謝り方を間違えるメンヘラ達

随分前、もう10年位前になるが、私はいわゆる「メンタル」な人だった。
その頃流行っていた(ブームも終焉頃?)AC(機能不全の家庭で育った大人)という概念がまさに自分にピッタリで飛びつくように、貪るように原家庭のルールや規範、ものの見方、考え方などについて本を読み学びまくった。そして、ようやくそうしたものを外側から眺める事がやっと出来るようになった。要するに3人称の視点を持つ事ができるようになった。

その頃は混乱もあったし、「宗教のように信じていた家庭」での振る舞い、、もののありかた、考え方、反応等が全て「刷り込み」だった事への驚きや、その事を失って生きる心細さに支配されていた。

しかし、それにも慣れた。心は自由に自分が思索したい事を考えられ、その視点は常に複数になった。そうなる事で見えるものも出来てくる。視点を変える事の大切さをほんとうに感じた。
心の中で何を思ってもそれは自由だという事もわかった。
自由なので、行動化しなければ何を思っても良いのだという事も…。

まあ世の中には
「メンヘラー」=弱者
「メンヘラー」=ピュア・天然

と考える風潮もあるが、(無い場合も)実はメンヘラの中には闇が大きすぎて超高慢ちきな人たちもいる。
今日はそうゆう人の話をしようと思う。


私はそうゆう人たちを「中途半端」メンヘラと呼んでいる。
前出したACの教えの中には「底をつく」という言葉がある。そうゆう人たちは残念ながら、社会や周囲に救済され続けているので、底をつかない。底をつかない事は逆に不運でもあるのだが、底をつかないので、自分が全身全霊で自分の事を考える機会を喪失している。

そして大体の人は確かに「生きづらさ」を抱えているのだが生きづらさ故か、「メンヘラ」という言葉の持つ許容性というか、「ヘラ」る為の言い訳が欲しいという人が多い。


心の底から「ヘラ」らないようになるために何を犠牲にしても頑張るという人は少ない。(本来はそれが目的なのだ。)


いや、最初はそうでは無かったのだが、「ヘラ」っているうちにそこが心地良くなってしまった人たちもいる。


そうゆう人たちに共通して言えるのは以下のような特徴。
「際限が無い」
「回復しない」
「回復しようとしない」

ちゃんときちんとした専門病院等を訪れる等の(いわゆるめんどくさい)回復に向けた本気の動きや態度が見えない。

病院をはしご。気に食わないドクターや回復者に会うと自分の持論を押し付けるだけ押し付けてそのまま逃亡する。
病院にちゃんとかからずにカウンセリングだけを受けている。ちゃんと治ったというお墨付きをきちんと病院から貰わない等

とにかく「中途半端(エセではない)が多い」

こうゆう人がやっかいなのは、ある程度の知識や経験は持っているのだが、それが全く深く無い事だ。要するに他人から聞いたままなのである。自分の経験とその他人からの教えや指摘や回復の為のアドバイスをちゃんと重ね合わせない。「あれはこうゆう事だったのだな」という自分の経験からくる「腑に落ちる」という実感がなく、きれいな言葉の上澄みだけをすくって使っているような人も多いのだ。
そしてそれをそのまま鵜呑みにする。だからスピリチュアル系に行ったりはやりの「発達障害」「LGBT」などへ分化していく人たちが多い。(まあそれはそれで別に私には関係ないのだが、とにかくそうゆうメンタルの潮流を追い続けている人が多いのだ)

何故に自分が「メンヘラ」と関わり続けているのか?
何を回復と定めるのか?
自分の抱える症状の何を治したいのか

これらが全く見えてこない上に、「自分で考えようとしない」。

ただたんに原家族での満たされなかった欲求や思い込みをこちらにぶつけてくる人たちもいる。

なので私はさっさとメンタルな人である事を「放棄」した。
もうメンタルな人たちを関わるのを辞めようと何度も思った。

が、メンタルな人というのはやはりどこか少しメンタルが弱いものなのだ。
もともとあまり強くないメンタルにさらに生育的に負荷がかかっており、また性質的にもいわゆる「パリピ」では無い。
だからどうしてもちょっと凹んだりするとどこかでこの話をシェアしたい。
仕事してるから、ミーティングに通うのも億劫だ。
等という気持が湧いたりして、思わずインターネットなどにある「メンヘラ」の扉を叩いてしまい、痛い目にあう事もあるのだ。


さて、私には1年弱位前から、連絡を取りたいと言って来た男性がいた。
この人を「メン君」と呼ぶ事にする。

年齢:40代(多分後半)既婚
仕事:自営(ものづくり)
家族:(男の子2人)

プロフィールはざっとこんな感じ。

その人はそうしたACや断酒会が発祥となっていると言われている「ピアカウンセリング」を模したオンラインの「ミーティング」を開催していた。(しかし参加して思ったのは、メン君劇場という事だった。そして参加者にも彼と似たタイプが集まっているように感じたので自分は興味を失ってすぐに辞めてしまった)彼はこの場所の事を「自助会」と呼んでいたので、オンラインのミーティングだと勘違いしたのは私のミスだった。しかもだ。このミーティング純然たる「言いっぱなし」「聞きっぱなし」では無かったので、当初面食らった。素人が素人判断で、誰かの問題に相談に乗れるほど簡単なものではないのではないか?というのは経験し回復した私の感想だ。それに加えて結局病の中の人たちなので、まずは自分の気持に気づいて無い人ばかりだ。自分の気持ちとは前出した

何故に自分が「メンヘラ」と関わり続けているのか?
何を回復と定めるのか?(どうなりたいのか?)
自分の抱える症状の何を克服したいのか?

これらが全く分からない。参加の目的と回復の意欲並びに問題への探求をしようという気持ちじたいがそもそもないのである。

もちろん初回参加したときには、自分の問題や気持ちに気づいてなくても良いのだ。しかしミーティングとは気づく場所なのである。
全く違うがどこか「似たよう」なパターンの話の中から、自分に当てはまる事を捜し、内省する。
いわゆる「人のふりみて自分を治せ」なのである。

(しかしそれが無いうえに素人が自助会と称して誰かの問題について指摘したりするわけである。これでは素人の生兵法だ。これがきっかけでフラッシュバックが起きてしまい、自殺などの可能性が出たらどうするのだろうかと本気で心配になった。)


私は実はこの自分の気持に気づいて無い人ほど厄介なものは無いと思っているし、メンタルの問題とはそれに気づく為の道のりであるとも思っている。しかしそれに気づくのが怖い、面倒臭いという人たちは厄介だ。


なのでできれば「メンヘラ」特に「ヘラ」るのが大好きな人達とは関わりたくないと思ったのだが、先方から連絡を引き続き取って時々話をしたいと言われた。


メン君は自分もかつて私と同様に12ステップグループ(AC)に元々通っていた事や、途中(いわば中途半端)でそうした所から抜けて他の考え方や心の沈め方等を学ぶ機会を得て他の先生の所へ行った等の話しを聞いていた。

若干「スピリチュアル系」の匂いがあり、かつ「幽霊」等を信じるタイプのような印象がある。

自分の事を褒める事が多い。
過去の栄光等を延々と話す。(同じ話を何度もする。音楽家も作れなかった楽器を自分が作った話はもう5回以上聞かされた←嬉しかったとしてもだ、お前は私の子供かよ?と思いましたとも)

実はこの時点で私は彼にほとんど興味がなかった。
このミーティングをいかにして、やんわりと辞めるかについて考え続けていた。ただ、人生をかけて、精神的成長を目指しているのだろうと感(違い)じていたので、同胞意識はあった。

だが、人として魅力があるかといえば、なんとも箸にも棒にもかからない印象だった。

そうじゃ無ければミーティングを自分から抜けたりはしていない。しかもメンくん、私が通っていたクリニックに通院していた過去があるようだったのだが話して行くうちに彼の通っていた所と私の通っていた所は本当は別の所だった事が後々彼の話しからわかってくる。


話の内容が微妙にそれるし、病院名が違う(その病院の下部組織のカウンセリングであり病院事態ではなかった)事に気づいてはいたのだが、黙っていた。


彼の話しを総合すると、私のかかっていたドクターに彼はかかっていない。

私は「医療」としてのクリニック(病院)に参加していたのだが、(そしてほとんどデイケア等にはバカバカしくて行かなかった。それでなくても毎日憂鬱で仕方無いのに、憂鬱な人と一緒にデイケア出たりしても、全くもって良くなるとは思えなかったのだ。)
その方ではなくむしろ「カウンセリング」やデイケアへの参加だったようだ。

彼と話していて、一度も投薬等の話しは全く出た事がない。(私は投薬治療を受けていた)

さて、そんな私に連絡を取りたいと言って来た「メン君」。
彼に関する話しは同じマガジンにも入れてある。


私の印象としては、若干浮ついた所があり、ネットという対面のコミュニケーション手段とは違うコミュニケーションにおいても少し「想像力」の欠落した部分があるようなタイプだった。


当初なにせこんな私の事を

「凄い、凄い」
「大好きだ」
「友達がいないので長い付き合いをしたい」
などさんざんと褒めちぎって来た。

閉口するのは
「貴にはいつか会いたい」
「近ければ一緒に遊べるのに」
「いつかお会いできるようになりましょう」

等と恥ずかしくなるような事を平気で口にする事だった。

こちらは全く会う気もないので、
「ははーそうですねー。」
と答えていた

そもそも彼は何も私の事なんて知らないのである。
私の事を知らないのも無理は無い。


何故なら彼と電話をしてると、8割から9割彼がずっと自分の○とも△とも付けがたり愚痴まがいの事をずーっ説明等を交えて話し続けていたからだ。
私があまりに暇なので、彼が一体何分話をしたら話が止まるのか時計で測った事がある。PCについているタイマーだ。
なんと彼はいきなり連絡してきて、お互いの状況を話す事もなく、70分ちかく自分の愚痴を説明し続けた。
面白い訳がないのだ。

それらは

私の知らないメン君のご近所さんや子供の学校のボランティアであった事。
自分のしごとの師匠みたいな人とのトラブル
過去に出会った友人とのトラブル
自分が取得しようとしていた国家試験(怖い?)のプレッシャーなどなど。


そんな自分の心の「ゆらぎ」みたいな事をもうのんべんだらりと話してくる。。
これはあれなのかな?
いわゆる主婦の
「井戸端会議!?」
と思った事もあった。


私は「ブレンストーミング」でも無い限りそうした「のんべんだらり」と話しをするのは苦手だ。
同じ何かをしていたり、協力をしているフェーズでそのあたりにあるものを手分けして作業する為のコミュニケーションなどには困った事は無い。
だが、結論の無いような事をずーっと何を言いたいのかはっきりもわからずにずーっと70分聞かされる方の身にもなってほしい。


こうした人たちの自分の思った事を脳内で思考化(言語化)出来ないというのは脳の使い方がまだ成熟していないと思ってもいる。。
若い頃はこうした事が私にもあったのだが、今はこうゆう事はなくなってきている。
また、話しをまとめ人にわかってもらいたいとおもってもほとんど良くて半分、悪ければ1/3も伝わらないという事を知っている。


脳の数だけ常識はあるのだ。
そして時間は有限では無いのだ。
特に他人の時間はだ。

これは私がACに携わった頃に良く言われた。
だからカウンセラーは時間買いなのだ。


人は他人とコミュニケーションを取るとき、何を表現して何を表現しないかを決めるべきなのだ。
そしてそれに自分で責任を持つべきである。

そんなメン君はもともと「AA」に通っていたそうだ。
「AA」=アルコホリック・アノニマス
と言われている。
ここいらの詳しい話しを彼は全くしない人だった。
私はAC(子供時代を機能不全の家族で過ごした大人)である事を名言してそのていで、そこに参加していたので、(これはこのACという言葉の発生から歴史について語る時非常に関連のある事柄で大事な事なのだが、)彼がその辺りの事をあんまり語らなかった事に常に違和感を感じていた。


私はその時気づくべきだったのだ。
彼はAAという肩書についてはどうでも良いのだという事に。
要するに「ヘラ」りたいし、自分の気持ちを自分で思考して、自分で決着をつける為に他人の脳を利用しているだけなのだ。


しかし私は愚かにも同じ12ステップという自分を振り返る為のステップを通じて過去の過ちにケリを付けた人だと勘違いしてしまったようだ。


ちなみに、AAとはアルコホリックアノニマス…いわゆる「酒」の飲み方に問題がある人達の集まりである。

メン君は全く飲まない日もあるらしい事は知っていたが、とにかく酒にまつわるトラブルに事かかないようだった。
そして「嫌な事があると酒に逃げる」ようだった。

これは酒を飲む、飲まないに関係なく、良くない酒の飲み方である事は世間にもそしてAAの内部でも知られている事だ。でもそれをしていた。


メン君は結婚していたが、奥さんが難病で車椅子生活でそれを介護しているらしかった、それでストレスが溜まり終末飲むようになった。と言っていた。


少なくてもだ、私は嫌な事があったら「酒」は飲まない。
嫌な事を忘れる為に、眠る為に飲む酒が「依存」になる事を知っているからだ。

しかし元々「AA」に通っていたと主張する彼は
”嫌な事がある”と「酒」をのみ、私が知っているだけで、1年の間にそれで2回ほど失敗していた。

1回目:10年前から知り合いの淡い恋愛のようなでも恋愛で無いような女性がいたらしいのだが、その女性に自分が奥さんがいるにもかかわらず、どうも良からぬ劣情のような、そうで無いような気持というか関係が出来上がってしまい、火遊びで遊んだ若い女性との裸のツーショットを送ったのだという。(呆れてものも言えなかった。)

2回目:そして、そのあと、子供のボランティアで出会った同級生の親ごさんたちと打ち上げと称する飲み会でまた若い女性教師に非常にわいせつな言葉を吐いたり、酷い事をしたらしい。しかも記憶を飛ばしたんだとか…。

約1年弱話しをしてきて、話した事がこんな事ばっかりである。
彼の問題には共通の事柄が見え隠れしていた、

1:アルコールの問題
2:性欲の問題

である。


そして今回私は彼といさかいになったのだが、(まあそれで連絡出来ないようにしてしまった)簡単な経緯は以下の通り

私)私がやられて嫌な事を指摘もう二度とやらないでくださいとお願いした
彼)彼がすぐにその約束を破った(理由があったようだ)その理由を言い訳
私)何んらかの事情があったのなら、そうその時点で言うべきだと指摘、後から言うのは「言い訳では?」と指摘
彼)言い訳+謝罪
私)謝罪に言い訳はいらないと指摘(この時にこの人は「謝り方のプロトコルを理解してないとわかる」「さらにマウンター」だという事も)
彼)言い訳+謝罪+こちらへのなんだか訳の分からない決めつけや、ジャッジメント
私)そして、謝罪以外の無用の発言はまずはいらない事を再度忠告(行動の問題だと感じた為にその行動を辞めた方が良いとアドバイスしたつもりだった)
彼)↑の私の指摘に対し顔文字で応じる
私)顔文字などを使ったりしてまで自分の「気持ち」にしかフォーカスできないのか?と驚く。顔文字などを入れれば基本的には余計相手の怒りを増長するのでは?と指摘。
彼)なんかごちゃごちゃとした「ジャッジメント」やマウントや自分語り。(このあたりで過去に聞いて来たトラブルもすべて彼の「マウント」依存が発端だったと理解。
私)最後に顛末を簡単にまとめ、もう二度とこの話をする気は無い事を伝える
  ▶事の発端は貴方が約束を守らなかった事。
  ▶小さな約束を守れないという事は大きな約束もまた守れない人だと
   思われても仕方ない事
  ▶メンタルを理由に接触してきたが、精神的に人として成長する為で 
   はなかったのか?私の貴方の行動に対する指摘は理解できないのか?

とだけ伝え、ブロック、削除ついでに利用していた通信ツール(Skype(今時w))の自分のアカウントを削除。
何故ならその人との連絡のためだけにわざわざスカイプを入れていたからです。


この流れでね、私が常に考えていたのは、相手がね、精神的に成長する為にこちらにコミュニケーションを求めて来たという事でした。
そうした私と彼との前提があったので、私はあえて、指摘をし続けたんですね。なにせ彼にとっても「ピンチはチャンス」な訳ですから。


この「ピンチ」(自分が約束を守らなかった)を「チャンス」に変える為に自分が何がよくなかったのかをちゃんと考えたらと思った次第。

そしてね、これが一番なんだけど、私はこのコミュニケーションの中で
「彼から面白い話しや為になる話しや私の困りごとを相談した事も無かった」んです」
彼から必ず連絡がきて、こちらからかけた事もなかった。

しかも時間さえこちらの指定は聞かれた事もなく、毎回23:00とか、寝てるだろって時間にかけてくる。
遠回りに言っても彼はその行動に気づかないのか、気づかないふりをしているのか天然なのかわかりませんが、全く相手の事を考えて無いですね。
(あ!メンヘラに天然多いです。天然ってのは自分の視界が非常に狭いから起きる事なんだろうと思います。第三者やその場の人の事をあまり考えられないです。)


結局ね、常に「自分の気持ち」なんです。
揺るぎようのない彼の問題はこれなんですよ。


まあね…こうゆう男子結構高齢の人には多いです。他人の心に寄り添え無い。
それよりも常にマウントですよ。
謙虚さのかけらも無い。

思い出して見れば常に自分の事を褒め称えていたように思います。

要するにね、
たった小さな約束でも約束した事は守らなければ信頼を損なうというその事をメン君は常に曖昧にしてきたんでしょうね。
まあ原家族に問題があるみたいだったから、それが原因なのかもしれません。
私はそれについて、彼と「精神的成長を目的とし」つながっていたと思っていたので、指摘を辞めなかった訳ですがつまんないし疲れました。


会った事も無い、既婚40代男性に全く興味無いです。
もしもコミュニケーションの中で私が彼に興味を覚えるような面白い事があれば別でしたが、中途半端な自慢話しが多くてへきえきしていました。毎回2時間位かな。
ずっと相手が一体いつまで話すのか時計をみながら適当に相槌を打っていたのですが、もうね、45分位しないと話しが途切れないし、話しが途切れるとそのままじゃって切る。


それで言った事がこれですよ。
「自分にはかつて非常に寄り添ってくれた女性がいた。それは前段で出たクリニックのカウンセラーだった。その方と付き合ってもいた。貴方はその女性のようだ。」
言わせてもらいますが、私はお給料をもらってメン君の話しを聞いていた、カウンセラーとは違いますし、彼女は仕事だから貴方の話しを聞き、嘘か本当か、付き合っていたのならば「恋人」だから貴方の事を心配したんでしょう。

最後に彼が入れてきた言葉
「もうやめましょうよ…」

いやだから辞めたいなら「黙れば?」
貴方が約束を破った問題を指摘しているのですから、
「ごめんなさい」
と伝えて暫くの間コミュニケーションを自粛するのが「謝罪」の態度では?
彼は言葉で「謝罪」は伝えられますが、「態度」では反対の事をしまくっているのだろうと思います。

彼が以前に相談してきた「息子の学校のボランティア問題」もそうでした。
もともとは彼が酔いつぶれすぎて、隣の若手女性教師にセクハラをしたらしいのです。(多分言葉などで)
しかしですよ。
彼がこれは絶対的に悪い訳です。

それでも私は彼をちょっとかばってあげようかなぁという話の流れから、
「いやしかし小学校のボランティアで夜中の11:30(彼主張)まで飲んでるってのもどうですかね?他の先生も同席という状態で?」
と私は言ったのですが、これを彼は学校やら、ボランティアの理事会投げたそうですよ。

酒飲んで帰りに転んでけがまでしてるんですから、とにかくセクハラも含めて自分の側が悪いです。
そこまで深酒しないでいる選択、
早く帰る選択
それらをしなかったのはメン君が悪い。
でも私がいらない事を言ったので、彼はそう提案した!
と意気揚々と言いました。

バカかと思いました。

怒りの感情が解けるのには時間がかかるのです。
謝ってごめんなさいって言ってそのまま仲直りして以前のようなニュートラルな感情に入れ替えできるほど人の感情や脳は簡単にはできていません。
だって民族同士で闘争してきた歴史があるわけですから、明日にでも寝首をかかれるかもしれない。
だからまずは、闘争するのをやめますというなら、その後自分が自粛する、少しの間相手の心をおもんばかるという事をすべきだと思うですね。
それができないうえにですよ、中締めしないでダラダラ飲むから自分がそうなった!と主張しているようにとられてもおかしくない発言をして、結局は自分が
マウント取りたいだけなんですよね。

でもねはっきりいいます。
メン君が悪いです。

約束を破った事も、
女性教師にセクハラした事も、
酒飲んで記憶飛ばした事も、
以前10年前から知り合っていた彼女に昔のワンナイトラブアフェアの時の写真送ったのも

全部貴方が悪い。
悪いうえに貴方は相手のあらを捜し、自粛して、相手の気持ちがニュートラルになるまで待てないし、待たなかった。
これが貴方の問題です。

心は崇高で美しい心根(私はそうは思えませんが)なのかもしれませんが、ここではっきりしている事は、

「貴方は謝罪の「プロトコル」:(手続き)を間違えているという事です。

要するにこんな事を1年続けて思ったのは…
もうACとかに関わるのやめようという気持が強化更新されたという事。

飽きれてモノも言えませんでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?