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世界の終わり #1-9 プレミア


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 言葉を交わせば交わすほど、互いの距離は縮まるものだと実感。意気投合とまではいかないが、峰岸氏は街での暮らしを饒舌に語って聞かせてくれた。おかげでぼくは異国のように感じていた九州の実状を知ることができた。グール化した者は発見次第自衛軍に捕らえられて、日ごとその数を減らしているはずだが、日が沈めばどこからともなく現れ、荒廃した街を練り歩いているそうだ。捕らえられても次から次へと姿をみせるグールたち。峰岸氏は、ぼくらのように無断上陸を果たす者があとをたたず、その都度感染してグール化しているので一向に数が減らないと話した――なるほど。一理ある。一理あるとは思うけれども、ぼくらは漁船を複数回乗り継いで、ようやく上陸を果たせたのだ。海を渡って上陸する者が大勢いるとは思えない。実は姿をみせているグールは氷山の一角にすぎなくて、九州内には多数のグールが潜んでいるのかもしれない。封鎖されてから今日まで見つからないように隠れ続けてきたグールが数えきれないくらいいて、その者たちが時々姿を現しているのかも。六〇年代に公開された映画〈地球最後の男〉で怪物化してしまった人類は、太陽が昇っている間、姿を隠していたし。
 ……うん。あり得る。あり得る話じゃないかな? グールは臓器や細胞などの組織が活動停止しているわけではないらしいので、腐敗から逃れられないゾンビとは根本が違っているのだから。
 考えてみれば、四万平方キロメートル以上ある広大な地で、すべてのグールを見つけだすのは不可能だろう。七年という月日が経過したにも関わらず、政府はグールの正確な分母すら掴めていないんじゃないかって思うけれども……どうだろうか。
「自転車に乗ってきたそうだね。夜の街を自転車で移動するのは危険だよ。最も気をつけなければならないのは野犬だ。感染した野犬の数は、街に蔓延るグールの比じゃない」
 そういって峰岸氏は、夜が明けるまで屋敷内にとどまるよう提案してきた。おいおい、ぼくらは盗人なんだけど。親切な態度が逆に怖く思えてしまうが、七年もの間、人と触れあうことがなかったので、話し相手を欲する思いから口をついてでた言葉なのかもしれない――そう考えれば納得できる。
 それに夜明けまで屋敷にいてもいいというのは悪い話ではない。
 ぼくだって嫌なのだ。
 深夜の街を自転車にまたがって移動するなんて想像するのもごめんだ。
「ありがとうございます。でも、ぼくひとりで決めるわけにはいきません」
 返答しつつ、横目で板野を見た。彼女はキュッと唇を結んで、なにかいわんとしている意味ありげな目で、こちらを見ていた。しかしすぐにそらされる。
 その視線を追ってみるけど、そこになにがあるわけでもない。カビ臭い部屋。屋敷の二階――階段をのぼってすぐの八畳ほどの和室が、フィギュアの保管部屋だった。屋敷侵入から一時間ほどが経過したいま、ぼくらは持参した薄手のボストンバッグの口を広げて、めぼしいフィギュアを鞄の中に入れているところであるが、保管部屋にいるのは、ぼくと板野と、峰岸氏の三人だけだ。
 荒木は、「周辺の様子を見てくる」といって別行動を取っており、姿が見えなくなって三〇分近く経過している。
 和解したとはいえ、峰岸氏の相手を見るからに腕力のないぼくと板野のふたりに任せるなんて、なにを考えているんだ――って、はじめは思ったけど、好意的な態度で接してくれる峰岸氏と話していると、杞憂だったなと思ってしまう。ただし一緒にいると鼻が曲がってしまいそうな悪臭に悩まされる。
 まさか荒木、臭いが嫌で離脱したのではあるまいか。
「寝泊まりできるスペースは余っているんだ。気兼ねなく使うといい」黄色い歯を唇の間から覗かせながら峰岸氏はいった。距離が近い。ぼくは頭をさげる。気のせいか、さっきからぼくへ必要以上に喋りかけてきているように感じるが、状況としてはよい流れであるから気にしないことにする。っていうか、いまこの瞬間も、荒木があなたの家の中を歩き回って勝手に物色していますよ、いいんですか、そっちを気にしたほうがいいんじゃないですかっていいたいところだけれども、峰岸氏にとっては大事なフィギュアの扱われかたのほうが気になるので、席を外せずにいるってところだろうか。いや、違った。最も大事にしているのは家族のほうだった。
「これって、ぎゅうぎゅうに入れても大丈夫なの?」
 板野が訊いてきた。なんのことだろうと思って顔を向けると、ウルトラ怪獣のソフビを手に持って首を傾げていた。鞄に詰めこむことで塗装が剥げたり、変形したりするんじゃないかって心配しているのだろうか。
 一緒に作業をはじめて気がついたが、板野はフィギュアに関する知識をもたない素人だった。
 フィギュア収集員として結成されたぼくらのメンバーは、専門知識の〝ある・なし〟で厳選されたわけではないらしい。まぁ、ぼくだって現金の持ち逃げを許してしまった罰で九州に送りこまれた口だから、目利き要員だったわけでないだろうけど。
「車に戻ったら、仕分けてダンボール箱に入れ直すつもりだから、いまは適当に詰めて構わないよ」
「ふぅうん」興味無さげに板野はいう。
 そこへ荒木が戻ってきた。「任せちまって悪いな」とひとこと。手にはぼくが貸した懐中電灯が握られていて、ゆらりと揺れた光の輪はガラスケースに並んだウルトラ怪獣のフィギュアを照らした。作業がどのくらい進んだか確認したのだろうか。だとしたら、感じが悪い。
「まだ、ぜんぜん、途中だよ」
「そのようだな」
「夜の移動は危険だから、今夜は屋敷に泊まってもいいってさ」
「あ?」
「峰岸さんがそういってくれたんだ」
「えぇ、そうです」峰岸氏が会話に割って入る。「空いている部屋は沢山ありますので、好きな部屋を使って戴いて構いません。日没後は、グールが活発に動きだしますからね。出歩くのは危険です」
「あぁ――」間抜けな声で応えつつ、荒木は回答を濁した。
 しかし、荒木もぼくと同じ考えを抱いたに違いない。悪くない話なのだ。峰岸氏の提案をありがたく思ったはずである。グールが蔓延る漆黒の闇の中へ足を踏みだすなんて、考えるだけでもおぞましい。きっと荒木は宿泊の提案を受け入れてくれる。拒む理由なんてない。それはそうと、詰めこみ作業を手伝って欲しいので、強い口調で荒木を諌めた。レアものフィギュアの収集こそが目的なのだ。

 といった感じで、ぼくらは揃って作業を再開するのだが、やはり不自然というか、違和感を覚えていた。
 封鎖された九州へ上陸して他人の屋敷に忍びこみ、盗みを働いている。そこで出会った、いるはずのない家主と格闘を繰り広げて、気づけば雑談を交わしながら、ともに詰めこみ作業をしているなんて――なんだこれ。
 やっぱりおかしい。
 思いっきり歪みが生じていて気持ち悪い……けれども、このまま平穏無事に済んでもらいたいとも思っている。

 殴られた傷はまだ疼いているが、再びやりあうつもりなんて毛頭ない。

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