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シャバカ・ハッチングス(Shabaka Hutchings)から始める現代 UKジャズ 概論

※良かったら、こちら ↓ のプレイリストをBGMにどうぞ。

■2010年代に盛り上がり始めたUKジャズ

近年、UKのジャズが話題になることが増えている。マンチェスターのレーベルGondwanaからデビューし、ジャズの名門ブルーノートとの契約を勝ち取ったゴーゴー・ペンギンを筆頭に、Edition Recordsのようにフローネシスダイナソーエイヨルフ・ダーレガールズ・イン・エアポートをはじめとしたUSからは出てこないUKならではのジャズを生み出すレーベルも好リリースを続けていて、USのコンテンポラリージャズやECMのようなヨーロッパ・ジャズを見据えたサウンドが目を引く。

またWHIRLWIND RECORDINGSのように、USシーンで高い評価を得る若手/中堅を積極的に録音するレーベルがあったり、

ウィル・ヴィンソンジョン・エスクリートのようなUK出身のミュージシャンや、ドイツ生まれながらUKのシーンで経験を積み後にNYに進出したイングリッド・ラブロックのようにUSのシーンでも頭角を現してるミュージシャンも出てきたし、キット・ダウンズのようにECMからデビューしたものもいる。世界的に見て、今、ジャズに関してはUKは確実にこれまでと何かが変化してきて、盛り上がっているのだ。

一方で、UK国内はと言うと、ポーラー・ベアーアコースティック・レディランドと言ったUKのジャズロックの文脈を更新するようにジャンルを越境する先鋭的なグループが定期的に出てきていたし、

ジャングル、トリップホップ、ドラムンベース、ブロークンビーツ、ダブステップといったジャンルを生み出してきたUKのクラブシーンからはホセ・ジェイムスにも起用されるドラマーのリチャード・スペイヴンや、マシュー・ハーバートのバンドの鍵盤奏者サム・クロウのようなミュージシャンが出てきて、ジャズと交差していた。さすがはNINJA TUNEWARPの国だ。

ここにはシネマティック・オーケストラ周辺のミュージシャンの影響や、ファイア・コレクティブという教育機関の尽力もあると言われているし、TruThoughtsジャイルス・ピーターソンが運営しているBrownswoodのようなアシッドジャズやクラブジャズを受け継ぐようなレーベルの存在も貢献しているのだろう。

そんなUKにNaim Jazzというレーベルがある。E.s.t系譜のエレクトリックなピアニストのニール・カウリーや、トリップ・ホップの名バンドのポーティスヘッドのリズムセクションを中心に結成されたゲット・ザ・ブレッシングなどが所属している。最近では、バーレーン出身でUKで音楽教育を受けたトランぺッターのヤズ・アハメドをリリースしている。

■シャバカ・ハッチングスとサンズ・オブ・ケメット

その中でも以前からUKで注目されていたのが、ブラスバンド的な要素を取り入れたサウンドでUKの音楽シーンを席巻しているサンズ・オブ・ケメット。率いるのはサックス奏者のシャバカ・ハッチングスだ。

ジャイルス・ピーターソンが自身のレーベルのBrownswoodと共に仕掛けたUKのサウスロンドン地区の若手ジャズミュージシャンのコンピレーション『We Out Here』でも総合プロデューサー/音楽監督のような形で関わっている彼はこのシーンを象徴する存在だ。

そのシャバカ率いるソンズ・オブ・ケメットがジャズの名門インパルスから本作『Your Queen Is A Reptile』でメジャーデビューする。ゴーゴー・ペンギンに次ぐ快挙と言えるだろう

まずはプロフィールから。1984年、ロンドン生まれのシャバカは、6歳の時にカリブ海西インド諸島の国バルバドスに移住しているカリブ海育ちで、後に、再びUKに戻り、ロンドンを拠点に活動している。

バルバドスと言えば、歌手のリアーナの出身地としても知られている国。イギリスの植民地だったため、リトルイングランドと呼ばれるくらいイギリスの影響が大きいが、カリブ海だけにレゲエも盛んで、お隣の国トリニダードトバゴ発祥の音楽ソカ(ソウル+カリプソ的なカーニバルのための大衆音楽)が主に楽しまれている。リアーナがカーニバルのために帰ってド派手な衣装を着ることでも毎年、話題になる。

サックスやクラリネットを奏でるジャズミュージシャンとしての側面と同時にこのバルバドスで育った経験がシャバカの音楽性に強く影響しているのは、彼を語るうえで重要なポイントになるだろう。彼のユニットサンズ・オブ・ケメットもそんなカリビアンとしての出自を強く意識したもので、自身のサックスとドラム、ベース、そしてチューバという変則カルテットによるこのユニットは、2013 年にMOBO Awardを受賞していたり、UK新世代を代表するバンドとして認識されている。
(※ちなみにMOBO Awardとは《ミュージック・オブ・ブラック・オリジン》の略で、国籍や人種に関係なく優れたブラックミュージックを選ぶというUKの賞で、1996年に始まっている。レゲエやアフリカ音楽、ドラムンベースやダブステップのようなエレクトロニックミュージックなども含まれるので、選出される音楽はかなり幅広い。近年は新しい世代のジャズだけでなく、Jハスやストームジー、ウィズキッドといったアフリカ系の新世代によるヒップホップやグライムなども積極的に評価している。)

■UKカリビアンとジャズ・ウォーリアーズ

モダンジャズのルーツでもあるニューオーリンズジャズ/ディキシーランドジャズなどの「ビバップ以前=モダンジャズ以前」ともいえるトラディショナルなジャズに用いられ、モダンジャズ以降はジャズから姿を消している楽器でもあるチューバが現代のジャズバンドにつかわれるのは非常に特殊だが、敢えて用いた意図はジャズとカリブの関係を考えてみると紐解けるのかもしれない。それはジャズを生んだUSのニューオリンズという街自体がカリブ海沿いの港町であり、国際都市であったことから、ニューオーリンズという土地柄ゆえに、アフリカから黒人奴隷由来の要素と、ヨーロッパから来たクラシック由来の要素だけでなく、カリブ海から来たラテンの要素がジャズには当初から内包されていた部分だ。

ソンズ・オブ・ケメットのサウンドにソカレゲエダンスホールレゲエ、更にはラテンアフリカなどのエッセンスが入り込んでいるのは、彼がジャズ媒介にしながら、自身の出自でもあるカリブの音楽を掘り下げようとしているようにも思えてくる。バルバドスの伝統的なカーニバル音楽のリズムを取り入れたりしているのも、そのプロセスのひとつなのかもしれない。そう考えると、現代のギル・スコット・ヘロンとも称されるカリビアンの詩人でシンガーのアンソニー・ジョセフが自身のルーツを掘り下げようとした『Caribbean Roots』でシャバカを起用したりするのも、同じ志向を持ったアーティストを欲したからという意味で実に自然な流れと言えるだろう。

ただ、シャバカ・ハッチングスとカリブ音楽との関係にはもう一つの文脈がある。シャバカはUKを代表するサックス奏者のコートニー・パイン(UKジャマイカン)と幾度となく共演していて、彼が長年やっているプロジェクトのジャズ・ウォーリアーズにも起用されている。コートニー自身も出自はカリビアン。幾度となくカリブ音楽を取り上げているし、レゲエにもたびたび取り組んでいるアーティストだ。

彼が主催者の一人として関わっていたジャズ・ウォーリアーズはUKのロンドンのアフリカンやカリビアンをルーツに持つミュージシャン達を集めたプロジェクトだった。主催者にはジャングルのパイオニアのひとりでもあるMCのクリーブランド・ワトキス(UKジャマイカン)、ジャズ・サックス奏者のスティーブ・ウィリアムソン(UKジャマイカン)、ヴィブラフォン奏者のオルフェイ・ロビンソン(UKジャマイカン)、ベーシストのゲイリー・クロスビー(UKジャマイカン)などがいて、アフリカ音楽、ラテン、ファンクなどを取り入れたクロスオーヴァーなサウンドが特徴だった。

ジャズ・ウォーリアーズはデビュー作の『Out of Many, One People』(1987)をリリースしてから、UKではそれなりの成功を収めているが、UK以外ではそんなに大きな話題になったとは言えないバンドだったのかもしれない。ただ、彼らはその後、1991年にゲイリー・クロスビーを中心にして、トゥモローズ・ウォーリアーズという組織を立ち上げて、カリビアンやアフリカンを中心にUKの若いミュージシャンの教育などを行っていた。その周辺から出てきたのが、オルフェイ・ロビンソンモンデシール・ブラザーズであり、90年代頭にブルーノートがフックアップしたトニー・レミーであったりしたようだ。

そこで重要なのがジャズ・ウォーリアーズ周辺のミュージシャンが、必ずしもジャズだけではなく、レゲエカリブ音楽アフリカ音楽クラブミュージックなどに影響されていたことだ。その中でも、レゲエとの接点は深く、ゲイリー・クロスビーに関しては、ジャズ・ジャマイカのリーダーでもあった。リコ・ロドリゲスエディー・タンタン・ソートンといったジャマイカ出身のスカのレジェンドたちのオールスターバンドのリズムセクションの一角を担い、かつ彼らがジャズのスタンダードをスカ/レゲエ化するサウンドを統率していたのがゲイリーだった。そして、そこにはコートニー・パインも参加していた。つまり彼らはレゲエもやっていたジャズミュージシャンの枠ではなく、レゲエのにおいてもプロだったのだ。

そして、クリーブランド・ワトキンスはUKを代表するボーカリストで、彼もまたレゲエと縁が深いが、それだけでなく、UKのクラブシーンにおいて重要な役割を果たしている。リチャード・スペイヴン曰く「クリーヴランド・ワトキンスはメタルヘッズのオリジナルMC」。ドラムンベースの最重要レーベルのメタルヘッズで活動し、ゴールディーなどの作品に参加している彼はUKのクラブシーンの重要人物でもある。そして、その他にもジェイムス・テイラー・カルテットUFOなどアシッドジャズとも繋がっている。

同じことは他のジャズ・ウォーリアーズのメンバーにも言えて、フルート奏者フィリップ・ベントロニー・ジョーダンガリアーノなど、スティーブ・ウィリアムソンLTJブケムブランニュー・ヘヴィーズコートニー・パインソウルⅡソウルゲイリー・クロスビーオマ—、といった具合に彼らはみんなアシッドジャズグラウンドビートドラムンベースなどのUKのクラブシーンの一員だったのだ。

そして、それらのUKのクラブシーンはレゲエのシーンとも密接に繋がっていて、ほぼ全員がUKジャマイカンだったジャズ・ウォーリアーズはそんなジャズやレゲエとクラブシーンが交差する場所から生まれたバンドで、そこから出てきたのがシャバカ・ハッチングスであり、『We Out Here』にも参加しているヌビア・ガルシア(UKカリビアン)やモーゼス・ボイド(UKドミニカ/ジャマイカン)といった若手たちだと考えると、UKの音楽シーンの歴史の延長上にある流れだということがわかるだろう。

彼らはUKの植民地だった国々の血を引いている自らの出自を意識しながら、それをUK独自のディアスポラ(元の国家や民族の居住地を離れて暮らす国民や民族の集団ないしコミュニティー)の音楽として、演奏しているともいえる。そして、『We Out Here』の若手たちが拠点にしてるのはジャズクラブではなく、リチャード・スペイヴン曰く「UKでエレクトロニックミュージックの要素が入った生演奏セッションができるほぼ唯一で、ベストなイベント」のJazz Re:freshedという生演奏+ビートメイカー+DJ的なクラブイベントだ。

そう考えてみると、シャバカ・ハッチングスサンズ・オブ・ケメットのサウンドにはジャズ・ウォーリアーズ経由のサウンドがかなり強く深く宿っていることがわかるし、シャバカが度々ディアスポラという言葉を使っていることも納得がいく。

それをサンズ・オブ・ケメットのサウンドから見出すには、チューバのテオン・クロスがベーシストの代わりにベースラインを担当している部分に注目するといいだろう。ここにはザ・ルーツがスーザフォンを導入した時のような低音管楽器特有の分厚くファットな質感の音色があり、それがレゲエ経由のベースラインを奏でる様子が聴こえてくる。レゲエと言っても、ルーツレゲエだけでなく、ダンスホール・レゲエの打ち込みで作られたリズムを生演奏に置き換えたものの影響がかなり聴こえてくる。ちなみにシャバカ自身もカウント・オジー&ミスティック・レヴェレーション・オブ・ラスタファリナイヤビンギシズラケイプルトンのようなダンスホール・レゲエからの影響を公言していて、サンズ・オブ・ケメットにはレゲエからの影響はかなり大きい。

さらにそれをドラマーとセットで考えると見えてくるものがある。ドラムのトム・スキナーもまたトゥモローズ・ウォーリアーズの門下生であり、サンズ・オブ・ケメットだけでなく、シャバカがやっているもう一つのプロジェクトのメルト・ユアセルフ・ダウンのドラマーでもある。それと同時にハロー・スキニー名義でエレクトロニックミュージックを作るプロデュサーでもある。

トム・スキナーはその演奏とセンスで、ゼロ7トゥー・バンクス・オブ・フォー、近年ではフローティング・ポインツにも起用され、松浦俊夫グループの音楽監督を務めるなど、UKのクラブシーンで広く活動している。彼のサウンドにもそんなUKで受け継がれてきた生演奏によるエレクトロミュージックのビートが宿っているが、そのルーツには言うまでもなくジャズ・ウォーリアーズ経由でのレゲエダブがあり、同時にアシッドジャズジャングルドラムンベースがあるのは明らかだろう。そして、それはその先にあるディープハウスブロークンビーツ、さらに先のダブステップグライムなど、UKのクラブシーンの歴史とも繋がっているのだろう。ちなみに彼はポーラー・ベアーなどを輩出したファイア・コレクティブの出身でもある。シーンを幅広く横断するトム・スキナーもまた、UKのシーンのキーパーソンの一人なのだろう。

トム・スキナーはクラブシーンだけでなく、エチオピア・ジャズのレジェンドのムラトゥ・アスタトゥのバンドにも起用されている。実はシャバカもまたムラトゥやムラトゥがやっている別プロジェクトのヘリオセントリックスなどにも参加していて、エチオピアの音楽からの影響を幾度となく語っている。エチオピア独特の演歌のようなオリエンタルな旋律の影響はシャバカの音楽からも聴きとれる。

■アフロフューチャリズムのこと

ちなみにエチオピアという国は植民地化されなかったアフリカの国家として知られていて、USのアフロアメリカンたちが公民権運動の時代から特別視している国でもある。シャバカはUSの黒人たちの思想を学ぶためにアフロフューチャリズムを研究し、ファラオ・サンダースやサン・ラ、アルバート・アイラーなどのスピリチュアルジャズにのめり込んでいた時期がある。

アフロフューチャリズムとは「アフリカ系アメリカ人(黒人)により20世紀後半に誕生した新しい思想で、アメリカで生まれた彼らにとっては、アフリカは既に故郷ではないけど、西洋文化を自身のルーツとするのも受け入れたくない。そこで自身の魂を真の故郷としての宇宙に求めたという価値観(宇宙と同様にピラミッドやファラオといった、エジプト文明もそこに含める)」のことで、音楽的にはサン・ラアース・ウィンド&ファイアジョージ・クリントンで、アフリカ・バンバータのようなヒップホップデトロイトテクノなどにも受け継がれている。エジプト的なものを含めるという意味では、ファラオ・サンダースなども含まれるだろう。

また、エチオピアレゲエともかかわりが深い場所だ。ボブ・マーリーをはじめとしたレゲエのアーティストにも信仰者が多いラスタファリ思想は、アフリカ回帰の要素を強く持っていて、エチオピア帝国最後の皇帝ハイレ・セラシエ1世をジャーの化身として祭っていた。その思想がカリブにも広まっていて、カリビアンたちにとってもエチオピアはアフリカの中でも特別な国だった。

そんな思想も含めて、シャバカが考える宗主国と植民地の歴史を経たブラックミュージック像を考えると、エチオピアの音楽が持つ意味が変わって見えるだろう。

そして、このアフロフューチャリズム経由で公民権運動時代のUSのスピリチュアルジャズと繋がると考えれば、シャバカの音楽には同時代=2000年以降のUSのジャズのエッセンスがほとんど感じられず、60-70年代のアフロアメリカンによるUSジャズのフィーリングが強く出ていることも納得ができる。そして、その志向は、シャバカの先輩格でもあるコートニー・パインジョン・コルトレーンからの影響をストレートに表出させ、ファラオ・サンダースゲイリー・バーツギル・スコット・ヘロンなどを取り上げていたことの延長にあるとも言える。これはアシッドジャズ系譜のUKジャズの特徴そのもので、ヌビア・ガルシアら、さらに下の世代のサックス奏者にもストレートに受け継がれている。この傾向ももしかしたら、ジャズ・ウォーリアーズやUKカリビアン/ジャマイカンの特性なのかもしれない。そして、シャバカがやっているプロジェクトのコメット・イズ・カミングのサン・ラを思わせるコズミックかつスピリチュアルなサウンドも現代におけるアフロフューチャリズム・ジャズといえるだろう。

ちなみにエチオピアだけでなく、シャバカはアフリカへの関心も強い。南アフリカ出身のフリージャズ系のドラマーの巨匠ルイス・モホロと共演したり、ナイジェリアジュジュ・ミュージックの最重要人物キング・サニ・アデや、ナイジェリア産アフロビートの巨人オーランド・ジュリアスなどのアフリカ音楽の要人とも共演している。

■南アフリカのジャズとクリス・マクレガー

そして、シャバカがシャバカ・アンド・ザ・アンセスターズ名義でリリースした『Wisdom of Elders announced』では、トゥミ・モゴロシをはじめ、南アフリカ出身のジャズミュージシャンたちと共に演奏している。

南アフリカはもともとUKの植民地だったこともあり、UKとは関係性がかなり深い。その昔、南アフリカ出身のジャズ作曲家のクリス・マクレガードゥドゥ・プクワナルイス・モホロらがUKの音楽シーンで活動していた。彼らと共演していたのがバルバドス出身のトランぺッターのハリー・ベケットで、ハリーは後にジャズ・ウォーリアーズに参加し、その後、コートニー・パインがクリス・マクレガーと共演したり、南アフリカのジャズ・ピアニストのベキ・ムセレクの作品にも参加したりもしている。おそらくシャバカ・ハッチングスは、ハリー・ベケットクリス・マクレガーからジャズ・ウォーリアーズへと繋がれたUKと南アフリカのコネクションをもう一度深めながら、新しい関係を作り出そうとしているのだろう。そんなUKと南アフリカとの関係の延長に、UKのジャズマン・レコーズがトゥミ・モゴロシのような南アフリカのミュージシャンをリリースしたり、トゥミがシャバカのバンドで演奏する状況があると考えるととてもすっきりと理解できる。ジャズマンをはじめ、UKのレーベルはエチオピアのジャズの発掘に熱心だったり、アフリカ音楽探求への思い入れも強いが、それはUKのカリビアンたちとエチオピアの関係だったり、UKアフリカンの存在だったりに負うところがかなりあるのかもしれない。

個人的に、この南アフリカとUKとの関係を、さらに深く掘り下げていったところ、クリス・マクレガードゥドゥ・プクワナルイス・モホロといった南アフリカ出身のジャズミュージシャンたちが70年代からクリス・マクレガー率いるバンドのブラザーフッド・オブ・ブレスを中心にUKで活動していたことが出発点にあることが見えてきた。そのブラザーフッド・オブ・ブレスでは南アフリカのミュージシャンだけでなく、アラン・スキドモアエヴァン・パーカーと言ったUKのミュージシャンや、UKカリビアンのハリー・ベケットらも参加していて、このバンドが、南アフリカとカリブとUKの混合バンドで、アフリカ音楽の要素を多分に含んだジャズを演奏していたビッグバンドだったことがわかるし、この頃からUKでは南アフリカのジャズとの融合が始まっていたとがわかった。

もともと南アフリカはダラー・ブランドなどの存在からもわかるように、デューク・エリントンセロニアス・モンクなどのUSジャズの影響がかなり入っていて、アフリカの中でもジャズの発展がかなり進んだ国でもあった。そこにクウェラなど南アフリカの音楽を混ぜたりもしていて、既に彼らの音楽はかなり完成されたものだった。そういったことも彼らがUKですぐに大きな影響を与える存在になれた理由でもあるだろう。

80年代になるとUKのもう一つ下の世代のジュリアン・アルゲイエスブラザーフッド・オブ・ブレスに加わり、ドゥドゥ・プクワナのバンドにはジャンゴ・ベイツが加わり、その南アフリカ系譜のジャズはUKの下の世代にも継承されていった。彼らがジャンゴ・ベイツが主催していたフリー系のビッグバンド・プロジェクトのルース・チューブスのメンバーだったことは重要な話。ルース・チューブスの音楽性はラテンサンバハイライフといった世界中の音楽を取り込んでいたもので、それは80年代のワールドミュージックブームの影響というよりは、南アフリカのミュージシャンや、ハリー・ベケットのようなカリビアン経由でのカリブ音楽との接点に由来するモノと考えた方がいいだろう。実際に2015年のインタビューでジュリアン・アルゲイエス

「ルース・チューブスの音楽の音楽の影響源にドゥドゥ・プクワナやクリス・マクレガーがあった。」

というような話をしていて、その影響の大きさは間違いなさそうだ。ルース・チューブスの88年作『Open Letter』ではタイトル曲がドゥドゥ・プクワナに捧げられていたり、アルゲイエスの2015年作『Let It Be Told』クリス・マクレガードゥドゥ・プクワナへ捧げられたと言ってもいい南アフリカをテーマにした作品だったりもしていて、そのジュリアンの言葉をわかりやすく表した作品もいくつか存在する。そのルース・チューブスとクリス・マクレガーを股にかけていたミュージシャンの中にはリップ・リグ・パニックをやっていたトランぺッターのデヴィッド・デフリーズがいたり、デヴィッド・デフリーズを起用していたのがアフリカ音楽を度々取り入れているキザイア・ジョーンズだったりするあたりもUKにおけるアフリカ音楽の影響の広さが見えてきて、実に面白い。このポストパンクやジャズやアフリカが交わる流れはシャバカが参加しているメルト・ユアセルフ・ダウンに繋がるものかもしれない。メルト・ユアセルフ・ダウンを主催しているのはファイア・コレクティブから出てきたポーラー・ベアーアコースティック・レディランドのサックス奏者ピート・ウェアハムだ。

ちなみにルース・チューブスがいた時期はちょうどジャズ・ウォーリアーズがいた時期と完全にかぶっている。そして、面白いことにジャズ・ウォーリアーズクリス・マクレガー門下が多いバンドだ。スティーブ・ウィリアムソンをはじめ、ジェフ・ゴードン、南アフリカ出身のトランぺッターのクロウド・デッパ、ジャマイカ系のトロンボーン奏者のデニス・ロリンズなどがそれにあたる。改めて、今、ジャズ・ウォーリアーズ『Out Of Many One People』を聴いてみると、クリス・マクレガー経由の方法論を引き継ぎながら、カリブ系の要素も加え、それを80年代末の音色やタイム感などに落とし込んだものという印象で、ジャズ・ウォーリアーズがルース・チューブスと同じところを出発点に持っていて、そこから違う方法論を取って分岐した兄弟のようなグループのようにも聴こえてくる。

クリス・マクレガーが1988年にリリースした『Country Cooking』という作品は白人を中心にしたルース・チューブス人脈とアフリカ系とカリブ系を中心としたジャズ・ウォーリアーズの両方が共存していて、結果的にその両派を生み出す起点になっていたUKの音楽シーンにおける歴史的な重要作と言っていいかもしれない。

そして、もともとUKジャズロック/フリージャズの巨匠ベーシストのグラハム・コリア—が主催したワークショップから生まれているルース・チューブス人脈からはUKジャズ・シーンやフリー・インプロのシーンに繋がる流れができていき、ジャマイカンやアフリカンによるジャズ・ウォーリアーズ人脈はアシッドジャズを中心としたクラブ系やレゲエなどのシーンに貢献する流れができていく。

また双方からミュージシャンによる音楽教育機関が生まれていてたのも面白い。ルース・チューブスの人脈からは鍵盤奏者のバラク・シュムールが設立した組織ファイア・コレクティブが、ポーラー・ベアーアコースティック・レディランドデイブ・オクムイングリッド・ラブロックキッド・ダウンズトム・スキナーなどを輩出した。

ファイア・コレクティブの立ち上げのきっかけが1995年に行われた若いミュージシャンたちのための西アフリカ音楽を学ぶワークショップで、そこを出発点に後からエレクトロニックミュージックやロックやフリーインプロなどにも拡張していったという経緯を知ると、クリス・マクレガー~ルース・チューブス系譜の音楽性を受け継いだものであることがよくわかる。

一方で、ジャズ・ウォーリアーズはトゥモローズ・ウォーリアーズという組織に発展し、シャバカ・ハッチングス『We Out Here』人脈を輩出したことは近年、UKのメディアで盛んに報じられている。

ただ、トゥモローズ・ウォーリアーズから出たのは彼らだけではない。例えば、サックス奏者のデニス・バプティスト(UKセントルシアン)や、サックス奏者/ラッパーのソウェト・キンチ(UKバルバドス/UKジャマイカン)、ヴォーカリストのザラ・マクファーレン(UKジャマイカン)も輩出している。

特にデニス・バプティストやソウェト・キンチに関しては、ゲイリー・クロスビーが運営しいているDUNE Recordsで作品をリリースしたりもしていて、トゥモローズ・ウォーリアーズをあげて彼らがシーンに出ていくためのサポートをかなりしていたようだ。2人ともマーキュリープライズにノミネートされるほど頭角を現し、デニス・バプティストはUKのストレートアヘッドなジャズのシーン屈指の存在になり、ソウェト・キンチに関しては生前のエイミー・ワインハウスがジャズ・アルバムを共作するプランを立てていたほど。トゥモローズ・ウォーリアーズの育成は大きな成果を上げていたと言っていいだろう。

DUNE Recordsでは、1998年にゲイリー・クロスビーが監修した『Tomorrow's Warriors Presents...J.Life』という企画盤を制作し、そこで、ジャズ・ウォーリアーズと、デイヴ・オクムトム・スキナーロバート・ミッチェルファイア・コレクティブ人脈が交わっていたのも面白いし、ロバート・ミッチェルRobert Mitchell's Panacea名義での『Voyager』という作品をリリースしていたりもする 。そうやって、その後も、さほど広くないUKのシーンで、この二つのコミュニティは幾度となく共演していて、そのような流れは目立たないながら、続いていたようだ。

そんな流れを知ってから、サンズ・オブ・ケメットを見ると、ルース・チューブスの流れをくむトム・スキナージャズ・ウォーリアーズの流れをくむシャバカが一緒になっていて、更にルース・チューブスの系譜のポーラー・ベアーのドラマーのセブ・ロックフォードがいて、ジャズ・ウォーリアーズ系譜のサックス奏者のヌブヤ・ガルシアやドラマーのモーゼス・ボイドがいる。そして、人種で言えば、白人もカリブ系もアフリカ系もいる。それは2013年のファーストアルバム『Burn』から変わらない。サンズ・オブ・ケメットと言うプロジェクトはある意味で、様々な人種が入り混じっていたクリス・マクレガーのバンドを継承し、現代にアップデートしようとするモノと言えるのかもしれない(同じような目線でシャバカ&ザ・アンセスターズ『Wisdom of Elders』を聴いてみると、リズムに特化しない部分でルース・チューブスとジャズ・ウォーリアーズの中間のルース・チューブス寄りのサウンドを狙ったもののようにも聴こえる)。おそらくシャバカの音楽は、70年代以降のUKジャズにおけるディアスポラの側面の歴史の本流とも言えるのだろう。

■サックス奏者としてのシャバカ・ハッチングス

そんな様々な文脈を整理してからシャバカのサックスを聴くと、彼のサックスの特徴が見えてきやすい。ジョン・コルトレーンアルバート・アイラーファラオ・サンダースを彷彿とさせるスピリチュアルな部分も確かにあるにはあるが、よく聴いてみると極めてリズミックで明快なプレイをしている。サンズ・オブ・ケメットだけでなく、人力テクノ的な要素が強いビートの上でサックスを吹くコメット・イズ・カミングや、アブストラクトでノイジーな雰囲気も強いメルト・ユアセルフ・ダウンなどのプロジェクトの時でも奏法としては程度の違いはあるが、そんなに大きくは変わらない。

強く息を吹き込み、タンギングで音を強く切りながら、輪郭のはっきりしたヴィヴィッドな音色でフレーズをリズミックに刻み、ビートを軸にしたダンスミュージック的なグルーヴに最適化し、同時に分厚い低音に埋もれずにサックスを響かせる。その演奏はラテンジャズアフリカンジャズのサウンドに沿ったものにも聴こえ、僕にはキューバのパキート・デリヴェラやアフリカのフェラ・クティにも近いものにも思える。それと同時にスカレゲエ経由でダンスミュージックを演奏してきたジャズ・ウォーリアーズコートニー・パインスティーブ・ウィリアムソンの系譜にあるともいえるだろう。ダンスミュージックを生演奏化したループ構造の楽曲の上で自身もフレーズを繰り返したり、繰り返しつつも少しづつ変化させたりする彼の即興スタイルは、湧き出てくるものを紡いでいくようにソロを吹くというよりは、グルーヴに乗りながら、リズムにパターンに合わせてフレーズを組み合わせていくような機能的で、ある種メカニカルなものであるともいえる。
そして、それをアイラーやコルトレーン、ファラオ的な咆哮と組み合わせたり、ドゥドゥ・プクワナルイス・モホロのようなUKフリージャズ/ジャズロック系譜のフリーキーな感性などを時折出したりすることでプレイヤーとしての個性を生み出しているように思う。そのスタイルは、シャバカのバックグラウンドから出てきたもので、USではまず得られないものだろう。

■スティーブ・コールマン=MベースとUKジャズ

そこで面白いストーリーを一つ。ジャズ・ウォーリアーズのサック奏者スティーブ・ウィリアムソンはちょっと変わった経歴をもつ存在だ。1995年の彼の作品『Journey To Truth』にはカサンドラ・ウィルソンロニー・プラキシコ、更にはザ・ルーツクエストラヴブラックソートが参加している。またスティーヴはMベース周辺のコルネット奏者グラハム・ヘインズ『Transition』に起用されている。『Transition』でグラハムは、南アフリカ出身でUKで活動していたピアニストのベキ・ムセレクの楽曲をカヴァーしていることは特筆すべき事柄だろう。ベキはコートニー・パインスティーブ・ウィリアムソンなどジャズ・ウォーリアーズ人脈と度々演奏している一方で、自身の作品にMベースのドラマーのマーヴィン・スミッティ・スミスを起用してきた人でもある。また、コートニー・パインの1995年作『Modern Day Jazz Stories』にはカサンドラ・ウィルソンジェリ・アレンが参加していて、ここでも名前があるのはMベース系の人脈だ。つまり、この時期、UKジャズアシッドジャズ周辺のクラブシーンの作品にMベース周辺にいたUSのミュージシャンが関与しているのだ。

その後、1999年にはファイア・コレクティブのピアニストのロバート・ミッチェルMベースのボスのスティーブ・コールマン『The Sonic Language Of Myth』ヴィジェイ・アイヤージェイソン・モランと並び起用されている。当時、世界中の民族音楽のリズムとファンクジャズヒップホップを融合したようなサウンドを手探りで模索していたスティーブ・コールマンとMベース周辺のミュージシャンが、カリブアフリカの影響を取り入れ、それがアシッドジャズなどクラブシーンとも繋がっていたUKのジャズミュージシャンと繋がるというのはなかなかに興味深い。90年代にスティーブ・コールマンザ・ルーツの面々が5拍子や7拍子のリズムとラップを組み合わせてセッションをしていた光景を見て、ロイ・ハーグローヴが衝撃を受け、それがRHファクターにも影響を与えたという話が『Jazz The New Chapter 4』掲載のロイのインタビューの中にあるが、ヒップホップやクラブミュージックと生演奏の融合が始まったばかりの90年代にはルース・チューブスジャズ・ウォーリアーズの取り組みがUSにも影響を与え、一方で、USのミュージシャンとの共演がUKにも大きな影響を与えていた可能性も考えられる。シャバカ・ハッチングスのリズミックでメカニカルなプレイには、スティーブ・ウィリアムソン経由で、スティーブ・コールマンのDNAが間接的に入っているのかもしれないとも思ったりする。

(※とはいえ、00年ごろを境にこのUKとUSの音楽的交流の流れは途切れ、00年以降、Mベースを中心にジャズにおけるリズムと即興の関係が飛躍的に進化したUSに比べて、UKはその流れからは外れてしまった気もする。もしかしたら、USへの留学経験があるミュージシャンの名前がほとんど見られないことも関係があるのかもしれない。それは同時にUK国内の音大ゆえに、USとは違うUK独自の音楽性が育まれている理由でもあるのだろう。例えば、『We Out Here』人脈の若手の多くがロンドンの音大トリニティ・ラバン=トリニティ・音楽院出身というのは注視していくポイントなのかもしれない。この大学は過去にフェラ・クティも在籍した歴史ある学校ではある。)

■大英帝国時代の植民地から見るUKジャズ

本作での、トム・スキナー、エクスペリメンタル・ジャズ/ロックバンドのポーラー・ベアーセブ・ロックフォード、アフロビートバンドのココロコエディー・ヒックス、そして、生演奏ヒップホップ/ビートミュージックを体現するMOBO Award受賞者のモーゼス・ボイドといったトゥモローズ・ウォーリアーズ『We Out Here』人脈のドラマーたちがツインドラムもしくはトリプルドラムの打楽器アンサンブルで叩くジャストで軽めのカリビアン(リズムのカリブ・サイドに関しては、カリプソだけでなく、インドからバルバドスやトリニダードに移住したインド系カリビアンが生み出したと言われるタッサ(Tassa)と呼ばれるカリビアン・パーカッション・アンサンブルや、トゥック(Tuk)と呼ばれる西アフリカ由来ドラムと英国軍のバグパイプ&ドラムが融合して生まれたカリビアン・パーカッション・アンサンブルや


同じくパーカッションアンサンブルでもあるジャマイカナイヤビンギに近い部分も感じる)~アフリカン(フェラ・クティ的なUSファンク経由のアフロビートよりもジャンベなどのパーカッションによるアンサンブルと近い雰囲気)のポリリズムの上では、そのリズムに特化したサックスが完璧にフィットし、バンドを的確にグルーヴさせている。それはクリス・マクレガーのバンドのブラザーフッドがリズムに特化した管楽器アンサンブルを構築してアフリカの音楽をジャズ化していた手法とも近いものがある。つまり、サンズ・オブ・ケメットは実にアンサンブル的なプロジェクトでもあるのだ。

それはジャズ・ウォーリアーズ周辺のサウンドとも実に近い。例えば、ジャズ・ウォーリアーズ人脈がバックを務めたクリーヴランド・ワトキスの名作『Blessing in Disguise』を聴くとわかりやすい。ワトキスの歌にはジャズヴォーカルやソウル、ゴスペルと同じようにレゲエのMC的なトースティングの要素が混じっていて、バックのサウンドにはジャズやソウル、アフリカや、レゲエだけでなく、トリニダード・トバゴやバルバドス的なリズムからの影響も聴こえてきて、UKの音楽にはレゲエだけでなく汎カリブ音楽の要素が強烈に刻み込まれていることを教えてくれるだからだ。そして、カリブ海の国々にはそれぞれ異なる音楽があり、その様々なリズムを意図的に使い分けていることにもメッセージを感じるし、そこには更にタルヴィン・シンによるインドの要素も混ざっていて、世界各地の植民地から移ってきた移民たちからの影響がUKに根付いていることも教えてくれる。

Brownswoodからリリースしているヴォーカリストでトゥモローズ・ウォーリアーズ出身のザラ・マクファーレンもUKジャマイカン。彼女はレゲエからの影響を幾度となく語っているほか、自身の作品でもジュニア・マーヴィンの「ポリスとコソ泥」をカヴァーしたり、そのコーラスに関してコンゴスアビシニアンズといったレゲエのコーラスグループを参照するなど、レゲエのイメージも強い。近年、彼女はジャマイカの民族史と音楽を研究していて、その成果を2017年の『Arise』に反映している。その結果、カリプソから、ジャマイカの黒人たちよる古い儀礼音楽クミナナイヤビンギなどを取り入れるようになり、西アフリカから連れてこられたアフリカンたちから伝承されていると言われているクミナなど、アフリカ~カリブの関係にまで遡り、レゲエの枠を超えて、汎カリブ音楽を志向したものになっている。そんなカリブ色濃厚なサウンドを元の文脈を意識しつつジャイルス・ピーターソン好みのクラブジャズ仕様に整えたバックバンドはモーゼス・ボイドをはじめとしたトゥモローズ・ウォーリアーズ出身の『We Out Here』の若手たちだったりする。

そういった文脈を知ると、チューバ入りの特異な編成で、カリブ~アフリカのエッセンスを取り入れ、更にそれを現代のダンスミュージックとして機能させようとするサンズ・オブ・ケメットに、UKカリビアンの新鋭サックス奏者ヌブヤ・ガルシアや、ジャングルの伝説的MCのコンゴ・ナッティーらが参加しているのは、サンズ・オブ・ケメットがカリブ各国の移民の子たちの音楽としてのUK独自のジャズを志向している側面をわかりやすく示してくれているようにも思える。

そして、サンズ・オブ・ケメットの音楽のカリブ性の中に現代性を見出すとすれば、近年のトリニダードバルバドスで主流となっているソカからの影響を見るといいだろう。バルバドスのお隣のトリニダード・トバゴでやっているカーニバルで流れている音楽を聴いてみると、サンズ・オブ・ケメットのサウンドには、この打ち込みで作られたソカの上げまくりのビートを生演奏に置き換えたような箇所がいくつもあることに気付く。

そうやって、サンズ・オブ・ケメットのサウンドを分析してみると、ジャズというよりは、UKに生まれたカリビアンのディアスポラからしか生まれてこないUK独自の新しいワールド・ミュージックと言ったほうがいいのかもしれないとも思えてくる。エチオピア的なエキゾチックなフレーズにサックスやチューバが加わるとアフリカ~ヨーロッパ~アラブまでを飲み込むジプシー・ブラスのようにバルカン音楽の雰囲気も立ち昇ってきたりもするあたりも、ディアスポラによる音楽としてのヨーロッパ音楽を示している気もする。言うまでもなく、そんなサウンドからは、現行のUSのジャズとは全く違う響きと、全く違うリズムが鳴っているが、このバンド、そして、シャバカの音楽が、同時代のUSのジャズとは全く異なる方法論で作られているのは、最大の特徴であり、魅力なのだろう。

そして、そのサウンドは階級社会であり、人種差別も依然存在するUK社会を象徴する英国君主制=エリザベス女王へのアンチとして、自らが尊敬する様々な人種の女性を女王として讃えるという本作のコンセプトを明確に音にしている。

シャバカとUKジャズの文脈を意識しつつ、UK、南アフリカ、ジャマイカ、ガーナ、アメリカなどで、植民地支配や人種差別、女性の権利のために戦った女性たち、そして、バルバドスにいたシャバカの祖母に捧げた楽曲たちのことを思いながら聴けば、このサウンドはより理解しやすくなるだろう。

ちなみに、ここでジャズは「様々な人種や地域の要素を繋ぐ触媒のようなもの」として機能しているのかもしれない。ヨーロッパとアフリカとカリブの混ざりものとして生まれて、USで進化し、洗練されていいた結果、UKの地でアフリカやカリブが混じり合うためのツールになるというのはなかなか面白い巡り会わせだなと思う。そこにUSの色が薄いことも含めて。

今、USでもラテン系のミュージシャンの影響力が目立ってきているだけでなく、ポップミュージックのフィールドでもカリブ系の音楽が大きなセールスをあげつつある。そういった流れと今、UKのジャズシーンでカリビアンによる音楽が前景している状況は無関係とは思えない部分もある。大雑把にこれまでUKブラックとして見られていた状況から、カラードでもなく、アフリカンでもなく、あくまでUKカリビアンとして、さらに言えば、UKジャマイカン、UKバルバディアンとしてきちんと自身のアイデンティティを示せる状況が生まれてきた結果とも言えるかもしれないし、そのアイデンティティを示したいカリビアンが増えてきたともいえるのかもしれない。

そして、それはUSのジャズシーンで、ゴスペルの役割が大きくなり、ブルーグラスやカントリーへの関心が強まり、ニューオーリンズジャズやストライドピアノといったモダンジャズ以前のジャズへと遡りアイデアを求めたり、更にはバッハやラヴェルなどクラシック音楽の影響を取り入れたりと、大きな時間軸で過去を再発見したり、ある種の回帰のような表現をとっているミュージシャンが増えてきた状況のUKカリビアン版ともいえるのかもしれない。

☞以下の記事も併せて読むと更に深まります。


【インタビュー】柳樂光隆(Jazz The New Chapter)選曲・監修~ UKジャズの新しい夜明けを告げるマスターピースを網羅したコンピレーション『Jazz The New Chapter - The Frontline Of UK Jazz』

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