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新しい生活

2022年9月13日。
私の誕生日の翌日に母は亡くなった。

慢性腎臓病と10年間向き合ってきた母は、2年前に脳梗塞発症するまで
ほかの病気を併発することなく生きてきた。透析患者にしては、珍しくも
あるらしい。
とはいえ、今思えば、病院内や出先で車いすを借りることはあってもタクシーに乗るまでの距離は歩けてたし、自力でトイレに行ったりすることも可能
だったけど、いつの間にか、家の中でも車いすで移動する生活になっていた。
少しづつ体力が衰えていたのもあるけれど、最終的に母の命取りとなったの
は、動脈硬化だった。

母の足は常に傷だらけだった。高齢者になると皮膚が薄くなって、また腎臓病患者には深刻な皮膚の乾燥からなのか、切り傷、擦り傷が絶えなかった。
血流不足から傷の治りも悪く、最終的にはこの傷からばい菌が入り、敗血症
になってしまった。

最近、俳優の渡辺徹さんが亡くなったが、榊原郁恵さんの記者会見で徹さん
の最期の様子が語られていたのを見た。母の時とあまりにも同じでびっくりした。入院するときはちょっと体調が悪いくらいで歩いて病院に入ったということだったが、母もそんな感じだった。でも日に日に会話が困難になって、私が会いに行っても意識が朦朧としている感じで、ICUで過ごして1週間であっけなく逝ってしまった。

おそらく、医学的に言えば、ここで乗り越えたとしてももう元の生活には戻れないであろうということだったのが、あとから考えればわかるし、今思えば、母にとって、せめて最期は母の望むようにという先生方の配慮があった
のだけれど、受け止めるのには時間がかかる。
いまこうやって書いているけど、涙が止まらない。

母の腎臓病について、ずっと書いてきたので、あえて書くと、母は死ぬその日まで腹膜透析を続けていた。最後は機械に頼ってではあったけど。血液透析に切り替えたけどうまくいかず、結局腹膜透析にしたらうまくいったらしい。
最後まで母を守ってくれた腹膜は想像以上に丈夫だったようだ。透析のおかげで母が望む生活をおくれたことは事実で、一番の趣味だった、手芸を最後まで楽しめたのは本当にありがたかった。

母が亡くなってまもなく4か月。早いといえば早いけど、その間にいろんなことがあった。あったというより、変化したのはある意味当然だ。
母が亡くなる前のことも含めて、少しづづ整理して書き綴っていきたいと思っている。

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