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エルサルバドルの癒されアート

エルサルバドルの首都、サン・サルバドルは気候的には「毎日5月🌷」な感じで歩いているだけでゴキゲンになれます。そしてこれに拍車をかけるのがところどころで見かける「癒され」な絵たち。

(↓😸)

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(↓癒さ・・れ?)

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日本にいたころは、「植民地支配とか内戦とかを経験している国で生まれるアート作品って激しそう」とある意味楽しみにしていたのですが、エルサルバドルで見る絵たちは癒し癒され。(↓「激しそうな絵」の脳内イメージ、ピカソ)

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癒されアートの第一人者

観光地に行っても、色使いや絵のタッチが小さい子向けのような、優しいデザインを目にします(↓Ruta de las floresという観光地)。

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こうした「癒されデザイン」に大きな影響を与えた(と思われる)のが、エルサルバドルの唯一無二の画家、Fernando Llort (フェルナンド ジョルト,1949-2018)氏👏。

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エルサルバドルでは、1980-1990年代に内戦(※)が繰り広げられますが、この時代に、Fernando氏はエルサルバドル北部のLa Palmaという地域に移住。その土地で彼は"Semilla de Dios (The seed of God)"コミュニティを立ち上げ、地域の人々に対し、「木に絵を描いて民芸品を作成し生計を立てる」という手法を伝授。今ではLa Palmaは民芸品を中心とした観光地として有名になっています。
(※1980-1992年: 約7万5000人が犠牲となった政府軍とゲリラ勢力との間で起きた国内紛争)

自然等の日常の美しさを、たくさんの人が真似できるようにシンプルに描いた結果、こうした「癒されアート」につながったのかなと思います。
(↓彼の作品等は、サンサルバドルで”El Arbol de Dios (The tree of God) "と名付けられたギャラリーで見られるようになっています)

内戦という不条理の中でも、人々の暮らしに希望を与え、後世にも影響を与え続けているFernando Llort氏は偉大!

ちなみに、このLa Palmaという土地は、1984年には政府と反政府との間で内戦の最初の和解交渉が行われた土地として、歴史的にも重要な場所でもあります。ホンジュラスの国境に近く、サンサルバドルからは少し遠いですが、是非訪れてみてください🚙

ラテンアメリカのアート

「ラテンアメリカのアート」(「ラテンアメリカ」という表現自体がどこをさすのかという問題もありますが、ここではメキシコ以南を示します)って、対象範囲、影響を受けた文化や歴史、そしてそれらを伝える媒体の伝え方が多様すぎて、一言で表すことは難しい。
ともあれ、シンプルに言うと、インディオ(先住民族)文化(~16世紀)、スペインやポルトガルといったヨーロッパの植民地支配(~19世紀)、そして独立国家以降(20世紀~)といった時代の影響、それぞれが混ざり合って形成されたといわれています。

(ちょっと話飛びますが、アフリカのアートって、植民地支配~独立以降といった文化が混ざり合っているというよりは、アフリカ各地の文化を貫いているものが多いように思います。感覚的なものなので、確り比較すると面白そう)

日本で「ラテンアメリカのアート」というと、メキシコの壁画運動をよく耳にする気がします(↓参照)。

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そしてこの壁画運動の第一人者であるDiego Riveraの奥さんでもあった、Frida Kahlo の作品は日本でもなじみ深いですね。眉毛がつながってて衝撃なやつです。

壁画運動やFrida Kahloの絵に共通することって、抑圧された社会や規律に対して、訴えかけるものがおおい。
そして中米ではこうしたアーティストたちを相称し、Traiblazer(道しるべ)と呼ぶようです。
つまりアーティスト=時代の羅針盤。岡本太郎さんとか、日本の芸術家にもこうしたラテンアメリカのアートの影響を受けている方はちらほらいるように思います。
(↓Diego RiveraとFrida Kahloは昔のメキシコのお札(500ペソ)にもなっています)

人々が不満を表現する活動って、過去には本や歌、そして時にはデモだったりと様式は様々。今ではSNSやYoutubeがその役割を果たしていると思うと、あらゆる個人に与えられた裁量が大きい時代。

まとめ:エルサルバドルに来たら、ププサ食べて、パカマラ飲んで、Fernando Llort 氏のお土産を買うといいですよ(↓タオル☺)

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