【映画感想】笑いのカイブツ
映画「笑いのカイブツ」を観てきた。
ケータイ大喜利ではレジェンド、深夜ラジオでは数え切れない数のネタが採用され、深夜ラジオ界隈ではその名を聞かない日がないと言っても過言ではなかったツチヤタカユキ氏の私小説を映画化したものだ。
映画ではツチヤがケータイ大喜利レジェンドになるまで、吉本の劇場の構成作家見習い時代、東京での構成作家見習い時代と話が移り変わっていき、その中で、笑いを考えること以外全てが不器用で人間関係不得意なツチヤの葛藤が描かれていく。
感想
私は見終わったときに一つの物語としてゴールを迎えスッキリと見終える事ができる映画が好きだ。
本作はそうではなかった。
人間関係に苦しみながらも、自分のやりたいことには真面目に取り組んで、最後は何かを成すといったストーリーを私は期待していた。
しかし、本作は終始ツチヤがもがき苦しむだけで、最後に何か綺麗なゴールを迎える訳でもなかった。
見ていて眉間にシワが寄りっぱなしになってしまった。
そもそも主人公のツチヤに感情移入ができない。
お笑いのネタを考えることに全てを注いでいるのでそこに関しては才能が開花しているが、社会性、人間性が欠落しているのがツチヤだ。
バイトもろくに続かない。カラオケ店のバイトの時は仕事をサボって客の残飯を食うような男だ。基本的に真面目な人間ではない。
これをある程度の社会性を備えた人が見たらどう思うか。
仕事もろくにせずに趣味の投稿ばかりしている不真面目な若者と思うだろう。
私もかつてラジオにメールを送っていた時期がある。そしてその当時、ツチヤタカユキが構成作家見習いになったことなどをリアルタイムでラジオで聞いていた。
その時の私ならば「ツチヤタカユキすげーっ!」という憧れの目で彼を見ることができただろう。
たが、一社会人として過ごす今の私には、ツチヤは不真面目な若者にしか見えなかった。
上京後の話では、周りの人に支えられ、面倒を見てもらって東京生活がスタート出来たのにもかかわらず、最終的に恩を仇で返すような態度には怒りすら覚える。
才能があれば何をしても良いわけではない。
クライマックスのシーンで大阪に出戻ったツチヤが何でこうも上手く行かないのかと泣いて喚くシーンがあるが、ここも全く共感できない。身から出た錆、自業自得、幼稚という言葉しか湧いてこない。
私小説の映画化なので最後を綺麗に終えることが出来ないのは致し方無い事であろう。
ただ、この映画のラストシーンの後に、ツチヤタカユキ氏は自身の私小説を出版し、それが映画化されたのだ。
そこまでを含めるとやはり「ツチヤタカユキすげー!」とは思う。
蛇足
本作は西村賢太著、森山未來主演で映画化された苦役列車に似たところがあるなと思った。
主人公が退廃的な生活を送る様や不器用な人間であるということ、更には最後に机に向かうラストシーンなど共通するものを感じた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?