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【ウミガメ人生記】出帆 (No.3)

ウミガメに人生をささげた男(現在進行形)、菅沼常勤理事(ELNA創設者)が過去に書いたコラム「ウミガメの独り言」を再度、より多くの人に見て頂きたく、noteに転記します。
(ウミガメ人生記と、タイトルを改め連載)
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2003.6.11作成

エバーラスティング・ネイチャーが設立して、もうすぐ1年になろうとしています。僕が小笠原でカメと出会って27年、日本ウミガメ協議会会長の亀崎さんと知り合って16年、インドネシアと関わって8年、インドネシアウミガメ研究センターが事業を始めて6年が経ちました。限りなく長い年月です。しかし、感情的にはあっという間だったような気がします。小笠原の海岸をボートで夜中にジョンソンと二人で上陸ガメを探しに行き、波打ち際に足跡があったときの興奮、始めてのウミガメの旅で行ったパラオでの空の青さと海の透明度、その同じ空気がキューバにもありました。何も訳が分からずタイマイの産卵巣を探しにジャカルタ沖のスリブ諸島に行ったときの戸惑い、パプア州での話が通じないじれったさ、日本の役所の人と話すときの話の内容ですれ違う時の虚しさ、アメリカ人の明るさとエゴ、東南アジアの人々の優しさと悲しさ、そんなものが今僕の気持ちの中に渦巻いています。


小笠原で始めてウミガメを始めたその時の気持ちが、パラオでも、キューバでも、インドネシアでも、共通した感覚がありました。その現場に自分の足で立ち、その時いつも思うのは、「どうすんの、これ。」という感情です。ウミガメの場合、その数を減らしてきたのは、直接的にも間接的にも人間の経済的活動によるところが多いのが現実です。そして、行政が絡んだウミガメ類の調査も日本では経済的になされている場合がほとんどでした。それを思うと何とも言えない「怒りと虚しさ」があります。そして現場に立っている自分の目に映るのが、果てしなく続く海、悔しいほど透明度のある海、茶色くなり何とも言えない悪臭を放つ海、真っ黒に汚れきった海、その中にはいつも人々の生活の匂いがします。自分で見てしまった、自分で知ってしまった、何ともやるせなさがあります。そして次に来るのが、「誰ができるの?」「俺がやんなきゃ、いけないの?」です。

いつも旅立ちはひとりぽっちで自分の心との戦いでした。エバーラスティング・ネイチャーを設立して、漸く始めて自分の足で立てたかなという気がします。また、それと同時に仲間も増えてきました。これは僕にとって何度目の出帆なのでしょうか。いつも一人で船出していたのが、今度はカメ屋だけではない、いろいろな人たちと共に船をこぎだしています。

とりとめなく書きつづっていますが、このコーナーでこれまで僕自身が体験して思ったこと、感じたこと、やってきたことを、やはりとりとめなく綴っていくつもりです。自分でも常に行動や考え方に矛盾を感じていますので、今後も矛盾だらけの文章になると思いますが、僕がカメ屋として歩いてきた確かなものが、その中にきっとあると思っています。それを、これを読んでいる方に感じていただければと思います。

常に考える前に足を一歩出してしまっている僕がそこにいます。その一歩が果てしないほどの可能性を僕に与えてくれています。次回からは僕にとってのウミガメの独り言を具体的内容で続けていきます。乞うご期待といきたいけれど・・・(「出帆」了)


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