが引き継がれていました。  また、お孫さんがその後を継ぐべく修行の路を歩まれる決意をされています。  作品を直で見せていただくと、手織りのあたたかさと職人の緻密さを感じました。積み上げてきた日々、継承されてきた時間を想います。  幼い頃から整経や納品のお手伝いをして身近で富弥さん幸さんの仕事を見て触れてこられた操さんと千鶴さん。  富弥さんが他界

手織り真田紐のこと(三)西村幸さん

修司さんの時代には、上皇陛下の立太子の礼のとき 初代滋賀県知事 服部氏より滋賀県から西村家の手織り真田紐が献上されました。知事はじめ町長などが揃ってかがり火を焚いて送り出したそうです。 また、終戦後にマッカーサー氏がアメリカ空軍を退官し帰国される際に 手土産に持ち帰った藤娘人形のガラスケースに西村家の草色の手織り真田紐が掛けられました。 終戦直後は糸がとても貴重でした。 手織り真田紐を生業としていた西村家には特別多く糸の配給があり、 八日市の西陣織の職人さんに分けるなど、

手織り真田紐のこと(四)日本唯一の継承者

西村家の真田紐に触れるうちに、機械織と手織りの違いがわかるようになってきました。  単(ひとえ)織はシンプルな構造ですので、理屈は誰でもわかると思います。けれど、やはり実際には職人織りと素人織りの技術差は出ますね。 手織りですから全ては個性と言えるのですが。  恐れ多くも私も織機に座らせていただきましたが、二織りほどしてあぁ難しい・・と思いました。これは残せないと、直後にそっと解きました。 その体験をさせていただいて、素人と職人の違いがどこに出るかも理解できるようになったと思

手織り真田紐のこと(五)懸命に繋ぐ技術

一、二、三、四、 トントン、トントン、 そよ風と鳥の声に軽やかな機音が重なります。 様々想いを巡らせながら手を動かすも気付くと無心になり いつまでもいつまでも織り続けていられる。 「おかあさん、今日はこれで終りね」 幸さんのお仏壇に声をかけて仕事を切り上げます。 早朝から深夜まで毎日根詰めて織機に向かう母の背中を見て来た操さんは 作業は9時から17時までと決めています。 「あれ?おかあさん、ここどうするんだっけ??」 織り進めた紐と見比べながら、今も幸さんに教わっていま

手織り真田紐のこと(六)手織りの価値

ここまで来ると、流石に素人の私でも手織り真田紐の価値が それなりにわかるようになって参りましたが、 それでも、わざわざ手織りの紐をオーダーされる方がいらっしゃることに 驚き、その拘りを持つ方に興味がでてきます。 是非お会いたいと操さんにお願いして納品にお伴させていただきました。 納品先は伊賀上野にある能面師の工房でした。 操さんの紐をみるなり、「これですよコレ」と嬉しそうに目を細められます。 しばし、職人同士のあるある談義に耳を傾けて楽しんでおりました。 「何故、お面の紐