短編小説『砂像』
夜中、アルバイトが終わってようやくアパートに着くと、部屋の灯りが点いていた。
しまった。
今朝起きたときには日が昇ってすっかり明るくなっていて、部屋に灯りが点いていると気づかなかったのだ。ということは昨夜うっかり寝てしまってから点けっぱなしだ。
嫌なことは続くものだ。
今日レジをしていると、クソジジイに怒鳴られてしまった。忙しいとどうしても流れ作業になってしまうから、油断していると
「やる気出せ!」
とかなんとか言って激怒してくる。経営者でもないのに、すごいボランティア精神だなー。
こういうことは何度かあって、いつも気を抜いた瞬間に来る。もはや狙ってやってきているとしか思えない。ある種達人だ。
ドアを開けて中に入ると、もちろん明るい。
僕は玄関で体中に付いた砂を払い落とし、全裸になってから部屋に入った。短パンとTシャツに着替えると、ポットで湯を沸かした。
クソジジイがフラッシュバックして来て落ち着かない。風と砂が空気を削りながら通過していく音が部屋まで届く。口笛みたいな音だ。
カタカタカタ、とポットの蓋が跳ね始めた。コンビニで買っておいたカップラーメンに湯を注いだ。ポットとカップラーメンの動線に、じゃりじゃりはない。この動線だけが僕の安全地帯。
つるつるだったというアパートの外壁も、砂に削り取られた。砂粒は何もかも削り取っていく。思い出の場所も、時間も。繰り返し繰り返し僕の精神を削り取る。
削り取られた精神も、たぶん砂粒になっている。風に乗ってぶつかって、またなにかを削って飛んでいく。
僕という存在も、砂になる。埋もれて忘れられるわけではない。いくつもの粒子になって、1つの形になる。
3分経った。
世の中にはなくなるものとなくならないものがある。という仮説を立ててみるが、たぶん全部なくなる。でも全部なくなる瞬間を確認することができない。死後の世界があるか確認できないのと同じだ
僕がいますすっているカップラーメンは、たぶん小麦粉とかを使っていて、それは僕の肛門を出るころにはうんこになっている。だから形は変わるけど残る。
うんこは嫌だけど、僕が粒子になってその中の一部は食べ物になって、そしたらうんこになる可能性が高い。
ていうか、いま食べてるものもほんの一部は誰かのうんこだ。僕の体の一部はうんこなのかもしれない。っていうか大腸の中にある。
体の細胞は常に生まれ変わっているらしい。常に死んでいるとも言える。体の内側から膨らんで、体に収まり切れなかったやつが死んでいく。それで空気に交じる。僕と空気の境目ははっきりしているようで曖昧なのだ。でも近くで見たらほんとはくっきりなのだ。
少し離れて見てみるとわかる。鳥取から、日本から、ユーラシアから――地球を見れば、僕たちの境目どころか、ひたすら球体にしか見えなくなる。
気の遠くなる視点だ。そこから砂粒で苦しんでいる僕は見えないけど、確かに、ここにいるんだ。砂嵐の中のアパートで、ラーメンのスープを飲もうか悩んでいる僕が。
おわり
※投げ銭制です。おまけは、今日ひやっとしたこと。
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