暴走族の少年 と 私の共通点
課題が解決しないときは、自分を客観視できていない(引きで見れてない)可能性がたぶんに秘められていて、パニックをおこして全体をみれていなくて(ここでいうパニックっていうのは、はたからみたら冷静にみえるんだけれど、本人のこころのなかでパニックをおこしている状態も含んでる)
冷静にかんがえると、後から見てみると、
常軌を逸しているような選択をしているということは
よくあることだった。
自分の「こわい」と言う感覚が、
選択のための客観性を遮っていることが往々にして、ある。
または「きらい」と言う感覚が、選択を狭めている。
「きらい」という感覚もたどっていくと
けっきょく「こわい」に辿りついたりするんだけど。
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たとえば、恋愛。
わたしは2回結婚して、そして離婚している。
2回ともわたしはその結婚を「失敗している」のだけれど
(もちろんそのプロセスのなかで、出会った人や起こった出来事に感謝していることもあるし、結婚してよかったと思う出来事もあったけれど敢えてここでは言う。失敗だったと。)
わたし自身の、
ちいさいころから男の子にいじめられてきた、
いやなことをされてきた、
きらわれている、という思い込みも含む問題、
身近な男女のロールモデルである
父と母の関係性の問題に絶望していたという問題などを抱え、
重ねて自分が女性で在ることに対しての劣等感、嫌悪感、あきらめ、
などなど・・・・・・が数えきれないほどに漆塗りのように幾重にも塗り込まれていたので(もう何色なのかもわからない)
「恋をする」という選択をするときに、完全に身体感覚から、思考回路からが、すべてバグる。(=もはや自分ではない)
「恋はするものじゃないのよ。“落ちるもの”なの。」
と信じて(誰なの?)
なんていうか恋愛っていうのは高所から飛び降りるかのような
スリルと盲目さと覚悟
その三点でしか、突き動かされない麻薬のようなものだった。
で。選択。(結婚するパートナーとなるひととの出会いにおいて編)
恋愛における選択。
これは、周りの女の子がよくしている冷静で客観的な選択、
「結婚するなら、精神が安定していて、お金が安定していて、環境が安定している」ひと。
みたいな戦略的なものはほぼ横において、
私の場合
「運命」「偶然」「タイミング」
みたなものに全権を委ねていた。
私は、「安定」みたいなものをガン無視して、
ある意味、暴走族の少年のように、思い切りアクセル全開、
はたからみたら、「そんなにアクセルふかして思い切りアドレナリン出したら、ふつーに事故って死ぬかもよ」
バイクの少年にはそれを冷静に客観的に合理的に説明することができるはずなのに
同じことをしているわたしは私自身にそれを伝えることができなかった。
ひとりめのパートナーに出会った頃、
彼が運命の人。って想って気になり出して、彼と結婚することに決めた理由は出会った日に、私は彼と
「同じ夢をみていたこと」
だった。
(ちゃんとオチまでついていて、結婚した後、彼に言われた。「俺そんなこと言ったっけ?」まじですか。)
けどあれから年月を重ねても
私は恋愛においてはその選択のパターンをずっとくりかえしていて、
人生が好転しない理由にもなっていた。
そんな暴走族みたいな恋愛してたらそりゃあ、
事故って死ぬよね。
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