みこち

大学を出て、気づけば30数年…会社生活しながら5年前に父の介護(2017年他界)、今年…

みこち

大学を出て、気づけば30数年…会社生活しながら5年前に父の介護(2017年他界)、今年から母の介護が始まりました。自分の気持ちの整理の為に、同じ悩みを抱える誰かの為に、記録として書いていこうと思います。

最近の記事

新しい生活

2022年9月13日。 私の誕生日の翌日に母は亡くなった。 慢性腎臓病と10年間向き合ってきた母は、2年前に脳梗塞発症するまで ほかの病気を併発することなく生きてきた。透析患者にしては、珍しくも あるらしい。 とはいえ、今思えば、病院内や出先で車いすを借りることはあってもタクシーに乗るまでの距離は歩けてたし、自力でトイレに行ったりすることも可能 だったけど、いつの間にか、家の中でも車いすで移動する生活になっていた。 少しづつ体力が衰えていたのもあるけれど、最終的に母の命取り

    • 寄り添うことの大切さ

      母が人工透析を始めてから10年以上の月日が経った。その間、お世話になっている病院は変わらないものの主治医の先生は、何人も変わっている。毎回、今度はどんな先生だろうとちょっと緊張しながら、今思えば本当に病院のスタッフの方には恵まれた。 はっきり言って素人にはいわゆる「お医者さんの腕」の良し悪しはわからない。でも、一番大事なのは、患者の気持ちにどれだけ寄り添えるかということではないかと最近つくづく思う。 ちょっと前に普段の腎臓ではない分野の先生に診ていただく機会があった。母の

      • 頑固な母

        最近、趣味のレース編みを復活させた母。 楽しくて楽しくて頑張りすぎたらしい。 肩が痛くて腕が上がらないという。たまたま、このタイミングで、定期診療が入っており、血液検査で炎症の値が高いとでた。とりあえず、いくつかの検査をしたところ、特に腹膜炎(腹膜透析してるのでリスク高め)、胆石(石持ち)含め、内臓系には問題なさそうとのことで、整形外科の予約を入れられた。 そして、今日がその日。昨日の夜から、整形外科には行きたくないと言っていたので、嫌な予感がしたが、今朝になっても絶対に行

        • 母とレース編み

          相談があるんだけど… ある日母が言って来た。一日中やることがないので、いろんな番組をザッピングしているなかで、テレビショッピングもよく見ているので、また何か欲しいものがあるんだなと予測して話を聞いた。 また、レース編み始めようと思うんだけど… 私が一番待っていた言葉。退院してから暇だという母に何回か進めてはいたものの、納得のいく作品ができないのは嫌だと針を持っては、やめを繰り返していた。 ちょうど前の日にいつもの診察で病院を訪れた時に、先生から数値が戻って来てるから、

        新しい生活

          ハグ

          母が脳梗塞になってから、なんとなく性格が変わった気がする。子供っぽくなったような感じ。そのせいかわからないけど、よくお互いハグをするようになった。私からするのは、母の着替えを手伝った時。最後の締めみたいな感じでハグをして、背中をぽんぽんする。最初はなんとなくうっとうしそうに手を振り払ってたけど、最近はされるがままになっている。で、私が時々、あー疲れたとか言うと、ハグをしてくれる。 それまで、ハグなんてした記憶は、もちろん無い。うちは、割とドライな家族で、ザ日本人家庭なので、

          母の脳梗塞発症の日

          その日は突然だった。 夜7時からの透析を母は自分でやっていたのだが、その日は排液の出が悪いということで、私も一緒にその場にいた。最初2人で会話してたのだが、途中で母の反応がないことに気づいた。揺り動かしても反応が少ない。でも少し経つと反応はするようになった。だけど、言葉を発しなかった。これは明らかに脳の異変だろうと思って、名前を聞いたり、テレビの中の物を指差して質問したけど、考え込んでしまい、言葉が出てこないようで笑ってごまかしている感じだった。顔も半分が垂れ下がっている感

          母の脳梗塞発症の日

          母の趣味

          母は、何十年も前から、編み物が趣味だった。着る物も自分で編んだものばかり。ただ、やはり、大作は、時間もかかるし、重たいので、ここ数年は、ペットボトルカバーをひたすら編んでいた。おかげさまで、80を過ぎて、少しだけど、人様に買っていただけるようにもなっていた。 このペットボトルカバーが、いろんなご縁を紡いでいる。病院でもお世話になった看護師さんに、お礼に配ったり、電車の中で、隣に座った人にたまたま持っていたボトルカバーを褒められて、その人に、良かったら使ってくださいとあげたり

          母の趣味

          母と救急車と涙の夜

          その日は、朝から母の左足が思うように動かず、微熱もあった。でも、この症状は、よくあることで、2、3日すれば嘘のように良くなるので、今回もまたそれだなと思っていた。しかし、真夜中にトイレで、便座から車椅子に移る時に、うっかり滑り落ちてしまい、床から立ち上がれなくなった。熱があったので、身体に力が入らなかったのだろう。やむなく救急車を呼ぶことになった。 救急隊の人が来てくれてあっという間に母を担ぎ上げて車椅子に乗せてくれた。病院へ行こうと言うと、母は拒否。嫌な予感が的中した。救

          母と救急車と涙の夜

          誰もが直面する親の介護

          今から4年ほど前に父は他界した。 それより何年か前に大腿骨骨折をしてから、なかなか思うように活動できず、唯一の趣味の散歩もなかなか行かれなくなった。 デイサービスでは、俳句を覚えてきて、家ではよく図書館で借りた本を読んでいた。 父が倒れて救急車で運ばれた時、本人も私も母ももすぐ帰れると思っていた。けど、すでに重度の肺炎を患っていて、肺が真っ白だった。息苦しいとか具合が悪いと言ったことなどなかったのに、入院して2週間で逝ってしまった。 思えば、晩年の父とは、よく喧嘩をし

          誰もが直面する親の介護

          母と腹膜透析

          昨夜の地震で、東北の震災を思い出した人は多いと思う。私にとっては、もう一つ忘れられない記憶がある。 この年、母の腹膜透析が始まった。母は、長年の高血圧がたたって、腎臓の機能をほぼ失っていた。身体中に水が溜まり、浮腫んで、足などは、まさに丸太のようにパンパンだった。 おそらく肺にも水が染み込んでいたのか、夜も横になって眠らず、座ったまま寝ていた。横になるように言っても、恐らく息苦しくて、無意識に起き上がってそのまま寝落ちする…という状態だったのだと思う。 2011年の3月

          母と腹膜透析