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善き羊飼いの教会 #2-2 火曜日


〈柊シュリ〉



     *

 愛猫の甘えるような鳴き声で目覚めた。
 飲酒したわりに普段よりもクリアな頭を指で揉みつつリビングへ行くと、家の中にはわたしとネコさんしかいないようだった。時計を見る。針は午前九時をさしている。
 香ばしいパンの匂いが漂っているけれども、パンはどこにも見あたらない。冷蔵庫の扉を開けてブルーベリー入りのヨーグルトを取りだす。未開封のアーモンドチョコレートを見つけたのでヨーグルトと並べてテーブルの上に置く。
 簡易な朝食は五分もかからず終了した。
 今日も昨日と同様に、研究所へは午後イチに行けばいいのだが、その前に立ち寄らなければならない場所があり、調査員としてすべきことがある。
 んあああああ、と、足元でネコさんが鳴いたので、ごはん用の皿にカリカリを入れて、かつおぶしをふりかけ、食べはじめたのを確認してから洗面所へ移動する。

 昨夜はスルガさんと一緒に〈てらだや〉という居酒屋へ行った。依頼人の鈴鹿さんから、行方不明になっている柿本さんのバイト先が〈てらだや〉であると聞いたので、調査の一環としてである。
 スルガさんがいうには、調査を進めるうえで関係者ひとりひとりの〝人となり〟をつかんでおくことがとても大事らしい。かくいうスルガさんは〝人〟ではなく〝物〟と向きあう専門家ではあるけれども、専門分野の至上主義者になってしまうことを避けるように、人と会って話す時間を大事にするし、長時間ラボをあけてしまうこともさほど厭わない。
 足を運んだ〈てらだや〉では、柿本さんと一緒に働いていたバイト生から、多くの話を聞くことができた。
 得た情報を元に、柿本さんの〝人となり〟をわたしなりに表現すると〝問題児〟というのが的確かもしれない。柿本さんのことを良くいうバイト生はひとりもいなくて、「柿本さんは相手をみて態度を変えるいやらしい人でして、自分なんかは、口にしたくもないくらいひどい扱いを受けてますよ」と声を震わせつつ話してくれたのは、横谷という名前の男性だった。
 顔をあわせる度に「おれ流の挨拶だ」といって腕や背中を叩いてくる。頻繁に無心し、借りたお金は返さない。アルコールを摂取すると暴れる。ものを破壊する。キレるスイッチがわからない――そういった話が次から次へと飛びだしてきたので困惑してしまった。
 柿本さんが証言どおりの性格であるなら、二、三日連絡が取れなくなった時点で警察に相談に行くような友人など、存在するはずはない。だから昨日スルガさんが指摘した〝鈴鹿さんは真実を語っていない〟という意見は正鵠を射ているようだ。鈴鹿さんがどうして柿本さんたちを探しているのか、柿本さんたちはどこに行ってしまったのか、真相が明らかになるまでは調査を続けたい――のだけれども、決定権をもっているのは研究所の所長であり、所長がNOといったら調査は続けられ……や、違った。すでにNOといわれているんだった。調査を続行しているのは所長が不在だからであって、連絡が取れない状態だからであって、なによりもスルガさんがいつも以上に乗り気であるからだが――どうして?
 どうしてあんなに乗り気なんだろう。
 しかもわたしを頼りにしてるだなんて。
「イチイさんから可能な限り力になってあげるよういわれたから」みたいなことをスルガさんはいっていたけれども、本当にそうだろうか。それだけだろうか。
 なにか秘めているように思えてならない。
 ほかに動機があるように思えてならない。
 たとえば自己誇示欲。調査続行の主たる原動力は探偵活動への強烈な憧れであり、崇拝するイチイさんに少しでも近づきたいとの思いから、つきつけられた謎を自らの力で解明したいという思いから――とか?
 そう考えてしまうのは、かつてのわたしがそうだったからだ。わたしは自己誇示欲のかたまりだった。人から注目されることに喜びをおぼえていた。目立ちたい、と。認められたい。みなから尊敬され、頼りにされる存在になりたい、と。みなのうえに立って、みなの先頭にたって、リードするに相応しい人間だと信じて疑っていなかった。そのせいで周囲から煙たがられて……あぁあ。やだ。いやだ、いやだ。思いだしてしまう。思いだしてしまった。
 忘れろ。頭を切り替えよう。
 思考を中断してリビングへ戻り、ネコさんにかつおぶしを追加サービスすることにする。

 身なりを整えて、約一時間後に家をでた。
 研究所へ行く前に、筒鳥大学に寄る予定でいる。目的は〈てらだや〉のバイト生である横谷さんから紹介してもらった筒鳥大学の学生(柿本さんと同じ学部の人)に会って、話を聞くことだ。
 伝言はされているはずなので、教えてもらっていた番号に電話をかけてみた。
「はい。ウィルソンです」相手はすぐ電話にでた。「ヒイラギさん、ですよね。話はヨコヤさんから聞いています」
 東ペニーセイバーからきた留学生らしく、電話越しの日本語の発音は聞き取り難かったけれども、話しかたや声のトーンに好印象をもった。
 オリバー・ウィルソンという名の留学生とは、筒鳥大学東キャンパスの食堂で会う約束をした。

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