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〆切は守るべきか破るべきか? 「ライティングの哲学」感想

読書猿さんのこの記事が好きでよく読み返している。

優良進行に越したことはないと思っていて、私は今のところ〆切を破ったことがない。

とはいえ書くのが進まなかったり辛い時期もあり、〆切についての向き合い方など色々悩むところがあり、「ライティングの哲学」を読んで色々参考になった。

この本の中ではまさに上記の記事も扱われている。
つまり執筆とはぐるぐるした無限の思考の中から文字という有限のものを作り出す作業で、なるべくその有限性の限界に向き合いたくないとあがくと、〆切ぎりぎりの進行になる。

本文中では「庭を作る際に石を置いてしまうと、それはもう取り返しがつかなくなる、執筆を進める制約はそれと同じ」とも説明されている。
だだっぴろい庭に何を置いてもいい状態だと可能性がありすぎて、むしろ何もできない。何かしら書いて、制限ができていった方が文章は書き続けられる。

制限を物理的に作ってしまうための、アウトラインプロセッサなどの様々なツールも本文中では紹介されている。更にはwordの広大な空白に向き合わず、とりあえず音声入力でもツイートでも何でもして材料を作り、コピペするところから始めるなんていう方法もある。
「執筆をするぞ」という心持ちではなく、手軽にメモのような文章を生み出していく。そうすることで無限は少しずつ有限になっていく。
とりあえずメモ帳に書き出すだけでも変わるのは、無限の思考でなく有限の紙の上の文字になるから。

私自身も、音声入力を活用してとりあえずプロットらしきものを作り、そこから文章をがっと書いて、最後に縦書きの様式に流し込んで整えるのが最近の執筆の流れになっているので、なるほどと思った。

まずはどれほどちぐはぐでも一旦書き上げることの大切さは、同じ読書猿さんの下記の記事にも書かれている。

一方で、自分の書くものはこのくらいだ、という見切りが早いと、〆切前に原稿を上げられる優良進行になる。
もちろんそれでいい面もたくさんあるけれど、それだけを繰り返していてもいいのだろうか。

もっと材料を入れて煮詰める、有限性に向き合わないぐるぐるしたカオスな段階を増やして、もっといいものが書ける、偶然すごいものに出会える、そういう風に無限へと向き合う時間を引き延ばしてもいいんじゃないか。

この本の趣旨とは真逆かもしれないけれど、個人的にはもうちょっと、もうちょっとと粘る中に見えてくるものをもう少し追求したいなと思った。
できれば〆切はなんとかぎりぎりにでも守りながら。

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