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書く手が止まった訳と多種多様な声との手触り感

とあるずっしりと重いテーマの事を

ここ1週間 ずっと下書きで 書いていた。

(未だ未完成!正直 焦っている!焦燥感と消耗戦に関しては 以前書いたが) 

今、それなりに読書し、色々知識を
摂取してる本でも
外側のコンテンツに矢印を向けて描いてるもの
そこを汲み取る作業 そこから派生して
その他の普遍的な言葉 テーマ が拡大してく…
ゴールは、読むにつれて 先にある感覚…
マラソンとか 実際 走ることには 終わりがあるが
人生を走るには、終わりが見えるようで見えない…(なんの話し)

やはり、走るにしても書くにしても初期衝動が最高潮の欲求なのだろうか。書く欲求の知識拾い集めて、公開しない距離の取り方が、居心地が良く 満足してしまう…

ここで書いてる

知識とは、インプット

行動をnoteに書く⇒ 

アウトプットとざっくり定義した場合 、、、


まず、インプットの先、 言葉の意味とか意味の中身を解像してく 作業、

この筋トレは中々頭のカロリーが高くて快感的でもあるのだが、

それを具体的に 自分の中に落とし込む 具体化させてく 

中々実装のこの間にどこかなにか リアリティと距離がある、、、

そして 時間が経つにつれて
何かをアウトプットする 書くために 読む 思考に取り込まれている…

空白の空間に空白のテーマ
最初の初期衝動と日記は本来見せるために書くものじゃない!って自分の中の言い訳じみた保留態度

いつの間にか 手段と目的が
逆さまになることに無自覚に陥ってく、、、

具体と抽象 は、
普段の会話の話の中でも
意識してる点だが
また実際耳から入った声と
残る言葉と記憶でまた違うのも、不思議だなと思うし、
なかなか 自分と向き合う中(孤独)で
書いてる中身を
孤独を落とし所に するのは、
違うと思いながらも 誰かにこの孤独を
需要されたいのも
書いてる内に ものすごい 襲ってくる…


孤独の裏側に それなりの安心は、
あるんだなぁ

noteの世界には
色々な書き手の人がいて
色々な伝え方、メソッドがあると思うし、読むにつれて 知り得てくる。

声を拾い集めるのも、リアリティのある接続でひとつの前進であり、同時に 今の自分の立ち位置も、ポジショニングも だんだん調整出来て来た。

けど、どーせなら、
ことばとの往復関しては、より細分化されてるはずだし、

 いろいろな方法論 メソッドを吸収したい。

だだっ広い だけど、
細長い回路をいくつも選択肢を広げて アメーバ的に走る(書く)を演出している気分で。「もうすこしゆっくり歩いたら」 の声が遠く聞こえてくるかのように。


ゆっくり生きたい、歩きたい、走りたくないために。

noteとの出会いにより
自己変容していく過程も
またインプットなわけなのですが、

そろそろ
自粛生活も終わりが見えてきた、、、

筋トレも 最初の1週間しか続かなかった、、、


描き終わるかなぁ、、、と呟きながら
今日も 夜の明かりの中 つらつらと。
また歩き始める。


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