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妻になっても、母になっても、人生は私のもので

「京都慕情」が沁みる年齢になってきた。渚ゆう子の角のある高音が私の胸にグッとくる。

夫との揉め事はこれまでも幾度となくあった。笑い合って終えたことも、泣いて咽び泣いて終えたこともある。12年一緒にいればそれだけ多種多様ないざこざの終焉を迎えるわけだ。

最近またいざこざしてる。今回は私が1人で抱えて、私が1人で手放すモノ。これははじめての経験で、1人で泣いたり笑ったり、蔑んだりしてる。まあ内容はプライベートなので割愛するけど、今回の件で役割にがんじがらめになる辛さを再度確認した。

32年ぐらい前にこの世に生を受け、私はこの世に舞い降りた。それから、母の娘、父の娘、継父の養女など様々な役割を名札を付け替えるか如く生きてきた。

前世の私がYELLOW YELLOW HAPPYで千秋が歌うように「生まれ変わっても、また私に生まれたい」と強く願って生まれてきたのであったら、それが叶ったのは20歳の誕生日ぐらい。やっと、前世の私の願いはかなったのだと思う。

タイムアウト東京の公式Twitterに「働かせてください」とリプライを送りまくり、当時のつぶ子さんを困らせた。でも、気づけば憧れのタイムアウト東京の一員になってた。そこから保育士を経て、バズフィード、ハフポスト、Forbes JAPAN、バウンシー、tellingなどメディア畑を転がり狂って毎日楽しく暮らしてた。「あーこれが私!なりたかった私!!」って。

25歳、理想の鼻を持つ彼と結婚した。恋愛市場からオサラバできて幸せだった。3年間の不妊治療をやめたら母になった。そのあと、誘ってないのに次女が図々しくお腹にいた。

「えるあき!」って呼ばれてたのが、気づけば夫の姓で呼ばれ、気づけば「◯◯ちゃんママ」と呼ばれるようになった。

私が私として生きるのはどこなんだろうかとか思う。そうなると京都慕情を聞きながら、過去の恋愛を遡るしかない自分の手持ちカードの少なさに笑えてくる。

薄々勘付いてたし、認めたくなかったことだけど、狂ってるレベルの恋愛至上主義なんだよな。人間同士の密で奥行きのある人間関係の面白さって結局恋愛に行きつくのではないのでしょうか。

ラベリングされるカテゴリーが変わりゆく中で、私は夕焼けの高瀬川を想うのでした。

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