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ありがとうお母さん

私には母が二人います。
そうです。
産みの母と育ての母です。

私を産んでくれた母は、私が1歳の頃
離れてしまったので、母の愛というものは
あまりわかりません。

そして父の再婚
父は私が3歳の時、今の母と再婚しました。

そしてよくある話ですが、母による虐待が
始まりました。
そうです父にはわからないように
私は中学校に入るまで受け続けていました。
その内容は割愛します。(別に書きます)

そして高校生のとき、意見するようになった私は
とうとう家を追い出されました。

そうして大人になり、育ての母とも
何とか関係を修復しました。

そして母の苦悩を考えました。
産みの母は、自分のこともと引き裂かれた苦悩。
育ての母は、愛する人とはいえ、他の女性が産んだ子を
育てる苦悩。

どちらも相当の苦悩だったんだろう。


私は27歳のとき、産みの母の存在を知りました。
びっくりしましたが、やっぱりという感覚もありました。
そして、私は会うことにしました。

本当のお母さんと会う。
嬉しいなどという気持ちはなく
不思議な感覚が私の中に渦巻いていた。

もちろん嬉しいんだけど、非現実的な
出来事にただ心の中は平静を保とうとしていました。

そして母と私は会いました。
若い頃の写真だけしか見たことがないが
一目で分かった。

顔はあまり似ていないが、手や指は母そっくりだった。
徐々に嬉しさが込み上げてきた。
ただ、大人になっていた私は、
お母さんに甘えるという感情はなかった。

正直な気持ちは、会えただけでよかった。
母にも家族があり子供がいるので、
会えたというだけで私の中では一つの区切りがついたんです。
今の自分がいるのは母が産んでくれたからですね
それに対して感謝の気持ちを伝えられればいいと思いました。

そして、母と会っているときに
もう一人の母を思い出してしまうんですね。
私の心の中でのモヤモヤです。

お互い何十年も経てば、それぞれの城があり
守るべきものがあると思うので、
このまま波風立てないことが、
最善だと普通に思いました。

そして、長い年月辛かったけど
今となれば、感謝しかない育ての母。

母と私にはいろんなことがありましたが、
今の健康な私がいるのは母のおかげなんです。

私は色々差別されていました。
食事、体罰、など

体罰
痛い、熱い、寒い という感覚を知ることができました。
食事
父には肉、私には魚、
父はコーヒー、私は牛乳、
など差別化されていましたが、
これが私を健康かつ強くしました。

面白い話が、鰻を食べる時は
私はいつも頭と尻尾でした。
しかし、そこが一番栄養がある
ところだったんですね。

ネタのような話ですが、それ以外にも
辛い日々は、私の魂と心と体を育ててくれました。

これはかけがえのないものです。
いろんな境遇も、全て私の教育材料だったのでしょうね。

さて、こんな私がこれから何をするんでしょうか・・・
まずは感謝の言葉を述べることですね

「二人のお母さん、ありがとう」

では。

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