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妻になっても、母になっても、人生は私のもので #きみ以上に母は泣くよ

人生ではじめて経験した別れは、実父と離れ離れになった日なんだろうけど、実感としてあるのは6歳の頃だ。

ゆみは幼稚園の時の友達で、彼女は私の人生最初の親友だった。

私が好きな男の子にプレゼントするどんぐりを集めていると、私以上に集めて「あーちゃん、これもあーちゃんが拾ったんだよ」と言って渡してくれた。

家が近かったので幼稚園が終わるとどちらかの家で遊ぶのが日課だった。彼女の家で遊ぶと必ず家まで送ってくれたし、私の家で遊ぶと一人で帰っていった。そんな彼女がとても大人にみえて、そつなくこなす姿に悔しさを感じてたな。ある我が家で過ごした日、「今日は私が送っていくね!」と鼻息荒く家を出て、彼女を家まで送り届けた。が、そこから一人で帰る勇気がでなくて玄関で固まってしまった。結局、彼女が私を家まで送って、一人で家に帰っていった。

政治家の秘書みたいな幼稚園児だったな。人をたてながら、裏でサポートするというか…とりあえず単細胞生物の私にはないものを彼女はいっぱい持っていた。

そんな彼女は小学校に進学するタイミングで、千葉へ引っ越してしまった。最後のお別れの日、わざわざ家まで来てくれ抱っこしてくれた。ゆみの方が大きかったし、弟をいつも抱っこしてたから、なぜかよく抱っこしてくれた。でも、そのときは親の前だったからそれが恥ずかしくて「絶対ゆみより身長高くなってやる」と思ったのだけ鮮明に覚えてる。


我が家のパイオニアことチョージョにも、そんな親友がいた。保育園の0歳児クラスからずっとに一緒に育ってきた。言葉を介さずに過ごしてきた時期が長いのもあって、何も言わずにおもちゃの貸し借りが成立していたり、双子かな?という場面に何度も出くわした。

喧嘩もしてたけど、なんやかんや側にいるのは親友の彼女。「ニコイチってこういうことか〜」と思いながら、二人の姿を眺めていた。「このまま小学生になっても、ずっと仲良くしてほしいな。大人になった一緒に合コンとかクラブとかいってほしいな〜」と付属の幼稚園入園式で、笑顔のふたりを前に将来の姿を想像した。

まさかの展開で親友ママから「突然の海外転勤が決まってしまって…」と報告が。「ど、どうチョージョに説明しよう…」頭にデカデカとネオンサインが現れる。目の前がチカチカしする。黙り込む私に「まだうちの子に言ってないんです」と一言。「じゃあ!伝えた時連絡ください!!」と約束する。

それから、離れ離れになる2人の姿を眺めながら過ごした。切なくって「うぇえ…」と泣いてしまうこともあって、何も知らないチョージョに「ちょっと最近おめめが変だから病院いきなよ」と通院を勧められることも。

ある日「昨夜、娘に話しました」と恐れていた言葉が私に投げ込まれた。足元にいたチョージョが「◯◯、引っ越しちゃうんだって」と無邪気に笑う。「ぜ、ぜんぜん笑えないんだが〜…」と泣いてしまう母、32歳。

刻一刻と近づくお別れの日。チョージョは「引っ越し先は車で行けないところ」とか、「週末に会いに行ける距離ではない」とか、色んな情報をどこからともなく感知して、日に日に情緒不安定になっていった。幼稚園に行きたくないと泣き出し、指しゃぶりが手しゃぶりに。そんな彼女の姿をみて抱きしめるしかできない自分の無力さに泣く、32歳。

親友の最終登園の日、あまりに静かに過ごすチョージョの姿がそこにはあった。お別れのプレゼントにゾウの歯ブラシをもらった。チョージョの幼稚園でのマークがゾウなので、それにあわせて親友が選んでくれたそうだ。

寝る前、その歯ブラシを眺めながら静かに佇む。4歳の小さい背中が悲しみと戦っているように私の目に写った。「ずっとずっと大好きでいいんだよ」と話すとわんわん泣き出した。小さいカラダと頭ではじめての別れを経験している娘。ものすごく寂しくなって号泣する母、32歳。何が起きているかよくわからないのでカラスのモノマネをするジージョ、1歳11ヶ月。三者三様に疲れたので、そのまま朝を迎えた。

翌日、幼稚園に行くとチョージョの下駄箱の上には親友の名前のシールが貼られたままだった。「◯◯は今日くるってこと?」「もう今朝の飛行機でいっちゃったから、もう来ないんだよ」と言うと「わかってるし、知ってるし、まじうんち」と吐き捨てて自分の教室に向かっていった。

その夜から寝る前はゾウの歯ブラシで歯を磨き、「◯◯に会えるよね?」と私に確かめる。「ママ、頑張ってお金ためるから待っててね」「うん、わかった。おやすみ」これが寝る前のルーティンになった。

「別れ」を咀嚼して飲み込んで、やっぱり納得いかなくて…必死に彼女のいない生活と向き合う彼女。一週間ほど経った昨夜、寝る前のルーティンに入ろうとゾウの歯ブラシを渡すと「これ捨てる!いらない!!」と怒り出した。びっくりして「え!?なんで!!??◯◯がくれた大事なやつじゃん!」とパニックになる母、32歳。「◯◯はもういない!あえない!大嫌い!ぞうさんの歯ブラシはもういらない」と大泣きし、布団に突っ伏してしまった。

100万ちょっとの飛行機代を払えない自分の貯金残高に虚しくなって謝る、「ママが悪いね、ごめんね。会いたいよね、ごめんね」。「セブンイレブンにいけばお金もらえるじゃん!」「セブンイレブンがお金をくれるんじゃなくて、ママのお金をセブンイレブンで引き出してるんだよ。だから、ママのお金がないとセブンイレブンでお金をもらえないんだよ。ママがお金なくってごめんね」「ママはいっつも意味がわからない!」「ママもなんで100万円も往復でかかるのか意味がわからないんだよお〜」怒って泣いて暴れて死んだように眠ってた。

母は無力だ。父も無力。親は本当に無力。子どもにできることなんて、本質的に何もないということを身をもって知った。親にできることは、子どもが何かを向き合っていることを、一番近くで見守ってサンドバッグになるだけ。

4歳児には4歳児の生き様があるんだよね、母さん、それをわからずにきみより泣きわめいてしまった。でも、自分の無力さに泣けてくるの。小さいきみの悩みは全部の解決してあげられると思ってたから。でも、そうじゃないんだよね。ママが、バカだった。


ゆみと私は、そのまま別々に過ごしながらも前略プロフィールとかmixiとかで繋がり続け、我が家に泊まりに来たりと、交友関係が今でもずっと続いてる。彼女がかなり大きなトラブルを抱えた時期があったけど、私は自分にできるならと精一杯のサポートをした。彼女も、彼女のお父さんもお母さんも喜んでくれた。すごく嬉しかった。一緒にいた時間より離れている時間の方が長いけど、私のはじめての親友なのは違いない。お互い称え合って、私はゆみの葬式に参列すると思う。私の方が長生きするから。

きっと、チョージョと親友もそんな風になるはず。いや、なってくれ。でも、これも親のエゴなのかな。まだ、お母さん初心者だから、わからないや。ま、でも、私がチョージョの親友に会いたいし、一緒に鬼ごっこしたいから会いに行く。だから、チョージョよ、付き合ってくれ。ママ、もう泣かないから。

捨てられないのでリビングに移動させました


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