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ありがとう(1)

日本は負けへんで

ここまで生きてき、いろいろな人に助けられてきましたが
なかなか「ありがとう」という言葉を言えずにここまで
来ました。

いろいろな理由があり、言えなかった。
その時は、気付かず後になってその有難さがわかった。
対立して、いろいろ争ってたが、そのお陰でここまでになれた。
何気ない日常で、つい忘れている。
そんなことがあったなんて知らなかった。

いろんな理由があると思いますが、
気付いた時に、「ありがとう」を言っていきたいと思います。

第一弾は台湾、オマーン、タイのみなさんへ
今、タイに住んでいるので当然ですが、タイに受け入れてもらい
タイで生活させてもらっています。
それだけでもとてもありがたいことですが、今から十数年前の
あの大地震の時、とてつもない援助をくれたことを、日本人である
わたしは、もっと感謝しなければと思いました。

当時、ラーメン一杯100円、タクシーの初乗りも120円程度の
国で、日本への義援金がアメリカ、台湾に次ぐ3番目の金額で
約20億円にも及んだのです。
ざっくりですが当時の義援金とGDP記載しておきます
1番 アメリカ 約30億円(GDP 第1位/2022)
2番 台湾   約29億円(GDP 第21位/2022)
3番 タイ   約20億円(GDP 第28位/2022)
4番 オマーン 約10億円(GDP 第64位/2022)
5番 中国   約9億円(GDP 第2位/2022)
以下、アルジェリア、イギリス、ベトナム、香港、フランス
と続きます。

なぜこの国々の義援金が多いのでしょうか?
日本との関係が大きく影響していると思われます。

ここからわたしの考察です。

タイ
タイと日本のエピソードで、わたしが感動したことは
国王と天皇の交流にありあます。

長年の交流もありますが、一つの大きなエピソードがあります。
今、わたしもよく食べますが、タイの国民食的な魚があります。
市場で塩焼きで売られているアレです。

プラーニンの塩焼き 

タイ国が食糧難の時期(1950年代)タイ国王が当時皇太子の上皇陛下に相談をしました。
「タンパク源を補う食料が足りない」
現上皇陛下の皇太子は、その相談を受けアフリカ産の「ティラピア」の稚魚を50匹贈られました。

その魚はタイ語でプラーニンと呼ばれており、プラーは魚、
ニンは上皇陛下の明仁の仁(ニン)からつけられたとも言われています。
タイでは魚を焼いたり蒸したりして食べますが、どちらにしても美味しい
ことと、養殖しやすいことで、タイ人のタンパク源だけではなく
産業も支えており、タイ人には欠かせない食料となりました。
これが外交なんですよね。

これ以外にも、プーケットの津波の時の援助もあり、日本への
援助となったのでしょう。
当時、国民的人気歌手のバード・トンチャイさんが、歌も歌って
応援してくれました。

台湾
台湾は親日で知られていますが、理由は賛否ありますが
台湾統治が影響していると思われます。
台湾統治と言っても教育を施し、国を作り発展させました。
さらには、忘れてはいけないのが、終戦後、一人の海軍中将
根本博の存在だと思います。
蒋介石と共に中華人民共和国の攻撃から台湾侵攻を阻止しました。
現在の台湾があるのも彼のお陰だと思います。
しかも彼は、蒋介石に対する恩義から、その恩を返すために
4年間釣りに出かけたことになっていました。
この話は、根本博でお調べいただければと思います

アメリカ
アメリカは同盟国という部分が大きいのだと思います。

オマーン
意外と知られていないのが、オマーンという国と日本の関係です
中東のいわゆるあの地域、石油の地域ですね、あまりイメージが
よくないかもしれませんが、このオマーンという国は、意外な
日本とのつながりがありました。

現国王の前の国王の時、震災があり、多大な援助をいただいた訳ですが
この国王の祖父にあたる方の奥様が日本人なんです。
詳細はWikipediaに書かれていますのでご覧ください。

中国
中国は隣国という事もありますが、何と言っても日本企業が
多く進出しており、古くから日本との良くも悪くも繋がりの
深い国です。あれだけ睨み合っても、ちゃんと助けてくれる
ことは忘れてはいけないのではないでしょうか。
大国ですからね。

もちろん金額ではありません。
一人一人の気持ちをいただく訳ですから、全ての国に
感謝しかありませんが、一応タイでお世話になってる
ことから、多く取り上げさせていただきました。

タイとその他全ての国々に対して言いたいと思います

「ありがとうございます」

最後に谷村新司の「花」をリメイクしてタイ人の歌手が
歌っています。タイの方はこの曲が大好きです。


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