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アメリカで争点化した“治安” 【後編】犯罪率上昇が与える政治的影響

 こんにちは。雪だるま@選挙です。この記事では、【前編】に引き続いて昨年のアメリカ中間選挙などで大きく争点化した「治安」「犯罪」について考えます。

 前編の記事では、コロナ禍で治安が悪化した現状と背景について分析しました。後編の記事では、選挙や世論との関連を分析することにします。
 前編の記事は次のリンクからご覧いただけます。

 前編の記事では、コロナ禍の治安悪化について要因を「社会経済の停止と失業率の上昇」「青少年コミュニティの閉鎖」「銃器の拡散」「BLM運動と警察機能の弱体化」の4つ提起しました。
 このうち銃器の拡散とBLM運動は、コロナ禍に限定されない一般的な要因であり、政治的な争点になりやすいため、この2つがどのように作用しているかが重要です。

 まずは、2016年、そして2020年以降のコロナ禍にシカゴで起きた犯罪率の上昇を事例として、この2つが与える影響について具体的に分析します。

事例:シカゴでの犯罪急増

2016年の犯罪急増と白人警官による黒人殺害

 シカゴでは2014年10月、白人警官による黒人の殺害事件が起きました。事件から約1年後の2015年11月には、事件の映像が公開されました。映像に記録されていた内容は、警官の説明とは全く異なるもので、シカゴではこの事件に対する抗議運動が広がりました。

 2016年の犯罪急増は、この抗議運動の直後から発生しました。事件後に実施された警察改革で Stop and Frisk が減少しますが、前編で取り上げたように、犯罪率の上昇の原因ではないと推定されています。

 事件や抗議活動は、警察官自身が取り締まりを抑制する影響をもたらし、目撃者が警察に通報する可能性を下げる点で治安悪化や犯罪率上昇につながるとされています。
 2016年にシカゴで発生した犯罪率上昇は、2020年のBLM運動後に発生した全米規模での犯罪率上昇を分析する上で示唆的な結果だと言えます。

コロナ禍の治安悪化 銃器の拡散と地域的偏り

 シカゴ市内では、多くの銃器が押収されています。また、銃器が押収される地域や犯罪が多い地域には、強い偏りがあることも明らかになっています。

 まず、シカゴ全体ではニューヨーク市やロサンゼルス市と比較して、多くの銃が押収されています。

 シカゴでは、殺人に銃器が関連している割合が増加傾向で、全米平均を上回る状況が続いてきました。

殺人事件のうち銃器が関連した割合の推移(シカゴ市と全米平均)

 さらに、シカゴで銃器が押収される地域には、強い偏りがあります。治安の点では、北部が比較的安全とされるのに対して、西側や南側の地域で犯罪率が高くなっています。銃器の拡散も同様の傾向があり、犯罪率が高い西側や南側の地域で押収される割合が高くなっています。

 犯罪が少ない北側の地域では、コロナ禍でも犯罪率がほとんど上昇しなかった一方で、犯罪が多かった西側や南側の地域では犯罪率が上昇し、市全体に占める割合も上昇しています。

2021年 シカゴ市の地区別殺人件数(人口10000人あたり)
犯罪が多かった地区の犯罪件数が、市全体の件数に占める割合の推移
(赤:シカゴ市の5地区、青:ニューヨーク市の10地区)

 前編の記事では、コロナ禍では失業率が最も不均衡な形で現れ、ブルーカラー労働者の失業率が特に悪化していることに触れました。同様に、同じ市でも治安に大きな格差が生じています。

2023年シカゴ市長選挙への影響

 治安の格差は、それぞれの地区の政治的立場にも大きな影響を与えています。2023年のシカゴ市長選挙では、現職が40年ぶりに敗北しましたが、その主な要因は治安が比較的安定している北部で、現職が支持を失ったからです。
 女性で黒人の現職市長・ライトフット氏は、警察機能強化を訴える白人のバラス氏、福祉強化を主張する黒人のジョンソン氏に敗北し、決選投票に進むことが出来ませんでした。次に示すのは、地区別の各候補の得票率です。

 治安がよい北部でライトフット氏は支持を失っていて、警察官が多く住む地区ではバラス氏が勝利している一方、リベラル色の強い地区でジョンソン氏が勝利しています。
 また、治安の悪化が指摘される西部や南部では、現職のライトフット氏が勝利しています。ライトフット氏は、4年前の前回選挙と比較しても北部で支持を失い、西部や南部に支持が移行したことが示されています。

 今回のシカゴ市長選挙から得られる知見は2つあります。まず、実際に犯罪のホットスポットになっている地域では、現職やその犯罪対策への抵抗が強くない可能性があります。

 犯罪が集中する西部や南部では、現職のライトフット氏が勝利しました。もちろん、黒人が多い地区では黒人現職候補の得票率が高まる傾向があるため、犯罪対策のみをその要因にできるわけではありません。
 しかし、同じ黒人のジョンソン氏ではなく、現職のライトフット氏が勝利している傾向からは、実際に犯罪のホットスポットとなっている地域では現職への抵抗感が強くない可能性が示されます。

 2つ目の知見は、犯罪政策への逆風は実際には治安がそれほど悪化していない地域で起こっていて、投票行動には地域のイデオロギーが反映される点です。

 現職のライトフット氏が支持を失った北部は、犯罪のホットスポットではありません。支持が流れたバラス氏は、犯罪対策として警察機能強化を訴えていましたが、実際に支持を多く得たのも警察官が多く住む地域でした。
 現場レベルの動きでは、ライトフット氏と対立していた警察官の組合からバラス氏が支持を得ていたことが、集票に影響したと考えられますが、犯罪にどう対処するかが投票行動に影響しています。

 また、リベラル色の強い地域ではジョンソン氏が勝利しました。犯罪への対策として警察機能の縮小、福祉の強化を主張するジョンソン氏がリベラル色の強い地域で勝利したことは、犯罪への問題意識が強まる中でもどう対処するかを含むイデオロギーレベルの違いが投票行動に影響することを示唆しています。

治安悪化が世論・選挙に与える影響

 ここからは、治安の悪化が世論の動向や選挙結果にどのような影響を与えるか分析します。

 まず、これまでの議論をまとめます。コロナ禍で治安が悪化した要因として「ロックダウンに伴う経済低迷」「社会コミュニティの停止」「銃器の拡散」「BLM運動と警察機能低下」の4つを検討しました。さらに、“治安格差”が広がり続けていて、犯罪はホットスポットに集中する傾向がある傾向があることも明らかになっています。

 さらに、シカゴ市長選挙の投票動向からは、治安が良い地域の有権者は現行の犯罪対策に不満を持つ傾向があり、その対処策もイデオロギーによって左右されている可能性が示されました。

選挙への影響:治安で優位な共和党

 まず、争点としての治安・犯罪対策は共和党にとって優位に働いています。昨年の中間選挙では、民主党が圧倒的に強いニューヨーク州で治安対策が争点化し、共和党は知事選で数ポイント差まで詰め寄り、下院では複数の接戦区を奪取しました。全国的には不振だった共和党ですが、ニューヨーク州は「レッド・ウェーブ」(赤い波)が起きた州の1つです。

 共和党は、犯罪増加は民主党の政策が原因だと批判しています。民主党が保釈の緩和などの警察改革を実行し、BLM運動への理解や支持を表明する中、治安悪化を民主党に重ねることで集票を進めてきました。
 大都市ほど治安悪化が問題となっているのは、このような政治的背景があります。前編の記事で述べたように、犯罪率の上昇は人口規模を問わずに全国規模でみられる現象です。
 しかし、大都市の市長は民主党であることが多く、共和党の攻撃対象になることが多いため、治安悪化は大都市ほど争点化する傾向があります。

 なお、ニューヨーク州で民主党が不振だった要因については、民主党の組織活動などにも注目してこちらの記事で議論しています。

“犯罪対策”で動くのはどの層か

 これまでの議論から、現状の犯罪対策に不満を感じて投票行動に影響を与えるのは実際に犯罪が悪化している地区ではなく、その周辺である可能性が示されました。
 この仮説に当てはめて議論すると、比較的所得が高く白人が中心の都市部や、犯罪率上昇の影響を受け得る郊外の有権者は、犯罪対策で動く可能性があります。

 特に共和党にとって都市部は集票が難しい地域で、犯罪の争点化は重要になります。白人は人種別にみると共和党が最も戦いやすいグループで、民主党の牙城となっている「青い大都市」を崩す手がかりとして、高所得の白人に向けて犯罪の争点化が働く可能性があります。

 また、郊外も民主・共和両党が接戦を繰り広げる場所であり、犯罪対策が有効であれば共和党にとって大きな武器となります。ただ、郊外の投票行動と犯罪対策の関連については実証的に示されておらず、都市ほどの効果が期待できるかは不明です。

 このように、犯罪対策は民主・共和両党が接戦となるような有権者・地区で共和党方向に強い影響をもたらすことが推測されます。

民主党が巻き返す“手がかり”

 治安・犯罪対策を共和党が有利な争点として用いている中、民主党はこの現状を打開することができるのかを考えます。

 民主党にとってのカギは、治安悪化の要因となっている「銃器の拡散」です。民主党は銃規制を積極的に進める一方、共和党は全米ライフル協会の影響や、政府による統制を極小化する考えから銃規制に消極的です。

 銃器の拡散自体が重大犯罪の増加につながっている可能性がある中、民主党にとって銃規制は争点を奪還する手がかりになるでしょう。共和党が治安悪化を民主党の「弱腰」が原因だとするイメージ戦略に成功しているのと同様、民主党も重大犯罪は共和党が銃規制に反対しているためだと主張する戦略が考えられます。

銃規制強化への賛否(青:民主、点線:無党派、赤:共和)
2022年10月3日~23日実施 / ギャラップ電話調査、1009人

 銃規制強化は、共和党支持層から著しく人気が低い一方で、無党派層の約半数から支持が得られています。争点の奪還には無党派層を引き付けることが必要であり、銃規制はこの点で民主党にとって優位です。

 銃規制が争点化するのは、大きな銃乱射事件が起こったタイミングであることが知られています。実際に、2022年春に発生した複数の銃乱射事件を契機に、無党派層では20ポイント近く賛成が上昇しています。
 事件から時間が経過すると、報道量が減少して関心が薄れるため、銃規制への賛成は減少していくと考えられています。次に銃規制への関心が高まることがあれば、民主党は犯罪・治安対策の争点で巻き返せる可能性があります。

 また、犯罪の増加が全国的な課題である点も、民主党にとっては潜在的に優位でしょう。共和党が大都市の民主党市長を攻撃する目的で犯罪対策を用いる中、共和党が優勢な人口規模の小さい地方でも同様に犯罪が増加していることを浸透させられれば、共和党の攻撃をかわすことに繋がります。

今後の選挙ではどう影響するのか

 犯罪率上昇の要因のうち、ロックダウンによる社会コミュニティの閉鎖は、既にコロナ禍から抜けつつある中で改善に向かっています。失業率の上昇やその不均衡は、今後の経済状況に大きく左右されることになります。

 一方で、銃器の拡散と警察への信頼低下は大きな課題です。コロナ禍以降も拡散された銃器は社会に残り続け、警察の影響力が回復するのにも時間がかかる可能性があります。
 次に示すのは、シカゴ市の犯罪率推移です。

Chicago Sun Times "Chicago’s most violent neighborhoods were more dangerous than ever in 2021"

 2016年に急増した犯罪率は低下傾向となりましたが、コロナ禍に入る直前の2019年でも、急増する前と比較すると高い水準でした。現在の犯罪率上昇を引き起こしている複合的な要因を考慮しても、コロナ禍を抜ければ直ちに治安状況が落ち着く、とは考えにくい状況です。

 したがって、今後数年は治安が悪化した状況下で選挙が行われることを念頭に置く必要があります。そして、基本的に治安が悪化した状況で選挙が行われるのは、共和党に有利だと言えます。

 ただし、争点としての治安は力を弱めている可能性があります。前編の記事で分析したように、犯罪が争点化したのは「犯罪の絶対件数が多いから」ではなく、「以前と比べて増加傾向であるから」です。
 犯罪の件数自体はコロナ禍前と比べて高水準になると考えられますが、ピーク時よりも減少していれば、体感治安が向上して争点化しない可能性があります。

 さらに、民主党が銃規制などの問題に世論の関心を集中させられれば、争点としての治安・犯罪対策を取り戻せる可能性があります。
 共和党が接戦区に浸透する武器として用い、一部の地域では着実に成果を上げている争点としての「犯罪・治安」については、関与している複合的な要因の動向を見ながら、両政党の動向を注視する必要がありそうです。

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