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テレホーダイと就職活動

大学2年の時、初めてのパソコンを購入した。Macintosh LC630。メモリ8MB、HDD256MB。あれから25年近く経ち「ギガ」や「テラ」なんて聞いたこともない単位が当たり前になってきた。今やギガは増えたり減ったりするのよ!未来よ!!

大学のインターネットアカウントを手に入れ、インターネットの世界に足を踏み入れた。ぴ~ひょろひょろとモデムが鳴けば、たちまち山奥から世界につながる。そのうちにテレホーダイという23:00から6:00まで定額つなぎ放題というサービスが始まった。日本中にネット廃人増殖。

という私も、もともと夜型人間だったこともあり、すっかりはまってしまった。授業の予習をしているかたわらでネットにつなぎ、今ではどうしてそこにたどり着いたのか覚えていないチャットルームにログインする。そこに集まった人たちと毎晩たわいもない話をする。

もちろん皆知らない人ばかり。大学生、会社員、自営業、年齢も様々、住んでいるところも様々。研究室しか行っていない私にはとても楽しいところだった。毎晩毎晩何時間もチャットをしていると、とても親しい友人になってきた。スマホもSNSもまだなく、パソコンとモデムを買って自分で接続・設定をし、掲示板やチャットを見つけてたどり着いた同士である。(言い過ぎだし、内容はインターネット老人会)

そうこうしているうち大学4年生になり、卒業後の進路を考えなくてはいけない時期がやって来た。同級生の数名は就職を決め、また数名は大学院への進学を決めていた。私はというと、就職にはピンとこず、大学院進学も考えたが、金銭的に難しく、なにより大学院のレベルについていく自信がなかった。そんな感じでフワフワしている間に冬が来た。(どれだけのんびりしてたの?)

卒業後の進路は決まらないが、あいかわらず毎晩チャットには参加していた。ある日、現役SEのAさんに「SEになれば?」と言われた。システムエンジニア(SE)といえばコンピュータの仕事だし、工学部などを卒業した人の仕事だろうと全く眼中になかった。しかし当のAさんは法学部卒業で、職場にも文系卒業の同僚が多くいるということだった。

なるほど!
システムエンジニアか!
自分で買ったMacintoshをいじるのも好きだし、研究室に1台だけあるWindowsマシン(たぶんWindows3.1)での冊子編集の担当も好きで立候補したし、大学のメールサーバに接続して研究室全員のメールアドレスを管理する担当も楽しかった。できれば外出したくない性格だし、もしかしたらそのうち在宅勤務とかできるようになるかもしれない!

SEの具体的な仕事の内容はほぼ思い浮かばないが、「それはいい!」と思い立ち、そこから就職できる会社を探し始めた。

インターネットが爆発する少し前。プロバイダ会社が数々立ち上がり、インターネットを使ったサービスやシステムが人々に少しずつ広がりはじめている。そんな時代だった。

だが、すでに12月。近場の会社はもう新卒の募集が締め切られている。今とは比べ物にならないほど情報の少ないインターネットを駆使して面接が受けられそうな会社を見つけた。東京の会社2社。1社は23区内にあるWebコンテンツ制作会社で、もう1社は郊外のF市にあるシステム関連の会社だった。

自転車で15分の高校に通い、原付5分で大学に通学していた私の第一希望は郊外の会社の方だった。だって通勤電車が怖いから。

もうはっきりとした時期は覚えていないが、卒論提出後に東京へ面接へ行くことが決まった。そのことをチャットで報告すると、その機会を利用してみんなで東京で集まることになった。ネットで知り合った人と会ったら危ないのでは?という気持ちはなく、それはそれでどうなのかな?とも思うのでお勧めはできないが、とにかくその段取りが整えられていった。

一本の同じ新幹線に、広島から、大阪から、名古屋から、続々と乗車し、「はじめまして!」と初対面のようなそうでないような挨拶をした。今考えるとミラクルな出来事だと思う。東京に到着し関東組と合流。総勢何名になったのかな?面接に行ったのか、オフ会に行ったのか分からないほど楽しかった。

ま、主の目的は面接なわけで、1社目、F市にある会社を訪ねた。行ってみるとマンションと言うかアパートの、その一室だった。イメージしてた「会社」と違う気がするけど。

8畳ワンルームの部屋で面接が始まった。社長はスキー旅行に行っているということで常務と話をした。事務所は狭いが社員は数十名おり、その大多数が同じ市内にある大手電機メーカーに出向しているということだった。「出向?」よく分からないが、そんなこともあるのだなぁと納得したふりをした。面接と言ってもほとんど世間話をし、インド哲学って?と聞かれたのでインド哲学の話を結構したような気がする。私のコンピュータに関しての知識やスキルについて尋ねられてもほとんど答えられない状況だったがは、なんと常務は面接の最後に「うちに来るつもりがあるなら来てもいいよ」と言ってくれた。

これは採用ってこと?これで終わり?と思いながら、まぁ採用っぽいのでと、2社目の面接の予約をキャンセルした。だって通勤電車が怖いから。ということで、就職活動はあっという間に終了。

面接終了後、皆とまた合流し、遊んで帰った。

この時チャットで知り合った人たちの数名とは今でも友達だ。私と同時期に大学生だった人は、私の翌年に上京しやはりSEになった。彼は同じチャットで知り合った人と結婚し、今も幸せに暮らしているんじゃないかな。コンピュータの事を何も知らない私がSEしているのを見て、「俺にもできる」とSEになった人は、今やすっかりベテランエンジニア。名古屋で患者会の総会があった時、気軽に「手伝いに来てよー」と言うと本当に滋賀から駆けつけてくれた人も大切な友人。最初に出てきたMacintosh LC630は彼に引き取られていった。Web制作会社をしている人のオフィス兼自宅にはしょっちゅう遊びに行っていた。いろんな相談事にのってくれる兄貴分のような存在だ。

彼ら以外に東京には知り合いがおらず、まぁ彼らがいなければ東京に就職することもなかったわけだけど、彼らが東京での私の友人たちだった。同級生や同期など分かりやすい記号のような共通点はないが、気が合う友人たちだった。いまだに数名とはつながりがある。もう知り合って20年が経っているのでもはや旧友と呼んでよいだろう。

私は東京に4年間いた。その間、仕事以外の趣味らしきものを何一つ持っていなかったし、元来外出が苦手な性格も手伝って、東京に住んでいる恩恵を全く受けない生活をしていた。思い出の東京の景色も、家と駅までと仕事場以外ほとんどない。だから、彼らと仕事。これが私の東京生活の全てだった。

そんな感じで、コンピュータのスキルゼロ始めたSEが順風満帆ははずはなく、苦難の道だったし、結局あれほど嫌で避けたはずの通勤電車にも乗らなきゃいけなかった。

またそれは別の話で。

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