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迷ってるならどっちでもいい

実家に行くと、母親が難しい顔をしていた。
声をかけてもどこか上の空。書類を見ながら、なにやら悩んでいる様子。
話を聞いてみると、所属しているスポーツクラブの会合があるとかで、その幹事を担当している母は、参加者の席次を決めるのに頭を抱えていたらしい。

〇〇さん(偉い人)が座る場所はここでいいのか?
「上座下座」問題、つまりは失礼がないかどうか、とても気にしていた。
わたしも書類を覗いてみたが、確かに「失礼に当たるかも?」と「いや、そんなことないんじゃないか?」を行ったり来たりするような微妙な配置であった。

正直わたしにとってはどうでもいいことだったが、一応しばらくは母親の悩みに付き合っていた。
自分で結論を出せそうにない母は、もう一人の幹事の方とメールのやり取りを始めて解決を図ったが、それでも席次は決まらない。
自分事ではないわたしは、正直心の中では「どうでもいい……」とやや冷めた気持ちでいた。

どっちでもいいじゃないか、問題ないよ、きっと――そう思いながらも、いろいろと面倒なことがこの世の中には多いなぁ……と辟易気味なわたし。
一向に話しがまとまらない母と、もう一人の幹事の方とのやり取りに口を出すつもりなんて毛頭なかったのだが、つい口が滑ってこう言ってしまった。

「どっちでもいいんじゃない?」

やべ、失言したか??
そんなことわかってるわよ、だから悩んでるんじゃない……という言葉が返ってきそうだ。

ところがどっこい、母親のリアクションはすこぶる良かった。
「そうね!!」
迷いというモヤが視界から晴れ、スッキリした表情に見える。

「確かにどっちでもいいわね。なら、〇〇さんは、こっちの席にしとこうかな」

その後、もう一人の幹事の方とも話がまとまり、あれほど悩んでいた席次があっさりと決まってしまった。
問題が解決した母は急にご機嫌になり、「コーヒーでも飲む?」と笑顔で声をかけてきたほどだった。

わたしの適当な発言が、思わぬ鶴の一声になったようだ。

つまり、「迷う」ということは、「どっちでもいい」ってことなのだ。
結局は、どちらも大差ないのだ。
どちらでも〝そこそこ〟の満足感は得られるのだ(たぶん)。

そもそも迷わないときは、最初から自分の意思(意見)がはっきりしているもの。「コレだ!」と、端からもう決まっている。

ところが、迷うときはなかなか決められない。
なぜか? そう! どっちでもいいからだ!(持論)

以来、わたしは何かに迷ったとき、「どっちでもいい」と自分に語りかけるようにしている。

とは言っても、どっちでもよくない場合だってある。
特に他の条件が絡んでいるときなどは、そんなに簡単な問題ではない。でも、それでも「どっちでもいい理論」はある程度通用しそうだと思っている。

身近な話題で考えてみよう。
カフェに行って、コーヒーにしようか、カフェオレにしようか悩むとき、それはつまり「どちらでもいい」のだ。初めからカフェオレを飲みたいときは、絶対に迷わず、一目散にカフェオレを注文するじゃんね!

ただ結果として、どっちでもいいからという理由で〝こっち〟をチョイスしたものの、やっぱり〝あっち〟をチョイスしておけばよかったということはある。
それはたぶん、選ぶ前の自分のイメージ(理想)と現実にギャップがあるからだろう。
コーヒーを頼んだけど、飲み始めてから、やっぱりカフェオレにすればよかったと思うことはよくある。

え? なら、どっちでもよくないじゃ~ん! って話にも聞こえる。

あれれ。それこそ迷ってきた。うーん、結局、どっちでもよくはないのか?

わかった!
これはあくまで〝選択するまで〟の話なのだ。
満足感(結果)は、選択時の気持ちとはイコールではないのだ。

もしも完璧な満足感を目指してしまったら、「どっちでもいい理論」は通用しないだろう。
結果をあまりに重要視してしまうと、選択も重要になってきてしまい、すると当然迷いは倍増し、結局決められない。

最近は、「満足感100%」を目指さないようにしている。
7割程度満足できたら、それでいいじゃないか。
気楽に「どっちでもいい」選択をできたのだし!

そもそも「迷う」って、楽しいことでもあるのだ。
迷うときに、人とあ~だこ~だ言うのも「迷う」楽しさだし。
きっと「満足感」を100%にしたいから迷うんだろうな。

えーっと、ここまで書いてきて、わたしの脳内は混乱してきた。
内容がうまくまとまっていない気がしてきたのだ。
言いたいことがうまく表現できていない気がする。
この記事、せっかく書いたけど、投稿するのやめようかな……? 

時々こんな気持ちになってしまうわたし。
「この記事はいまいちだから削除しよ」ってことで、速攻でゴミ箱に捨ててしまうこともしばしば。

でも削除したって、しなくたって、たぶん大差ないのだ。
つまり、どっちでもいいのだ。
だったら、投稿しておくか。
たぶん、大して変わらない。
だったら、投稿しておこう。

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