見出し画像

そこに永遠にはいられないから

永遠に留まってはいられない場所から人はどうやって抜け出していくんだろうか。私にはずっとそこが疑問だった。

多くの人間がそこにいられないとしても、抜け出すためのスキルが身につくならまだいい。たとえば戦略コンサルとか投資銀行とか。フルコミ営業職もあるいはそれに含まれるかもしれない。

ただ、そこにいることで職業人としての価値が増えることがない場所ならどうだろう。あるいはそこにいるための条件に「若さ」が絶対的に必要な場所で、転職が容易でないとしたら。

例えば昔私がやっていたキャバクラ嬢やグラビアアイドルなんて仕事はその典型例だ。

最近、グラビアアイドル時代に撮影会でたまに顔を合わせていた女の子に、映画館で再開した。再開したと言っても彼女は作品の中にいて、私は観客としてだけれど。TOHOシネマの大スクリーンで、主役級の役を張っているその姿を見て私は思った。「芸能の世界で成功するって方法で抜け出す方法もあったんだ」と。

24歳から25歳までのだいたい2年くらい。私はキャバクラでバイトしながらグラビアアイドルの真似事をするっていうどうしようもない生活をしていた。研究者になりたくて大学院に進学するも行き詰まり、意味もなく京都から東京に出てきて、気がついたらそんな生活になっていた。

毎日が不安で不安でならなかった。当時すでに24歳。売れないグラビアアイドルとしては高齢である。それに、芸能の世界で売れるなんて夢のまた夢みたいだった。毎日コンビニに行ってはそこに並ぶ週刊誌のグラビアページの遠さに頭がくらくらした。どうやったらあそこに載ることができる?そんな日は私に来るのか?テレビをつけたら吐き気がした。自分がそこにいる未来が全然見えなかった。だいたい会社員みたいに保証された制度もないから、明日病気になったらそこで無収入だ。

ここから抜け出すことはできるんだろうか、と思うことは多かった。将来についてゆっくりと考える余裕なんてなかった。

私はいかにそこから抜け出したか

私の場合、転機は突然訪れた。


それはいつものキャバクラで、いつも通り新規客についていた時のこと。何かの会話の流れで私が京大の大学院に行っていた、という話になった。これは当時の私の鉄板ネタで、他の嬢との差別化ポイントだったからよく話題にしていた。いつもなら一時的なネタにされて終わるところ、その日は違った。

「なら就職した方がいいよ。まだ卒業して半年でしょ?会社員として就業経験が1ヶ月あるのかないのかで、このあと全然違うから。なんならうち来なよ。紹介するからさ」

とその人は言った。しかも信じられないことに本当に面接をセッティングしてくれた。

私はスーツカンパニーでリクルートスーツを買い、フェルミ推定の本を読み漁って(コンサルティングファームだった)面接に挑んだ。


結局、その会社は残念ながらお祈りされてしまったけれど、私は思った。
「まだ就職とかする道ってあるんだ」と。

そこからはGoogle先生に頼ることにした。だって、文系院卒・既卒・現在職業グラビアアイドル(実質キャバ嬢)からの転職である。何していいのかわからない。

「院卒 文系 既卒 就活」とGoogleの検索画面に打ち込んだ。すると、ある転職エージェントを使った慶応の文系大学院卒の女性が就職するまでの様子を書いたエッセイが一番上にヒットした。
当時は転職エージェントというものが何なのかもよくわからなかったが、とにかくその会社に連絡してみた。

そこで出会った転職エージェントのお兄さんはわりといい人で、私の希望を一応聞いてくれて、いくつかの会社の面接をセットしてくれた。
彼が言っていた言葉で印象に残っているものが一つある。「このあともキャリアを積んでいける会社に行きましょう」と。スキルがつかない職種で1社目に入ってしまうとそれしかできなくなってしまう。それじゃ次転職したくなった時にしづらいから、なるべくキャリアが積めるところにと彼は言った。
そのポリシーは本当に生きていて、小さいながらにスキルらしきものがつきそうな会社をいくつか紹介してくれた。
他にも何社か、大手人材紹介会社で働いている友達が紹介してくれたエージェントを使ったりもした。

今思えばありえないくらい書類で落ちた。このあと私は2回転職したのだけれど、その2回は書類でほとんど落ちなかった。手に職のない新卒に対してエージェントにフィーを払ってまで面接しようと思う奇特な会社は少ないってことだろう。

それでも何社か面接に進み、ギリギリのところで小さなコンサルティングファームに拾ってもらった。その連絡を受けたとき、歩道橋の上で涙が出た。

そこから先はまた別の物語だ。

他の人たちの物語

周りを見渡して他の人たちはどうやってあの世界から抜け出していったのか考えてみる。

芸能時代の知り合いはまだがんばっていることが多いけれど、副業(っていうか本業)として事務の仕事を派遣でやっているなんてことを聞いたりもする。そうやって現実的にお金を稼ぎつつやりたいことを続けるというのは素敵なことだと私は思う。

キャバクラの同僚のうち、専業でやっていた人たちの何人かは結婚した。結局イグジットの方法としてはこれが最多だったんじゃないかと思う。有名人と結婚した女の子(本人も元々タレント)は楽しそうにママタレとしてテレビに出たりしている。実際のところは知らないがFacebookを見る限り幸せそうだ。

他にも美容サロンを開業した人が二人。起業の成功率を考えれば、潰れていても良さそうだが、いまのところ事業は継続しているらしい。キャバクラの接客スキルが生きているのかどうかは知らないがうまくいっているのはすごいことだと思う。

まとめ

結局のところ、人生は長いし意外と手を変え品を変え、仕事を変えて生きながらえていくことはできるってことだ。もちろん努力や運は必要だ。でも、底辺のグラビアアイドル兼キャバクラ嬢という状況から希望の職につけた私は思う、「意外と死なない」と。その思いは今も私を支えている。














この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?