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雑文 1学期のふりかえり

こんにちは。久しぶりにnoteを書いてみようと思います。

私は、今年からとある地方で常勤講師として、中学生に理科を教えています。昨年まではというと、私はとある地方の大学院生として、理科教育学というフィールドで研究をしていました。

学校が夏休みになったことや、この4連休も相まって、4月からの騒がしさや忙しさが嘘のように感じられます。このいささか平穏な時間を利用して、研究室と教育現場の違いという観点から、1学期のふりかえりを行いたいと思います。

「タスク」

本記事における「タスク」とは、広い意味での「やらなきゃいけないこと」を指します。そして後述する研究におけるタスクというのは、あくまで学生の立場で研究をしていたときを思い返して述べています。

研究室と教育現場での「タスクの捉え」に関して、主に研究室では「細部にわたり精査して完成度を高めるもの」であり、主に教育現場では「とにかく終わらせるもの」であると捉えられているように思います。いやどっちにしろタスクは終わらせなきゃいけないものであることには変わりませんが…

研究をする上で発生するタスクは、「とにかく緻密に遂行すること」が求められるように思います。論理的な手続きに従い、「何をどうするのか」に関する内容を詰めまくることで初めて論文にできる、そういう印象がありました。なので、必然的に1つ1つのタスクが重く、質を高めていくことが求められました。

その一方で、教育現場のタスクは、「とにかく締め切りまでに終わらせるもの」であると捉えられているように思います。先程、研究におけるタスクの捉えについて述べた後でこのようなことを書くと、「いやなめてんだろ」と思われるかもしれません。ですが、これはおそらく教育現場におけるタスクとして重要な捉えであるように思います。なぜなら、教育現場では、「毎日一定量必ず発生するタスク」と「急に発生するタスク」があるからです。

「毎日一定量必ず発生するタスク」というのは、例えば授業準備、部活動の指導、給食指導、清掃指導、その他あらゆる校務分掌などです。これらは程度があれど毎日遂行しなければなりません。そして決まった時間に行わなければならないものでもあります。また、これらに加えて、生徒が何らかの問題を起こしたり、急に仕事を振られたりすることで、さらにタスクが発生することも珍しくありません。これが「急に発生するタスク」です。

したがって、教員は毎日タスクに追われます。となると、タスク遂行において、必然的に「とにかく終わらせること」が重要な条件となってきます。そして1つのタスクに費やす時間もできるだけ短くすることが奨励されます。

「生徒指導」

「タスクの捉え」に加えて、「生徒指導」も研究をしていた頃と比べて大きく印象が変わったものの1つです。というのも、そもそも研究の文脈で「生徒指導」が語られることはあまりありません(少なくとも教科教育学では)。また、教科教育学では少なからず「生徒指導よりも学習指導の方が重要だ」という考え方があるような気がします(例えば、「良い授業さえできていれば子どものふるまいはよりよくなっていく」というような考え方をたびたび聞いてきました)。したがって、僕は研究をしていた頃は、生徒指導のことは何も勉強せず、何も知らないままに教育現場に出てきてしまいました。

しかしながら、子どもはあらゆる「問題」を学校に持ち込んできます。そして、しばしばその「問題」の中からいわゆる「生徒指導」をしなければならない問題が発生してきます。「SNSでこんなことを書かれた・言われた」、「あの子が私にかまってくれない」、「持ち物を投げられて殴ったら殴り返された」、など、様々です。これに対して生徒指導としては「一体どうすればいいの?」ということがわからないまま1学期が過ぎました。

そもそも生徒指導ってどんな目的で行えばいいのか(すなわち生徒指導をすることで子どもがどうなればいいのか)がわかりませんし、先輩の先生方がやられているような「ダメなもんはダメ」という指導も、個人的には理解できていません。

生徒指導について感じたモヤモヤは、また別の記事でも書きたいのですが、「生徒指導」って一体何なんでしょうか?


本当に雑文という感じになってしまいましたが、ひとまず久しぶりのnoteはこんな感じです。

追記
生徒指導についてのnoteを書きました。本記事と併せて読んでいただけると、幸いです。


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