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『人類は編み物をせよ』

講談社現代新書60周年の記念企画「AI編集者とつくろう!わたしの現代新書」で作ってみた。最初は『人生に必要な知恵はすべてパンデミック中の編み物で学んだ』にしようと思ったが、「タイトルが長すぎます」とAI編集者さんから怒られてしまったので、名著をぱくるのはやめることにした。で、『人類は編み物をせよ』である。「指先から生まれる平和」というコピーはすごくいいと思う。なかなかの凄腕編集者だ。

もちろん本が実際に出るわけではないので、中身はnoteに書く。2020年からのパンデミック中にわたしが始めたことは4つ。1. 断捨離 2. リングフィット 3. 編み物 そして最後に4. 短歌だった。特にサーチして趣味にしたわけではないのに、SNSを見ると他の人たちと被りまくっていて、自分の発想の平凡さに驚く。

1と2は、無事終了したので、今回は3の編み物の話である。最近は短歌に侵食されてしまい、編む量がぐんと減ったが、パンデミック初期、芋洗いの猿のように、日本の友人とアメリカのわたしがほぼ同時に編み物に興味を持った。ふたりとも中学生ぐらいに興味を持って(たぶん好きな子にマフラーを編むとかそういうブームがあったのだと思う)、自分の不器用さに嫌気がさして封印した過去を持っている。年齢的に、ちょうど編み物、しかもかぎ針編みのちょっとやぼったい雰囲気が心に刺さったのかもしれない。まずはお花のモチーフ編みからやってみようよ、ということで日本とアメリカでLINE通話をだらだらしながら、編んではほどき、編んではほどくを繰り返した。YouTubeのこれが分かりやすい、と動画のおすすめを送ったり、モチーフかわいくできたー!と写真を送ったり、励ましあいながらいくつも花を編んだ。これからどうなるんだろうという不安しかない日々、友だちと手を動かすということに本当に救われたと思う。

残念ながら友人の編み物ブームは3か月ほどで終わってしまったが、わたしの方は「何か役に立つもの、あるいは徹底的に役に立たないものを作りたい」という気持ちに火がついた。モチーフができるようになったのだから、これをつなげたブランケットを作ることを「役に立つゴール」、あみぐるみを作ることを「役に立たないゴール」として、ネットで編み図を検索しまくった。パンデミック当時は、何もかも手に入らなくて、毛糸を買うことも困難だった。入店制限のため、注文はウェブサイトでして受け取りを店の外でするという「カーブサイド・ピックアップ」という方法がアメリカでは一般的だった。どの店も品薄で、この頃の編み物は白、グレー、微妙な茶色ばかりだ。家にある地味なブランケットやあみぐるみを見ると、小さな家を方舟みたいにしてパンデミックを乗り切った日々を思い出す。

2020年の春、家族全員がリモートワーク&リモート授業をしていた。週末の日本語補習校もリモート授業になったのだが、息子が「慣れないZoomの指示に対応できないかもしれないので、近くにいてくれたら嬉しい」と言い出した。本当は土曜日は掃除とか洗濯をしたいのだが、息子の気持ちも分かる。クラスにいれば、周囲の雰囲気を察して動けることも分割画面ではそうもいかない不安があるのだろう。土曜日は息子の部屋で、Zoom授業に耳を傾けながらせっせとブランケットを編むことにした。ブレイクアウトルームへ行け、Google Earthへ行け、Padletに書け、新しいテクノロジーを使いこなして授業をする先生も大変だが、ついていく生徒も大変だ。ましてや母国語ではない日本語。息子がちらりとこちらを見ると、私は画面に映らないように机の下からアシストをした。じきにオンライン授業に慣れてこの役目も終了したが、この二人羽織授業も今ではいい思い出だ。編み物はすごくはかどったし、12歳の子とこれだけ一緒にいたのも久しぶりのことだった。

ネット検索頼みで編み物をしているので、誰にも聞けない疑問はいまだにたくさんある。例えば編み終わりの糸の始末。「とじ針を使って、目立たないように何度か編み目に糸をくぐらせた後、切る」ということなのだが、抽象的すぎて最初は戸惑った。どの辺に何度くぐらせれば十分なのか教えてほしい。裁縫は最後きっちり玉どめにするのに、結ばなくても大丈夫なの?糸を足す時も、結ばずに新しい糸をなんとなーく仲間に入れて行く感じで編みこんでゆく。モチーフをつなぐ時や、あみぐるみをとじる時に、この編み目とこの編み目…という風にうまく合わない時もあり、まあまあとなだめながら繋いでいくと、ちゃんとそれらしく仕上がる。編み物というのは生真面目にこつこつやっていくイメージがあったので、意外とおおらかなところもあるんだな、と親近感。

また、それとは逆の楽しさもある。初心者のくせに、わたしは編み図だけを見て、こうかな?と自分なりに考えながらやってみるのが好きだ。これは、パズルを解くようなわくわく感があるから。YouTubeのチュートリアルは、最後のお助けアイテムとしてとっておく。途中、ちょっとおかしいかも…ともやっとしたところに目をつぶって編み続けていくと、だいたい辻褄が合わなくなって詰む。おかしい、と思ったその直感を無視しない方がいい、というのは編み物だけではなく、人生でもたくさんあったよな…と反省しつつ編む。時には、ぱっと見ただけでは理解できない編み図があって、これ、図が間違ってない?と疑いつつ何度も工夫してみる。そして、ついに複雑な編み目記号を理解して、綺麗な模様ができた時の喜びときたら!大げさに聞こえるかもしれないが、ロゼッタストーンを解読できたような嬉しさ、大昔から編み物をしてきた人たちからようこそ!と迎えられたような嬉しさだ。

そして、編み物の一番いいところは、やり直したいと思ったらいつでもするんと一本の毛糸に戻せるところだと思う。中学高校の家庭科で、ウェスト50㎝スカートと腕が通らないパジャマを作ったわたしにはとてもありがたい。編み物は、きっちり揃わなくても(わたしさえよければ)まあまあそれなりにできあがる。でも、きれいに編み目を揃えることでわたしが幸せになるなら、いつだってやり直せるよ、そんなメッセージを作業中に何度も受け取ることができるのだ。

どうでしょう。すべての人類は編み物をすべきだと思いませんか。




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