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おっさんに性教育は手遅れ、という研究結果から始める性教育

酒で意識がもうろうとしていた女性に性的暴行を加えた44歳の男が、無罪になった。この判決を受け、SNSでは毎日新聞WEBの記事が拡散され、#MeTooの動きが再燃しているようだ。

Twitterを見ていると、この事件に対する嫌悪感、危機感、絶望であふれかえっている。そのなかで私の目にとまったのは「中高年男性への教育が必要」というリプライだった。

ただ、私はこれに懐疑的だ。今回のnoteでは、それを踏まえて私たちはどこに注力し、誰を守るべきか、個人的な意見を書いてみたい。

おっさんに性教育は手遅れ

「調査結果を思い出した」と書いておきながら、あるまじきことなのだが、その調査のWEB記事が見当たらない(かれこれ2時間ほどググったり過去のリツイートを検索したりしていが…)。この記事の核が揺らいでしまい、信憑性に欠けてしまうのは承知で、進めさせてもらいたい。

確か1年ほど前に読んだ記事である。

海外の大学で、ある調査が行われた。参加者は男性。女性嫌悪や、女性蔑視の意識をもつ人が集められていたと記憶している。そんな彼らの意識を正すべく、男女平等などについてのレクチャーが行われた。その結果、彼らがどう変わったか――という調査である。

結果、彼らは“悪化”した。レクチャーを受ける前より、女性への憎悪が増幅したのである。その記事をどうしても見つけられない今「夢で読んだんじゃない?」と言われても仕方ないが、そんな結果が出るなんて、私は、夢にも思っていなかった。ちゃんと言葉を話すことができて、学校なり会社なり社会に出ている人間が、不当な理由で女性を蔑視するのはよくないという文脈を理解できず、さらに攻撃性を増したのである。

※ 2019/3/23 追記: 該当記事が見つかり、一部記憶違いもあったのでこちらの記事にまとめています。申し訳ございませんでした。

また、こんな意見もある。

女性を憎悪する男性を指す「インセル」について取材したHUFFPOSTの記事で、ノーザン・イリノイ大学カンセリング学部長のスザンネ・デッゲス-ホワイト氏は、恋愛や性的関係の文脈で起きる差別についてこう述べている。

男性は拒絶を、自分の男性らしさに対する挑戦、もしくは自分の社会的立場に対する侮辱と受け取る傾向にあります。一方、女性は拒絶されると感情的に傷つく傾向にあり、自分に何か足りないものがあったから拒絶されたんだと考えがちです。そして女性は拒絶を"乗り越えよう"としますが、男性は"借りを返す"必要を感じます。

これは関係性のある異性との話ではあるが、相手の尊厳の扱い方という広義で見れば、前述の調査と同じものがあるのではないか。

調査では、すでに備わっている意識(女性嫌悪・女性蔑視)に対して、参加男性たちは「NO」を突き付けられた。つまり、拒絶された。それを彼らは侮辱ととらえた。「乗り越える」ではなく「借りを返す」ために、憎悪が増した――という構造と言えるのではないか。

それが真実なら、冒頭の事件の加害者も、性接待をほのめかす権力者も、電車でスカートのなかに手をつっこむ変態も、無意識でデートDVに及ぶ彼氏も、もう変わらない。どんな崇高なレクチャーを受けても、被害者の生々しい話を聞いても、一生そのままだ。彼らの「女性の尊厳を軽んじてもよい」という意識、そのハードルの低さは、改善されるどころかより低くなる一方ということだ。

そして、私にはその調査結果に納得してしまう経験もあった。

わかってくれなかった"大卒"彼氏(29)

26歳のときに付き合ったSさんのエピソードだ。

Sさんは、当時29歳。最終学歴は大卒(偏差値60くらい)。そこそこ大きな会社に勤めていた。ライフワークバランスが明確な人で、休日は京都の寺社巡りをしたり、年末年始休暇はひとりで海外旅行をしていた。ちなみに、愛読していた雑誌はBRUTUSやDiscover Japan。一言で言えば聡明な人だった。

そんな私生活が充実している彼とは対照的に、当時私は、下請け会社で馬車馬のように働いていた。残業は月120時間。業務量の多さに加え、すぐ祇園に遊びに行ってしまう社長の代わりに徹夜で仕事をしたり、その社長のミスを代わりにクライアントに謝罪しに行ったりと、それはもうぐちゃぐちゃだった(今では笑い話)。

そんな生活を続けるうちに、私はPMSをこじらせるようになった。

PMSは、日本語で生理前症候群と呼ばれるもの。生理前に起こるイライラ、腹痛、眠気、頭痛などの不快症状を指す。私の場合はメンタルに影響があり、2~3日にわたって抑うつ状態になっていた。集中力が低下して無気力になり、理由もないのに涙が流れ続けるといった状況だった。

そうなると仕事が手につかない。効率も悪い。ミスが続く。そして、自己嫌悪に陥る。普通に働くという、ただそれだけのことがなぜ私は、この体はできないのか。

だけど嘆いているだけでは始まらない。そうして私は初めて、婦人科に行ったのである。

PMSの軽減は、地道な生活改善、食事療法、漢方などさまざまな方法があるようだが、私が選んだのはピルだった。男性は(もしかしたら女性も)ピル=避妊と思うかもしれないが、PMSや生理痛対策にピルを服用する女性はとても多い。むしろ、私のまわりでは避妊目的でピルを飲んでいる女友達はおらず、生理痛がひどいために飲み始めた人しかいない。

ピルには2つの分類がある。避妊を目的とするOC(低用量経口避妊薬)と、子宮内膜症などを含む疾患治療が目的のLEP(低用量エストロゲンープロゲスチン)だ。私に処方されたのは後者の「ヤーズ配合錠」というピルだ。そのため、避妊目的の患者には処方しない、というような説明を医師から聞いた。避妊できないというわけではないようだが、避妊成功率がどのくらい違うかは知らない。そもそも、それは私にとって必要な情報ではなかった。

ピルを飲んでいるという事実は、私には、ポジティブなことではなかった。本当は、飲まなくても平気な自分でいたい。毎日、普通に仕事ができる自分がよかった。ピルは、思いどおりに動かない自分の体に対する、悔しさと苦しさの証だった。服用している間、私はそんな感情とずっと対峙し、戦っていたのだ。

ピルを飲み始めたことは、彼には言わなかった。避妊目的でないのだから当たり前だ。しかし、2ヶ月ほどたったある日、自宅のデスクに置いていたピルを彼が見つけた。そして、「なんや、ピル飲んでるんやん」と言った。フィルターがかかっていることは承知だが、彼の表情は嬉しそうに見えた。

そして、その日から彼はコンドームをつけようとしなくなった。そのたびに私は彼に「ちゃんとつけて」と伝えるのだが、その次からまた、忘れたふりなのかなんなのか、とにかく、つけようとしない。とても腹が立った。

だけど、私たちは言葉を持つ人間である。怒っていても解決しない。話し合いが必要だと思った。そりゃあナマのほうがいいだろう、でもこれはそういうことではないんだと、きちんと伝えなければいけないと思った。そして、きちんと言葉にして、順序立てて説明すれば、わかってくれると思った(心の底から納得できるかは別にしても)。

彼にはまず、そのピルは避妊目的のものではないということを伝えた。それは、私の心情的にも、法律的にもだ。

そして、私にとってピルは、PMSで苦しんでいることとイコールなのだから、その苦しみに対して「ナマでできてラッキー」と思ってほしくないし、「別にいいやん」と軽く考えないでほしい。あなたはあなたで、ちゃんとコンドームをつけるべきだ、とはっきり伝えた。

だけど、何も変わらなかった。

自分より年上で、聡明で、短大卒の私よりも学歴があって、そこそこ大きな会社で働いて、はたから見たらスペックの高いその人が、私が言った日本語を理解できないわけがないのだ。だけど伝わらなかった。何度、どうやって訴えても、彼は変わらなかった。

彼のポーチから、コンドームが出てくることはもうなかった。

真の加害者は彼ではない

成人になってからの性教育は手遅れだという調査を見たとき、私が思い出したのはその彼とのことだった。そして彼の言動に納得した。

どんなに勉強ができても、立派に社会参加していても、若いときにきちんと性教育を受け、他者、とくにパートナーの尊厳の扱い方を学んでいなければ、軌道修正はできない。そして調査が真実なら、軌道修正しようとしたそばから状況が悪化するおそれもある。

そう考えたときに、私の心にはこんなことが浮かんだ。

「私があんな思いをしなければならなかったのは、誰のせいだったんだろう」

もちろんそれは彼だ。それは、わかっているのだが……。

JASE発行の「現代性教育研究ジャーナル vol.87」によると、文部科学省の学習指導要領では、中学1年生のときに以下の内容を教えることになっている。

身体的な成熟に伴う性的な発達に対応し、性衝動が生じたり、異性への関心などが高まったりすることから、異性の尊重、性情報への対処など性に関する適切な態度や行動の選択が必要となることを理解できるようにする。

しかし、自分の実体験や、#MeTooを通して表面化するさまざまな性暴力事件からは、加害者男性たちがこの学習内容をしっかり理解して大人になったとは到底思えない。それを裁く司法も、それをとりまく世論もだ。

実際に、「現代性教育ジャーナル vol.36」では、埼玉大学教育学部教授 田代美江子さんが、学習指導要領は極めて表面的であり、明確な内容を示していないことを指摘している。

その性教育で形成された意識が、加害者を作り出し、被害者を生み出す。事件が起きてから加害者を更生しようとしてももう手遅れ。その間にも、加害者予備軍は増えていく。負のスパイラルだ。

彼もまた、そんな性教育の被害者なのかもしれない。そして、私を傷つけたのは彼ではなく、不備のある性教育を見過ごした、前時代の大人たちなのではないだろうか――と思うようになった。

2017年に開催された「MOA大学」特別講義vol.2で、落合陽一さんがこんなことを言っていた。

僕らの周りは「キミたち、あとのことは知らない。僕らは死ぬから、よろしく」みたいな無責任なおっさんばっかりじゃないですか。そんなの関係ないので、どうやったらテクノロジーで解決できるかだけを考えよう。

もちろんこれは、性教育の文脈ではない。ただし、無責任な前時代の課題をどう解決するか、そうして社会を良くしていくかという点で、性教育も同じなのではないだろうか。

私も加害者になるかもしれない

この記事は、私が被害者目線で書いているように映るだろう。しかし、私も加害者になりうる、と自覚している。

もし、次世代の子たちに、私と同じ思いをする子がいたとしたら。理不尽な性暴力によって追い込まれたり、命を絶ったりする子がいたとしたら。それは私を含めたこの世代の責任であり、私は加害者なのだ。

というわけでタイトルに戻るが、すでに歪んだ意識が形成された成人男性には、性教育は手遅れであることが多い。もちろん、起きた事件はそれごとに真実を暴き、司法や社会が裁くことをやめてはいけないが、それは根本的な解決にはならない。

私たちが注力するべきは、次世代の性教育だ。被害者を生まないという意味でも、加害者を作らないと意味でも、長い目で見て社会全体を変えていくという意味でも。

そして、今の性教育を表面的なものではなく、実質的なものにするために、できることを探していかないといけない。

……と、口先だけではどうにもならないのは重々わかっている。性教育の現状も、問題点と改善点も、どんなものが効果的なのかも、本来ならば合わせて記事にするべきところだが、それができていないのは恥ずかしい限りだ。

ただ、準強姦事件に無罪判決が出るという出来事は、私にとってとても衝撃的だった。また、時を同じくして韓国では、アイドルたちが性暴力事件をきっかけに相次いで芸能界を引退している。そのタイミングもあり、さまざまな思いが深まって、一度文字に起こしたいと思った。

#性教育 #性暴力 #教育 #ジェンダー

P.S. 性教育は現状、保護者からの反発などもあって難しくなっているとは思うんですが、個人的にはこういう(↓)議論を見せるのもありだと思う。落合さんの言うとおり、エロを特別視することから歪んだ意識が生まれる。すべてはコミュニケーション。そして、パートナーへの尊厳なしに、コミュニケーションはとれないはずだ。

TOP PHOTO: ©T. Chick McClure on Unsplash