ぎこちなき哉、人生! #2 《班ノートについて》
中学一年生の時、僕は交換日記というものに出会った。
それはとても楽しいものだった。
必ず返事が返ってくるし、自分の好きな言葉で好きなことを書いて、次の人に回す。
そして、みんながそれを読む。
僕たちは交換日記を五人で回しあった。
日記のタイトルは○○班ノート。
実を言うと、これはクラスのみんなが班ごとに必ず作るもので、いわばクラス活動みたいなものだった。
筆不精なクラスメイトたちはこのシステムをひどく嫌っていた。
でももちろん、僕のように班ノートを愛する人もいた。
僕のクラスにいたKさん。
彼女はすらっとしていて、にこやかな人。
僕は彼女にどこか惹かれていた。熱烈な恋心ではなかったけれど、気になる人だった。
僕はある時、Kさんの隣の席になった。
席替えはいつもくじ引きで行う。
Kさんは苗字があ行なので引く順番は早い。僕はくじ引きのたびにKさんの新しい席を確認して、自分が引けばKさんと同じ班になれる席はいくつ空いているのかを数え、確率を必死に計算していた。
指を折って、いち、にい、さん、し。
その時期待値は最も高かった。
今ならばわかるが、そんな計算に意味はない。くじ引きは何人目に引いても希望の大きさは等しいのだ。
ただその時の僕にとっては、期待値は重要だった。
まだ出てない、まだ出てない!
とうとう自分の番がやってくる。
くじを引いたあと、こっそりガッツポーズ。
なんと隣の席。宝くじが当たったように(当たったことなどないが)喜んだ。
「あ、よろしくね」
「うん。よろしく!」
その日から学校が楽しくてしょうがなかった。
その日のHR教室で班ノートが配られた。
タイトルは「6ぱんノート」。
表紙に五人分の名前を書く。
Kさんの字はちょっと丸い。けれど彼女は習字を習っていたのでとても綺麗な字を書いた。
僕は負けじと、願わくばKさんの気を引こうと、全神経を集中させて名前を書いた。
なかなか上手くかけたので僕は満足していた。
初めてKさんが班ノートを担当した日、僕は待ちきれなくて、回ってくるのを待たずにそれを階段まで持っていって読んだ。
なぜ階段に行ったのかはあまり覚えていないが、階段という場所の空気感が好きだったのかもしれない。
僕はひとりで、階段の真ん中で、Kさんの書いた班ノートを読んだ。
四回くらい読んだ。
そして教室に戻り、本来班ノートがあるべきカゴの中に入れた。
「○○さん動物すき?」
「うん! 猫が好きだよ」
「僕も猫好きだよ!3匹も飼ってる」
「へぇ、たくさんいるんだね」
「こんど写真を見せてあげるよ!」
「ええ? いいの? 見たい見たい」
Kさんの班ノートには猫のことが書いてあったので、会話のネタにしてしまった。
別に悪いことではないだろう。そう。いいんだ。
僕は次の日、愛猫の写真を学校に持っていった。
「むふふ。かわいいねー」
「でしょ? ほら変顔してる」
愛猫は腰をさすると舌を出すので、その瞬間にシャッターを切った「確信的変顔」の写真をKさんに見せた。
彼女はかわいい笑顔を作って、僕を見た。
僕も彼女を見た。
それを僕の男友達Y君が見ていた。
次の日の班ノートは僕が担当して、確か当時得意だったアニメのキャラクターの絵を描いた。
その次の日はY君が担当した。
彼の班ノートには、Kさんの字が綺麗だと褒める旨の文があったのだ!
それを読んだ僕はかなり心がざわざわした。
Y君とは仲のいい友達で、小学校からの幼馴染だった。
時にはケンカをしたり、お互いの悪いところを見せ合ってきた。
高校が分かれてからは疎遠になってしまったけれど、中学の時は親友だった。
そんな彼が、Kさんを好きなのかも知れない。
僕がKさんに惹かれていたのは確かだけれど、熱烈な恋心というわけではなかったはずだ。
しかしY君の班ノートを見た僕は、心から湧き出る、Y君にKさんを取られたくないという気持ちに支配されていった。
ただY君はKさんの字を褒めただけなのに。
とんでもない想像力だ。中学生というのは恐ろしい。
ある日、KさんとY君が話していた。
僕はKさんと向かい合って給食を食べている。
僕の隣にY君がいて、班で合わせた机の対角線で、二人は会話していた。
そんな中、クラスのガキ大将が大声を出す。
「シダの好きな人はなぁ、○○(Kさん)だぜ!」
「はぁ? 何いってんの」
クスクスとKさんが笑う。
シダとはクラスのリーダーで、Kさんとは幼馴染。その時は僕とまだあまり仲が良いわけではなかった。のちのち彼とは共に苦境を乗り越え、僕たちは親友になるのだけれど。
クラスのガキ大将は、スポーツとゲームが得意で、女子生徒の中には彼を好む人もいた。僕はこいつはきっとKさんが好きなんだと思った。好きな人に注目されようとした行動がシダ経由のアプローチ。
僕はKさんを見る。
彼女はかわいい笑顔を浮かべていた。
Y君が言う。
「シダはやめといたほうがいいよ。あいつ口が臭いからね」
「なに?別に私シダ君好きじゃないよおー」
Kさんの声を聞いたシダが言う。
「大丈夫。俺だって好きじゃねえよ」
そう言う彼の声は、どこか浮ついている。
僕はKさんは高嶺の花なのかなあ、と思った。
そして同時に、僕以外の男3人のうちガキ大将だけはやめてほしいなあ、とも思った。それは、僕がKさんに抱くイメージは、淑やかで可憐なひと。つまり、ガツガツしたやつは似合わない(僕ならば似合うのではないか)と思ったからだった。
何より僕は、ガキ大将が嫌いだった。
Kさん、ガキ大将を好きになったらダメだ。
そして願わくは僕を……。
そう念じた。
ある日、班ノートが滞った。
誰かが家で紛失したに違いない。
僕は犯人を確信していた。1人プリントや教科書の整理ができない奴が班にいたのだ。
僕は彼に問う。
「ねえ、班ノート持ってるでしょ? 持ってきてよ」
「え、ああ。多分なくした」
多分なくした、とはなんだ。
「ふざけんな。明日絶対持ってこい」
犯人は鼻をほじって机の脚に塗ったくる。
「ああ。あったらね。ていうか別にいらないでしょ、あれ」
お前にはいらないかも知れないが、僕にとってはKさんと繋がる媒体。Kさんの書いたページに温もりを感じ、Kさんの書いた字に癒される。お前にそれを奪われる筋合いはどこにもない。
「いいか、持ってこいと言ったら持ってこい。お前の私物じゃないんだ」
それ以降、僕やKさんの元に「6ぱんノート」が戻ってくることはなかった。
美術の時間。
僕はデッサンをする。そして、自信があるのでKさんにちらっと見えるようにする。
Kさんにはそれがちらっと見えて、僕にこう言う。
「絵、うまいね」
僕は、ありがとう、と言う。
Kさんは絵がそこまで上手じゃなかった。
僕はKさんにデッサンを手取り足取り教えたい。
その過程でKさんとの距離を縮めたい。
Y君が立ち上がる。
「ねえねえ見てよ! シダを描いた」
Y君はケラケラ笑って、面白おかしく描いたシダの絵をKさんに見せる。
「なにこれー! むふふ、ほんっとう面白い」
Kさんは手を口に当てて頬を紅潮させる。
かわいい。
僕はY君が羨ましかった。
どうして僕はあんな風にできないんだろう。
KさんはY君と話しているとき楽しそうだ。
僕は自分に足りないものは何なのか考えたけれど、わからずじまい。
それから一週間経って、また席替えがあった。
僕の席ははKさんと離れてしまった。
「ありがとうございました」
Kさんが僕に頭を下げる。
「あ、うん」
何を言えばいいかわからず、僕はそっけない返事をする。
僕に足りないものは、きっと「余裕」だ。
中学生の僕には、いささか難しすぎる問題だった。
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