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理科とブルーナーの発見学習

こんにちは。今回この記事は,Sciense Education Book Club in Japanの活動の一環として,オンライン読書会で読んだ本の内容と参加者による議論をまとめたものです。ブッククラブでは現在,3冊目の Science Education in Theory and Practice: An Introductory Guide to Learning Theory を読み進めています。

私はこの読書会にて,対象本のchapter 13,” Discovery Learning-Jerome Bruner ”を担当させていただきました。それでは本題に入っていきましょう。

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ブルーナーの研究的立場

本章は,ブルーナーが提唱した「発見学習(Discovery Learning)」に関する内容が中心となっていますが,冒頭では『そもそもブルーナーってどんな研究者なの?』ということが述べられています。確かに,ブルーナーの研究的な立場や思想を理解することで,「発見学習」もよりよく理解できそうですよね。

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※画像の出典
https://www.nytimes.com/2016/06/09/science/jerome-s-bruner-who-shaped-understanding-of-the-young-mind-dies-at-100.html?_r=0

それではブルーナーの研究的立場について,詳しくみていきましょう。

ブルーナー(Jerome Seymour Bruner)はアメリカ(ハーバード大学)の認知心理学者であり,心理学における「認知革命」時期の代表的な研究者の1人といわれています。この「認知革命」とは,それまで支配的であった「子どもの心はどうなってるかわからないブラックボックス,だから観察可能なパフォーマンス(テスト成績などの学業達成度)だけ着目するべきだ」という考え方である「行動主義」から,「子どもの心はブラックボックスなどではなく,外から入る情報を処理できる認知過程を持っている。だから心の中でどういった情報処理過程で知識が処理されているのか着目するべきだ」という考え方である「認知主義」へと,心理学における中心的な考え方が転換した出来事を指します。つまり,ブルーナーはこの時期において「認知主義」の立場から心理学を牽引した研究者の1人なのです。
また,さらにこの「認知主義」から派生して,「構成主義」という考え方も力を持ち始めます。この「構成主義」では学習者を「能動的に自身の知識を構成する存在」と捉えます。つまり,今まで「行動主義」も「認知主義」も「子どもの心」の捉えこそ違うものの,どちらも「子どもは受動的に学ぶものだ」と考えていましたが,ピアジェなどの影響により「子どもは自ら能動的に世界に関する情報を意味づけ,知識として構成していく存在である」という考え方に転換していったのです(湯澤,2005)。そしてブルーナーも「発見学習」を提唱した時期においては,このような構成主義(認知的構成主義)の立場であった研究者だったのです。

ではそんなブルーナーは,教育に対してはどのような思想を持っていたのでしょうか。
ブルーナーは,教育の目的とは,「子どもの思考力や問題解決能力を促進し,様々な場面に転移できるようにすること」であると考えていました。また,教育の対象である子どもについては,「どの発達段階にいる子どもにも,どの教科でも知的性格を保って効果的に教えることができる」と考えていました。そして,このような教育の目的と子どもの発達段階を捉えた上で,教育のカリキュラム(教育課程)について,「以前学んだことを基に新たな知識を構成できるカリキュラム(ラセン形教育課程)にすべき」であると考えていました。では,ブルーナーはこのような教育に関する思想をどのように授業で実現すべきかと考えたのでしょうか。そうです,それがまさに「発見学習(Discovery Learning)」というわけです。

ちなみに,このような「発見学習」や「発見学習」を提唱した時期のブルーナーの思想について,詳しく知りたい方は,「教育の過程」という本をご参照ください。

この「教育の過程」は,1959年にアメリカで行われたウッヅホール会議の報告書として,会議の議長であったブルーナーが内容をまとめた著書です。『会議の報告書?』,『ウッヅホール会議ってなに?』って感じですよね。ウッヅホール会議は,『ロシア,無人の人工衛星(スプートニク)打ち上げたってよ,やべえ,アメリカの科学教育を改善していこう』という主旨で行われました。つまり,いわゆるスプートニクショックが引き起こした,アメリカの大きな教育改革に向けた会議だったのです。なお,このような科学教育の歴史については,中村大輝さんの以下の記事が参考になります。

※参考文献

湯澤正通:森敏昭・中條和光(編)(2005)「ピアジェの認知発達理論」『認知心理学キーワード』,有斐閣,pp.172-173.

ブルーナーの発見学習

それでは,ブルーナーの研究的立場がつかめたところで,いよいよブルーナーの「発見学習(Discovery Learning)」の具体的な内容についてみていきましょう。

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ブルーナーの発見学習は,いわゆる探究型の学習形態として捉えることができます。また本章では,ブルーナーより後の研究者(e.g., Ormrod, 1995Van Joolingen, 1999)も以下のように発見学習を探究的な学習であると定義していると紹介しています。

「対象を操作,探究すること,質問や議論を交えること,または実験を行うことにより,学習者が周囲の環境との相互作用を通して構造を捉えるアプローチ」(Ormrod, 1995)
「学習者がある領域で実験を行い,その実験結果からルールを推論することで,学習者自身が知識を構築する学習の一種である」(Van Joolingen, 1999)

ところでブルーナーは,なぜ自身の提案する学習活動を発見学習と名付けたのでしょうか。ブルーナーは強い思いを込めて「発見」という言葉を使ったと考えられます。ではここで,ブルーナーの著書「教育の過程」(Bruner, 1961)を参考に,発見学習における「発見」の捉えについてみていきましょう。

「発見」とは何を指すのか

ブルーナーは,発見学習における「発見」とは,「それまで人類が知らなかったことを発見すること」ではなく,「自分の心を使って自分のために知識を得るあらゆる形態」であると述べています。
つまり,いわゆる科学者が行うような「まだ世に知られていない新たな知識」を発見すること(科学的発見)ではなく,学習活動において子どもが自分の疑問を解決できる自分にとって新たな知識を見出すための方法であるといえます。

「何を」発見するのか

では,発見学習において学習者は何を発見するのでしょうか。このことについてブルーナーは,「学習者は発見学習を通して,『教科の構造』を発見していく」と述べています。
この「教科の構造」とは,他にも「一般的な原則」や「原理」などとも表現されます。じゃあ具体的に「教科の構造」って何よ?ということについて,ブルーナーは「走性」を例に挙げています。走性とは,外部刺激によって運動を引き起こす生物の習性のことです。例えば,ダンゴムシは,光を当てられると暗いところに逃げていきます。また,イナゴの飛群(たまに海外で畑を食い荒らしたってニュースが流れるアレです)は,気温によって密度(個体間の間隔)が決まります。
このような外部刺激(光,気温)によって引き起こされる走性を,ブルーナーは「教科の構造」として例に挙げています。すなわち,ブルーナーは,学習者が生物に関する探究学習を通して,「生物には『走性』があるんだ!」というように「教科の構造」を発見していくことを理想に掲げ,「発見学習」を提唱したといえます。

以上が「発見学習」の捉えに関する内容でした。このような「発見学習」の捉えを踏まえると,ブルーナーは,先述した「教育の目的」,「子どもの発達段階」,「教育のカリキュラム」に対する考え方と整合する理科授業の改革を目指していたことがうかがえます。それほどブルーナーは科学教育の改革に向けた強い思いがあり,ウッヅホール会議では強いリーダーシップを発揮されたのではないでしょうか。

※参考文献
Bruner, J.S.(1961)” The Process of Education ” , Harvard University Press, 鈴木祥蔵・佐藤三郎(訳)(1963)『教育の過程』,岩波書店

発見学習における指導

では,発見学習において,教師はどのように学習者を指導すればよいのかについてみていきましょう。

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先述したように,発見学習は探究型学習のような学習形態であり,学習者は「問題の認識,可能な解決策の決定,アイデアを検証する手順の開発,説明の形成,結論の記述」といったプロセスを経験することが求められるといえます。そして,学習者にこのようなプロセスを経験させる上で,教師の役割は,ファシリテーター,あるいは最低限のガイドであるとされています。本章では,発見学習における教師の指導の重点として,①「学習者がプロセスを遂行できるための指導の重点」と,②「学習者がプロセスに意欲的な学習態度で取り組むための指導の重点」の2点について,それぞれ紹介されています。

プロセスに関する重点

・発見学習とフィードバックのための時間を確保する
・学習者同士が議論を行えるよう促す
・各学習者のプロセスを記録する

学習態度(意欲)に関する重点

・好奇心を高めるためにある程度の曖昧さを持たせる
・失敗のリスクを減らすようサポートする
・簡単なものから複雑なものへと段階を追った質問をする

また,本章では,教師が関わる程度によって,発見学習を3種に分類されると述べています。具体的には,教師の関わりが大きい順に,①誘導的発見学習②修正された発見学習③教師が介入しない開かれた純粋な発見学習,といった3種が挙げられています。

①誘導的発見学習
・教師が問題解決の課題と手順を決定する
・最もよくみられる発見学習
②修正された発見学習
・教師は課題のみ決定する
③教師が介入しない開かれた純粋な発見学習
・教師は最低限の支援のみ
・課題と手順は学習者に一任される

なお,本章では,上記の3種の発見学習について,①誘導的発見学習と②修正された発見学習は学習成果の達成に効果的であったと報告されているものの(Alfieri et al., 2011),③教師が介入しない開かれた純粋な発見学習は効果的であるかどうかについては疑問視されるべきである(Mayer, 2004)と述べられています。なぜ③教師が介入しない開かれた純粋な発見学習が疑問視されるべきなのかというと,本当に効果的だったという実証研究のデータが存在しないからだそうです。
したがって,私たちが教師として発見学習を実践する際には,①誘導的発見学習や②修正された発見学習を実現できるよう実直に取り組むべきということでしょうか。

発見学習の効果

これまで発見学習に関する捉えや指導についてみてきました。でも,そもそも発見学習は子どもにとって何がいいのでしょうか。本章では,以下のように紹介されています。

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本章では,発見学習の効果(子どもにとって何がいいのか)について,ブルーナーの主張実践研究のデータ本章の執筆者の主張,といった3つの観点から述べられています。それでは順にみていきましょう。

ブルーナーの主張

発見学習の提唱者であるブルーナーは,発見学習の効果として,知的能力の向上内発的動機づけの向上発見のヒューリスティックの獲得記憶の使用の強化,といった4つを挙げています。またこれらは「教育の過程」においても,発見学習によって期待される教育効果として力強く主張されています。
なお,上記の4つはそれぞれどういうことかというと,まず「知的能力の向上」については,先述のブルーナーが掲げる教育の目的で述べた思考力や問題解決能力の向上であると捉えられます。次に「内発的動機づけの向上」については,学習者が発見学習に意欲的に取り組む経験を積み重ねることで,内発的動機づけ(学習そのものが楽しいから学びたいという動機づけ)が向上することを期待していると考えられます。また「発見のヒューリスティックの獲得」については,発見の方法の獲得を指すと捉えられます。なお,ヒューリスティックとは,山(2005)によると,「必ずしも成功するとは限らないが,類似の過去経験の中から簡単に成功した方法を思い出して行う,時間や労力が少なくてすむ手続き(p.142)」とされています。最後に「記憶の使用の強化」については,いわゆるテストの得点などに関わる学習内容の定着にも効果があるということではないでしょうか。

実践研究のデータ

ブルーナーが発見学習を提唱した後,発見学習に関する実践研究も行われており,「実際に発見学習を行うとこんないいことがあるみたいだよ」という知見が蓄積されています。本章ではその具体例として,Balim(2009)とWartono, Hudha & Batlolona(2017)の実践研究が紹介されています。それぞれみていくと,まずBalim(2009)は,学業達成度,学習内容の定着度,探究スキルの獲得に有効であったことを報告しています。次にWartono, Hudha & Batlolona(2017)は,批判的思考力(クリティカル・シンキング)の育成に有効であったことを報告しています。参考までに,批判的思考とは,森(2005)によると,「論理的で偏りのない思考(p.160)」のことを指します。
なお,Balim(2009)とWartono, Hudha & Batlolona(2017)について,Balim(2009)は中学生を対象とした実践であり,一方,Wartono, Hudha & Batlolona(2017)は高校生を対象とした実践であり,ともに学習者を先述の「修正された発見学習」に取り組ませた結果,得られたデータであるとのことです。

本章の執筆者の主張

上記の2種の教育効果に加えて,本章では,執筆者(Ozdem-Yilmaz & Bilican)が期待する発見学習の教育効果についても述べられています。具体的には,科学的リテラシーとして重要な意思決定能力の育成に効果があるのではないかと述べられています。科学的リテラシーとは,「個人の意思決定,市民・文化活動への参加,経済的生産性の向上に必要な科学的概念とそのプロセスに関する知識と理解」(NRC,1996)であり,科学的リテラシーを持った市民を育成する上で,学習者の意思決定能力を育成することは重要であるとされています。では,なぜ本章の執筆者は,発見学習が科学的リテラシーとして重要な意思決定能力の育成に効果があると考えているのかというと,科学的な社会問題に対する意思決定の際には,科学者が行う科学の活動について理解していることが重要であるLee, 2007)とされているためです。すなわち,本章の執筆者は,学習者が科学の活動に基づく学習活動である発見学習を自身で経験することによって,科学者が行う科学の活動について理解することにつながり,ひいては科学的リテラシーとして重要な意思決定能力の育成に寄与するのではないか,と考えているのです。

※引用文献
森敏昭:森敏昭・中條和光(編)(2005)「批判的思考」『認知心理学キーワード』,有斐閣,pp.160-161.
山祐嗣:森敏昭・中條和光(編)(2005)「ヒューリスティックスとアルゴリズム」『認知心理学キーワード』,有斐閣,pp.142-143.

発見学習の問題点

これまで発見学習のポジティブな側面についてみてきましたが,本章ではネガティブな側面についても言及されています。では本章に関する最後の内容として,発見学習の問題点についてみていきましょう。

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本章では,発見学習の問題点として,教師と学習者の2つの観点から述べられています。それぞれ具体的な問題点としては,以下のようになっています。

教師

・発見学習のための準備と管理に多くの時間と労力がかかる
・学習者に有意義な議論環境を提供する妨げとなりうる
・問題解決に困難を抱える学習者をみつけることが難しい
・「学習内容を網羅しなければ」というプレッシャーによるストレス

学習者

・大人数のクラスでは効果がない可能性がある
・多くの支援を必要とする学習者が圧迫される可能性がある
・認知的な負荷がかかることで,かえって意欲を低下させる可能性がある

まず,教師の観点からみる発見学習の問題点としては,上記のように4つ挙げられますが,その中でもとりわけ「発見学習のための準備と管理に多くの時間と労力がかかる」ことと,「『学習内容を網羅しなければ』というプレッシャーによるストレス」の2点は深刻であると考えられます。発見学習をはじめとした探究型の理科授業を行うためには,そもそも教師が「発見学習とは何か」ということや,「子どもが科学的探究を遂行するためにはどのような支援が必要か」,「この単元(学習内容)で探究を行うならどのように授業づくりをするべきか」など,必然的に実践に向けた勉強や準備に時間をかける必要があります。昨今よく指摘されているように,多くの業務を抱える教師にとって,これらは容易に解決可能な問題ではないでしょう。また,これら2点に関連した探究に基づく科学教育の問題点は古くから指摘されており(e.g., Schwab, 1958),未だ根強い問題となっています(参考記事はこちら)。
また,学習者の観点からみる発見学習の問題点についても,やはり上記の教師に関する2つの問題点と大きく関連してくると考えられます。なぜなら,先程示した学習者に関する3つの問題点のいずれにおいても,つまるところ「学習者への支援の不足」によって生じる問題点であることから,これらが解決できるか否かについては教師の力量が大きく依拠すると考えられるからです。現在多くの学級では30~40人ほどの学習者が存在し,そこには学業達成度が様々な学習者が一斉に同じ授業を受けることになります。そうなれば当然,何も言わずとも自分で考えて探究できる子どももいれば,教師が半ば付きっきりとなって支援しなければ考えることが難しい子どもも同じ空間にいることは珍しいことではないと考えられます。

したがって,教師と学習者に関する問題点を鑑みるならば,発見学習に基づく理科授業を行う上では,全ての授業を発見学習という形態で行おうとはせず,「この単元のどこかで発見学習を取り入れることができそうな箇所はないか」というように,他の学習形態も実践しつつ単元の中で選択的に実践していく必要があるのではないでしょうか。そうすることで,ある程度教師のコスト面のデメリットが軽減され,発見学習において各学習者に必要な支援についても検討できる時間も確保されるのではないでしょうか。

感想

「理科とブルーナーの発見学習」について,いかがだったでしょうか。私はブッククラブで本章を担当して,思うことがあります。というのは,「発見学習」をはじめ,教科指導に関連する学習理論の背景にある思想や理念について,教育に関わる人間はよく理解しようと努める必要があるなと強く思いました。

どういうことかというと,先述したように,そもそもブルーナーは発見学習で重視すべきことの1つとして「学習者の意欲(内発的動機づけ)を高めること」を挙げていました。これは,国内でも波多野・稲垣(1973)が著書「知的好奇心」において述べているように,ブルーナーが「教育の過程」を通して行った発見学習に関する提案は,内発的動機づけやその原型とされる知的好奇心が注目されるきっかけとなったとされています。そして,「教育の過程」で示されているブルーナーの教育に関する思想や理念は,アメリカのみならず日本にも大きな影響を与えました(参考記事はこちら)。
しかしながらその一方で,現実はブルーナーが示した理想とは異なり,当時実際の教育現場では,発見学習の学習形態や,発見学習に伴って提案された「ラセン形教育課程」に基づく知識の系統性を重視したカリキュラムが過度に注目されました。そして,ブルーナーの提案を反映させた教育は,いわゆる「詰め込み教育」というような言葉に名前を変え,国内外で動機づけを高められない子どもを多く生み出し,いわゆる「落ちこぼれ」を量産してしまったとされています。また,このことをきっかけに,時勢は「ゆとり教育」という教育改革へと移っていったのです
発見学習に関する提案において,「学習者の意欲(内発的動機づけ)を高めること」が当初の理念として掲げられていながら,実際には真逆の結果になってしまったのはどうしてなのでしょうか。「発見学習を通して動機づけを高める」というのは,ブルーナーの妄言だったのでしょうか。それとも教育に関わる人間がブルーナーの思想や理念をよく理解しないまま「発見学習」の概要に飛びついてしまったからでしょうか。

一概には言えませんが,自分が教育に関わろうとするならば,せめてできることとして,授業づくりで参考となる学習理論を,その背景にある思想や理念も含めてよく理解しようする態度だけは保持する必要があると思いました。

Acknowledgement

本記事の作成にあたりご助言を下さった,雲財寛先生中村大輝さん長沼祥太郎先生,またブッククラブにて私の発表を基に議論してくださったみなさま,ありがとうございました。

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