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「シン・仮面ライダー」と向き合う

 『シン・仮面ライダー』を最速上映で目の当たりにしてきました。一応、本作をもって2016年の『シン・ゴジラ』からスタートした、いわゆる「シン・ジャパン・ヒーローズ・ユニバース」は一旦の区切りとなります。

舞台挨拶

 上映前にメインキャスト陣による舞台挨拶がありました。この時点でキャストの大半は試写会等で本作を二回、鑑賞しているとの事。封切り直前という事もあり本編の内容には無関係の当たり障りのないトークだったため特に言う事はありませんが、本作への意気込みなどを質問された主演の池松壮亮氏は終始歯切れが悪く、どこか困惑の垣間見える応答なのが印象的でした。逆にハチオーグ役の西野七瀬さんは元々「仮面ライダー」が好きなのかずっとニコニコと受け答えしていらっしゃいました。まさかこの差がそのまま分水嶺になろうとは……

これから観る人へ

 本作に関してはあらかじめ断っておいた方がフェアな気がします。今回は先のゴジラやウルトラマン以上に、庵野監督の原体験が色濃く反映された映像になっています。これに比べたら前回のウルトラマンなんかは、むしろ直球でわかりやすいファンサービスだったのだなと可愛らしく思えます。記事的にも百万倍あっちのが書きやすかった。
 それは決してマニア向けという事を意味しませんが、同時にどうしようもなくマニアの作った作品という事が伝わってくる仕上がりなため、あまりライトな気持ちで観に行くと今度ばかりはやや痛い目を見るかもしれません。僕自身も事前に「庵野秀明展」に二回、足を運んでいなければおそらく即死でした。(初見NGという意味ではないのですが……察してくれ!)

観ている時の脳内(終始これ)

 そんなライダー・ヒートショック現象の対策に事前の慣らしとして「庵野秀明セレクション」として絶賛配信中の仮面ライダーの再放送をご覧になるのも良いですし、それ以上に原作漫画やSHOCKERサイドのスピンオフ前日談『真の安らぎはこの世になく』を予習するなどの準備運動で最低限、これから「仮面ライダー」と向き合うのだというマインドを整えておく事をお勧めしておきます。(そういう心構えが大切なだけで必須ではないです)

 仮面ライダー以外ではこの他、『新世紀エヴァンゲリオン』や実写版『キューティーハニー』などもおすすめ。今回は単に元ネタを知ることよりも庵野秀明の作家性や彼の特撮ヒーローに対する思想に触れる事の方が作品を咀嚼する上ではより大きな一助となるからです。それでは以下、本編の感想に移ります。

幕前~第一幕

 もちろん東映配給なので、例のごとくお馴染みのアレからスタート。

 のっけからサイクロン号を伴ってのライダーアクション。なんの説明もなく浜辺美波を背に乗せて追われる本郷。ショッカー怪人もといSHOCKERの上級構成員「クモオーグ」と熾烈なカーチェイスを繰り広げます。『ルパン三世 カリオストロの城』を紐解くまでもなく、アバンタイトルでカーチェイスするのは名作の証明。昨今なかなかお目にかかれないトラックの崖落ち爆破は東映にしては潤沢な予算を感じさせます。(ちなみにこのトラックに書かれた「三栄土木」は初代ライダーのロケ地に用いられた採石場の通称)

ナンバープレートは第6話「死神カメレオン」より
ショッカーのダミー企業と名高い

 クモオーグが移動の際に用いていた、妙に型の古い車は特撮ファンで知らぬ者なき故・実相寺昭雄氏の愛車をそのまま使用したもの。ナンバー含めて初見でネタに気付けた自分を褒めたい。しかし実相寺監督といえばウルトラシリーズで知られ、ライダーには携わっていない御方。敢えて今作に起用する度し難さには感銘すら覚えます。(奥様は『シン・ゴジラ』に出演)

ちなみにナンバーはエンディング合わせ。
(第4話「人喰いサラセニアン」でもショッカー戦闘員が乗車)
この映画に限らずナンバープレートなどは
制作側が小ネタを仕込んでいるケースが非常に多いため注意して観るとニヤリと出来る

 しかし逃走むなしく捕らえられてしまう浜辺美波こと緑川ルリ子。殺人嗜好者に目玉を抉られそうになる絶体絶命のピンチに、SHOCKERによってオーグメンテーションを施された「バッタオーグ」本郷猛が目覚めます。当然のことながらこのシーンのアングルはオリジナル版の初回そのままの再現。

 このシーンは元来、ショッカーに拉致されたルリ子の父、緑川博士を救出する際のものでした。予告の時点で幾分明らかでしたがオリジナル版や原作漫画とは異なる展開なので、ひと口に再構成といっても『シン・ウルトラマン』とはアプローチが異なるのが分かります。

 さて、目覚めたバッタオーグは瞬く間にSHOCKERの戦闘員を文字通り蹂躙して窮地を切り抜けます……が、これがまたすこぶる凄惨な描写でPG12指定も納得の夥しい流血を見せてくれました。殴る蹴るでは飽き足らず、頭を踏み潰して弾けた返り血が森の木々を赤く染めるなど、その光景はまさしく酸鼻を極め、とてもお子様にはお見せ出来ない感じです。『鬼滅の刃』の時にも思いましたが、あれがPG12程度なら映倫って殊の外、基準は緩い方なんじゃなかろうか。

そういう
前例が
ないでもないが

 こうした返り血は原作漫画でも特に序盤に多く見られた描写ですが、本作ではさらに本郷の赤く染まった主観から人を殴る様を織り交ぜる事で、ヒーローが須らく宿業として持つ暴力性を直視させ、彼がそれを忌避するに足る理由付けを持たせているのだろうと思います。上記に一例として挙げた『仮面ライダークウガ』もだいたい同じような思想でこれをやってましたし。
 この時点での本郷は暴力に身を委ねるだけのバッタオーグに過ぎませんが、マフラーを着けて仮面ライダーとしての自覚を持つにつれ、敵の流血は次第に減っていきます。

 ところで、オリジナル版の放映当時は子供たちの間でごっこ遊びが流行。ライダーキックの真似をして負傷者が相次ぎ、ちょっとした社会問題となっていました。そのため劇中でわざわざ「少年仮面ライダー隊」などを結成し、ライダーに憧れる等身大の子どもたちを描写。そして彼らの前で過酷な修行を実践する事で、「仮面ライダーだから出来る事なのだ」と明示して注意を促すなど、今とは別のベクトルでヒーローの持つ(常人には到底無理な)強い力を持つ事の意味や危険性に対するアプローチがなされていました。本作で言えば、残虐極まりないオーグメントの力に対して本郷や一文字のような強い精神力を持った者の心がけがあるからこそ「あの程度」の暴力性で済んでいる、というような逆の視点からの目配せを個人的には感じます。

 「仮面ライダー」には戦うにあたって変身するとはいえ、実際のところは改造を施された時点でオーグメントとしての姿の方が素の状態。その意味で本作は変身よりもそこから人に戻る事の意味づけを逐一強調している点で画期的な試みでした。(事実、変身解除には著しくプラーナを消耗する)

怪奇 蜘蛛男

 「私は常に用意周到なの」が口癖のアニメみたいな女、緑川ルリ子さんのセーフハウスに身を隠す二人。いったんタイトルを挟んだとはいえ、唐突な場面転換はいわゆる「東映ワープ」とも言われるご愛敬。
 そこでようやく我に返った本郷はオーグメンテーションによって変わり果てた自分の姿と人智を越えた膂力、そしてなにより殺人に対して忌避感が働かなかった事実に慄きます。このあたりの描写、特に外見の変化に関してはオリジナル版よりも漫画版の影響が色濃く出ています。

 困惑する本郷のもとに恩師である緑川博士が現れ、彼に衝撃の事実を伝えます。曰く、

「君は組織の開発した昆虫合成型オーグメンテーションプロジェクトの最高傑作だ。体内とエナジー・コンバーターに残存しているプラーナを強制排除すれば人の姿に戻る」
「プラーナは君の生命力そのものを直接支えている」
「君を超人に変えたのも圧縮されたプラーナの力だ。君の身体に施されたプラーナの吸収増幅システムがその源。防護服の胸部コンバーターラング、そしてベルトとマスクに連動している」

劇中、緑川博士の台詞より抜粋

 かってに改造。かいつまんでご説明すると、「仮面ライダー=本郷猛は改造人間である」という事です。原点の通り、ベルトに風圧を受ける事によって変身できるようになります。(このプロセスを経る必要が「仮面ライダー」たる所以)

 原作に無い独自の設定としては本郷を始め、SHOCKERの上級構成員はオーグメンテーションによって得たプラーナなるエネルギーで超人的な能力を発揮できるとされている点。クモオーグが(人間嫌いという彼個人の意向で)不可逆の人外融合型であるのに対し、昆虫合成型である本郷は体内のプラーナを放出する事で人間の姿に戻れるという理屈のようです。
 「プラーナの未来を託せるのは君しかいない」などと宣い、肝心な本人の同意を得ないまま、独善によって本郷に改造を施した事情を矢継ぎ早に説明した緑川博士は娘のルリ子を彼に託してクモオーグに縊り殺されてしまいます。

 この時、緑川博士の死体は泡となって消えてしまいますが、これはオリジナル版第一話と同様の演出。おそらく庵野少年の脳に焼き付いた強烈な原体験の一つであり、そのリスペクトだと思われますが、本作ではこれに飽き足らず構成員全員に仕込まれた機密保持のプロテクト機能として扱われ、博士に限らずSHOCKERの関係者は死ねば全員が泡となって消えます。今にして思うと『旧劇エヴァ』で補完された人類がL.C.L.に還元されてポシャる描写もこれが原点としてあったからなのかもしれません。
 
オリジナル版初期の怪奇路線の継承や、ライダーに倒された怪人が毎度爆発して痕跡を残さないことの本作なりの回答として用いているのでしょうが、こんなに真剣な手つきで一話限りの演出を擦られるとは想像もしていなかったため、劇場で思わず声を出しそうになりました。(演出そのものはやるとは思っていましたが)オタクすぐる……。

 クモオーグ戦は予告通りの原作再現。ヒーローらしく赤のマフラーを託された本郷は、ここで初めて「仮面ライダー」を自称します。流石にライダーキックや各種エフェクト、アクションなどブラッシュアップすべきところはされていますが、構成的にはカメラワークも込みでほとんどそのままだったと思います。というか、全体的にアングルは蜘蛛男回と蝙蝠男回のそれを踏襲した魅せ方が多かったような。その点において、庵野秀明展にあった学生時代の自主制作や下記の動画は非常にわかりやすく癖(ヘキ)が出ています。

ご存知のライダーキック
「空中では圧倒的に私が不利ッ」って、黛冬優子以外に言うヤツいたんだ。

 それと本作では一貫してバッタとの力関係や、モチーフとなったそれぞれの昆虫の強みがセリフなどでもより強調されていたのが印象的でした。

第二幕

 ここまでは尺が二時間しかないのとテンポ重視でキャラクターの背景だとか設定だとかの必要情報をほとんど無視して進んでいったのですが、ひと心地ついたのでそろそろ説明が要るよね、という感じで用意周到女のセーフハウスpart2へ。『シン・ウルトラマン』の時にも感じたシーンの合間のブツ切り感も一貫して虚構と現実の狭間にある何かしら作為的なモノを感じます。

 そこに待ち受けていたのは……、

 キャスト隠してる時点でやると思ったよ!
 
……というわけで政府の男たちだそうです。名前は後ほど明らかに。冷静に考えて恐らく21世紀以降に設立されたであろう悪の組織がまず公安監視対象でないわけがないため、SHOCKERも当然に破防法の適用範囲なのでしょう。監督省庁はノイズでしかないので今回は明示されてませんが。もはやシリーズ恒例行事のきらいがある竹野内豊に身柄の安全と引き換えに協力を迫られる情報開示パートへ。ちなみに政府のSHOCKER資料は一次ソースが合衆国政府とシギント(通信傍受)なので、原作同様、世界各国に支部がある模様。

 ショッカーといえば「世界征服を企む悪の秘密結社」として知られていますが、今作のSHOCKERも結論としてはそういう存在で間違いないようです。
 SHOCKERはもともと日本の大富豪が巷で流行りの人工知能に目を付けて、彼らに「人類の幸福を定義した後、それを確実に実行する」ようにプログラミングした事が始まりでした。人工知能のアイは端末であるジェイ(あからさまにキカイダーなのだ!)やケイ(あからさまにロボット刑事Kなのだ!)を通じて外界を認識し、幸福の在り方を陥りがちな功利主義ではなく、「もっとも絶望した人間を救済する行動モデル」として設定。すなわち"Sustainable Happiness Organization with Computational Knowledge Embedded Remodeling"として誕生したのでした。

 なにやら崇高な思想に思えなくもありませんが、所詮はAIという事なのか、その運営実態は「絶望した人間に望みを叶える救済手段としてオーグメンテーションを施し、そのまま好き勝手させる」というもの。実質的なトップであるイチローの意向を目下の方針として運営されている節もないではありませんが、基本的には力を渡すだけ渡して野放図に放置しているため、オーグとなった個々人のスタンドプレーが横行しています。(当然、組織内部でも対立状態)
 しかしある意味で奇跡的というか当然の帰結というか、絶望した人間の内にはほぼもれなく破滅願望しかないため、結果として組織全体がそういう方向性に。死は救いだから

 これはそもそも、原作のショッカーが「世界征服」を漠然と掲げながら日本列島を爆発させようとしたりウイルスをまき散らしたりと、いまいち何をやりたいのかよくわからない団体だった事に対して、大真面目に現代に即した合理性を見出そうとした結果の着地点なのだろうと思われます。首領というか運営責任者の正体すら曖昧模糊としている点も含め、ショッカーの根絶が難しい要因でもある。(後継組織が無限にポップしてくる)
 こうやって書き連ねるにつけ、何故『Over quartzer』のような怪作が仮面ライダーの歴史として出力されたのかが分かってきたような気がします。仮面ライダーって自由なんだ。敵も味方も……。

恐怖 蝙蝠男

 政府の男による依頼を受け、次なるターゲットを生化学研究所を司るコウモリおじさん(コウモリオーグ)に定めたルリ子。パンフレットで白倉Pも言及していましたが、『仮面ライダー』との大きな違いとして、今作では襲い掛かるショッカー怪人を都度に迎え撃つのではなく、自ら出向いて倒すロードムービー的な造りになっています。この異同は庵野監督が愛してやまない『仮面ライダー555』の作劇が影響しているのかもしれません。ルリ子の外見もどことなく園田真理だし。同じ見方に立つと先の泡になって消える構成員も、死ぬと例外なく灰になるオルフェノクと重なってわかりやすくなる気がします。

エヴァやゴジラにもアナグラムを仕込むほど好き

 なお本郷のことは「優しすぎる」という理由で置き去りに。省みる機会がありませんでしたが『シン・仮面ライダー』における本郷猛はスポーツ万能、頭脳明晰というスペックはおよそオリジナル版と変わらないものの、藤岡弘とは対照的に(ルリ子曰くは)性格がコミュ障と明言されています。そのため大学卒業後も就職できず現在は無職という悲哀を背負って戦います。100億稼いだら本郷猛を碇シンジ君にしてもいい……。
 恩師である緑川博士も所詮はSHOCKERの価値観に染まったエゴイストであったため、己の無力さに絶望した本郷の望みと優しい性根を買って最高傑作であるバッタオーグを一方的に託しましたが、本郷自身はその優しさゆえに強すぎるオーグメントの力に困惑を隠せませんでした。

 手際よく怪しげな施設を制圧していくルリ子。彼女は組織で育った生い立ちから上級構成員とは互いに顔見知りの様子。東京生まれSHOCKER育ち、悪そうな奴らはだいたい親戚。

 コウモリおじさんの目的は、概ね原作と同様に致死性が高く、自らに従順となるバットビールス(ウイルス。オリジナル版当時の発音を踏襲)を日本中にバラまき、疫病を蔓延させて人類を淘汰し、真に生き残るべき人間を選別する事。ウイルスや細菌兵器的なものはこの後のサソリオーグでも見られますが、オリジナル版でも本郷自身が生化学研究室所属という設定なだけあってそこそこの頻度で扱われており、その度にビールスと称しては顕微鏡で覗いたミドリムシの拡大画像が出てきて苦笑したものです。
 蝙蝠男のエピソード自体セレクションにも名を連ね、当時の庵野少年の心に焼き付いたフィルムであることは想像に難くありませんが、無人兵器や無駄に広い会場のキャパシティに対してCG合成で実際の動員数はほぼ0という撮影手法などを併せて、こんな時代だからこそ起用された面も否めません。なおコロナ禍のスタンスに関しては諸々の公開時期がずれ込む要因となった事もあってか「疫病は満遍なく人を不幸にする」という本郷のセリフが全てを物語っています。

 オリジナル版では頭の切れる本郷の騙し討ちにあって蝙蝠男の計画は頓挫しますが、今回は用意周到な事で知られるルリ子の策にハマって遁走する羽目に。どこまで真面目な造りをしてもこういう間抜け具合というか愛嬌を隠し切れないのがショッカー怪人の哀しいサガ。最後はまさかの変形で空を飛ぶサイクロン号という空前絶後の光景からライダーキックで潰されて退場。ちなみにコウモリ曰く、シン一号の跳躍力はカタログスペックで66m30との事。設定上、初代ライダーが15m程度、V3ライダーでも60mなのでかなり盛られています。なお庵野少年の心に深く突き刺さったであろう本来の蝙蝠男戦のリベンジは以降のシーンに持ち越し。

怪人 さそり女

 特になんか前触れとかなく、いきなり出てきました。そして光の速さで死んでいきました。アニメみたいなサソリオーグ(演:長澤まさみ)が……。

 モニター越しからエロい声を出してるのを竹野内豊に凝視されながら公安の部隊に制圧される羞恥プレイ。AV鑑賞? 全くライダーに関係ない所で退場していきました。前日談で物語の位置エネルギーを使い果たしてしまったといった所か。最後は小さく「……がくっ」って言いながら死んでるのが味。
 一応、シーンの意味としては後の伏線のほか政府組織とSHOCKER、仮面ライダーのパワーバランスを示唆する役割。要するに政府としては特殊部隊でもなんでも出動させれば、上級構成員であるオーグを倒す事も不可能ではないものの、如何せん人員リソースの損失が大きすぎるため仮面ライダーに任せる方がコスパが良いといった具合です。実際、今のサソリの毒みたいに自分たちで押さえておきたいものにはこうやって手を回してますしね。しかし前作も大概でしたが、長澤まさみにやらせていい事じゃないだろ!(ありがとうございます)

※公式スピンオフです

第三幕

 実はサソリオーグの猛毒性化学兵器はバットビールスと違ってプラーナでは無効化できないらしく、普通に命拾いしていた本郷とルリ子。それ以上は特に省みられることはなく次なる標的をハチオーグ(演:西野七瀬)に定めます。ハチも例によってルリ子の知己であり、かつては「ヒロミ」という名で交友を育んでいた模様。その微笑ましい様子の一端は「シン・仮面ライダーチップス」のカードからも窺い知ることが出来ます。

 ちなみに「ヒロミ」の元ネタは『仮面ライダー』でルリ子と同じく、立花のおやっさんが経営するスナック「Amigo(アミーゴ)」でバイトしていた初代ライダーガールズでお馴染みの野原ひろみから。(前半2クール過ぎた辺りからいつの間にか居なくなってたけど)

は、ハチオーグたそ 萌え~

 「あらら」が口癖のまたしてもアニメから飛び出たようなハチオーグの志向する幸福モデルは「効率的な奴隷制度に基づく世界システムの再構築」。先のコウモリオーグが「疫病」を司っていたのに対して彼女は「支配」のモデルを提示しているので、モチーフが明確に黙示録の四騎士だと分かる瞬間。眼鏡に仕込んだ催眠装置で人々を操っていたショッカー怪人・蜂女からはかなりスケールが上がっているように見えますが、ハチオーグも手始めにやったことは商店街の人間を洗脳する事なので同じようなものです。ルリ子は「いちばん友達に近い関係」であるヒロミを説得するものの、交渉は決裂。洗脳されて構成員となっただけの市民を傷つける事を嫌った本郷はルリ子を伴って一時退却します。
 ちなみに全くの余談ですが、商店街のシーンでは『仮面ライダー』が放映されていた1973年頃の東映配給を『仁義なき戦い』シリーズが占めていた事もあってか背景にポスターが採用されており、エンドクレジットを埋め尽くさんばかりの勢いでした。

まったく関係ないルリルリでお茶を濁す

 撤退したルリ子はチョウオーグの羽化に備えてプログラミング。ここで彼女がSHOCKERの人工子宮によって造られた電算機であるという事実が発覚します。いや、上で関係ないって言ったけど、これはもうかなりホシノ・ルリかも。父親の事をバカバカ言ってるし……。
 なお無職のコミュ障だがバイクは好きなので、結果としてゆるキャン△が板についていた本郷。彼は何も食べなくても周囲の生命からプラーナを吸い続ける事で生きていける身体であることが明かされます。それゆえ昆虫合成型オーグメンテーションにこそ人類の進化を見出した緑川博士でしたが、人類全体がそのようになると結局リソースの奪い合いとなって滅亡を促進するだけという結果を悟って凍結した模様。後述するハビタット計画もさることながら、外の世界に目を向けずに自己の内側に篭って結論を出すと視野の狭さゆえに単純な陥穽にも気付けないという事でしょうか。バカばっか。

聞いているのか、碇
「……」

怪異! 蜂女

 本郷の人柄を信じてハチオーグの居城に再突入するルリ子。前回の時点で抜かりなく外付けされた洗脳装置サーバーの位置を特定していた本郷の講じた作戦はなんと「米軍の戦略爆撃機(エヴァを除くシン・シリーズ皆勤賞)から自分自身を投下して基地にめがけてライダー回転キック」という内容。並の映画であればこの辺りでひと悶着あるはずですが、二時間しか尺が無いのと、なによりご覧の作品は『仮面ライダー』なので一瞬で終わります。あらら。

メ・バチス・バと同じ方向性のデザインだ

 例のごとくものの一瞬で計画が破綻したハチオーグに再度、投降を促す本郷ですがそもそも「ルリ子を泣かせたい」という激重百合感情を持つ彼女には通じず。結局「ショッカー襲来」のサントラを引っ提げて戦う羽目になります。この一連のシーンは西野七瀬さんの醸し出す絶妙な外連に注目。アイドル時代の彼女をよく知らないだけに、こんなにもポテンシャルのある役者だったのかと驚くばかりでした。

高速戦闘でコマ数が落ちているのは当時の合成を再現した演出(これも第一話で確認可能)

 死闘の末にライダーに追いつめられるハチオーグ。渾身のライダーキックを前に「もはやこれまで」と悟るも、トドメを刺すのが本意ではないルリ子と本郷は彼女を見逃そうとします。しかしそこへ割って入る政府の男、斎藤工が撃ち込んだサソリオーグの毒入り殺傷弾によってハチオーグは絶命。皮肉にもそれによってルリ子を泣かせたいという彼女の望みは達せられたのでした。サツバツ!

第四幕

 政府の男たちに匿われる本郷たち。特に水回りの環境がシビアで『シン・ゴジラ』や『シン・ウルトラマン』でも見られたシャワー・体臭・着替え問題が再燃。とりわけ今回の「着たままの防護服が臭う」という切実な問題は奇しくも『シグルイ』や『覚悟のススメ』で知られる若様の最新作『劇光仮面』の中でも触れられている通り、着ぐるみ特撮は水に弱い性質のラテックスというゴム素材を用いて造形されるため、洗浄が容易でないという制作上の裏事情を反映したものと思われます。

 ルリ子と本郷の束の間の安息はチョウオーグことルリ子の兄、緑川イチローの覚醒によって儚くも打ち切られることに。
 政府の特殊部隊は功を焦ってチョウオーグのアジトに突撃をかけるも敢えなく全滅。隊員たちの遺体に損傷や化学兵器の痕跡はなく、笑顔のまま生命活動が停止しているという不可解な状態。ルリ子曰く、彼らはプラーナを強奪され、その魂は嘘や隠し事のない本心だけの別次元、通称「ハビタット世界」に飛び立ったのだと言います。
 チョウオーグの目的とはすなわち「全人類の魂をハビタット世界に送り去る事で欺瞞に満ちた人間という種を救済する事」でした。身も蓋もないことを言うとこれは「人類補完計画」とやっている事にほぼ変わりはなく「またエヴァかよ」という批判も聞こえますが、これはそもそも『仮面ライダー』が庵野監督の原初体験である事から翻って考えると前後が逆で、どうやらショッカーの世界征服ヴィジョンが庵野の目にはああいう風に映っていた、というのが正解っぽい。加えてその在り様を端的に「地獄」と言い切る事で『エヴァ』がより分かりやすくなるという現象が発生しました。

奇しくもエヴァの影響を大いに受けた『コードギアス 反逆のルルーシュR2』でも嘘のない世界の実現=神殺しと捉え、ほとんどハビタット計画そのままに物語が進行します。

正義 仮面ライダー第2号

 ルリ子は兄であるイチローの計画を阻止すべく、アジトに乗り込んでパリハライズ(浄化の意味。本作では主にSHOCKERの洗脳から解放する事を指す)を仕掛けますが、圧倒的なプラーナの含有量を誇る彼には通用せず逆に昏倒してしまいます。個人的には「妹と寝たのか」のやり取りは、イチローが絶望の中で(肉体関係を含む)利害以上の信頼という関係性を認識できなくなってしまった事の表れだと感じました。
 あくまでもルリ子を置いて引き下がるつもりのない本郷に対して戦うのが億劫なイチローお兄さんは刺客を差し向けます。

 それは緑川博士が開発していたもう一人のバッタオーグ。その名は「一文字隼人」。元はフリーのジャーナリストだった彼もまたSHOCKERに見初められてオーグメンテーションを施された存在でした。一文字の扮する第2バッタオーグはイチローの手によって強化され、呼吸によるプラーナの自己生成が可能となっていました。そのため本郷とは異なり、いちいち風を受けずともその場で変身できるという特徴を持ちます。この代わりに「お見せしよう」と編み出されたのが、オリジナル版当時において社会現象を引き起こし現在のシリーズでも須らく踏襲される事でお馴染みの変身ポーズでした。

 本郷ライダーを追跡する一文字ですが、SHOCKERによる洗脳を受けてなお自己の信念を貫き、本郷がプラーナを十分に溜めるまで手を出す事はしませんでした。「スッキリするかしないか」が彼の行動原理です。与えられた指令に背いたり手を抜くことはしないものの、周囲への被害を考慮の上、プラーナを維持するのに適した屋上を選んだ本郷の戦術を「いいね!」と素直に評価するなど、さっぱりとした性格のナイスガイである事が伝わります。そんな彼の意志の強さを見た本郷は本気を出すことが出来ず、跳躍力の要である足をへし折られてしまいます。

 あわやトドメという所で割って入ったルリ子は、一文字の洗脳を解くために彼の仮面に触れることでパリハライズを試みます。ここでSHOCKERの洗脳が「悲しみに纏わる記憶を全て封じ込めた上で多幸感を植え付ける」というディストピアじみた手口であることが明かされます。そのため洗脳を解く過程で封じ込められた悲しみが一度に蘇る事から仮面を外した一文字は泣き腫らした顔に。なお、彼の具体的なバックグラウンドに関しては特に本編で明かされる事はありませんでした。

 一文字の解放に成功したルリ子でしたが、透明化して襲い掛かってきたカマキリカメレオンオーグ、通称”KKオーグ”に隙を突かれて致命傷を負ってしまいます。全然笑うような場面ではないのですが、先述の事情から泡となって消えていくルリ子のシーンに対して正直どんな反応をすればいいのか迷ってしまいました。(ちょっと笑いました)

 このKKオーグは聞く限りにおいてSHOCKER初のカマキリ、カメレオン、人間の三種合成型オーグメントで緑川博士とは別の派閥である死神グループによる成果物である模様。快楽殺人者であったクモオーグを先輩と慕い、その敵討ちとしてSHOCKERの裏切り者であるルリ子の命を虎視眈々と狙っていました。曰く「裏切りは殺人より悪、敵討ちは人助けよりも善」であるとの事。旧来のショッカーも裏切りには絶対的な死を制裁として科していましたが、要するにこの思想を貫徹すると、自らの行いを悔い改めるといった人の心の移ろいを認めず、ただ一貫性に殉じさせるという意味で実にショッカーらしく、また補完計画じみた単一的世界規範が出来上がる事でしょう。なかなかわかりやすいロールモデルだと思います。

 余談ですが初代『仮面ライダー』の番組後半では、ライダーに倒されるばかりであまりにも不甲斐ないショッカーの有り様からついに当の首領が激怒し、別で運営していたゲルダム団という組織に吸収合併させる形で「ゲルショッカー」を名乗るようになります。このゲルショッカー怪人の特徴こそ複数の動植物を合成した改造人間であり、怪奇路線からの脱却も込みで旧ショッカー怪人より明確にパワーアップしたことを示すものでした。KKオーグの存在はその辺の事情を本作なりに反映したものであると言えるでしょう。おそらくは死神博士(=イカデビル)もこの世界には存在するのでしょうね。

 ここで自我を取り戻した一文字が戦線復帰。彼もまたマフラーを託された事で、SHOCKERの敵を意味する「仮面ライダー」を名乗り、さしあたって自らを利用した組織に落とし前を付けるべくKKオーグと戦います。戦いとはいうものの性能面では互角以上にも拘わらず、絶望を振り切った精神力の違いを見せつけての完封勝利でした。

 もともと「一文字隼人」という存在はもともと撮影中に本郷役の藤岡弘がバイク事故で大怪我をしてしまったため、急遽、2号ライダーとして立てられた代役でした。フリーのカメラマンであった彼も本郷と同様にショッカーに改造され、脳手術の直前で1号ライダーに救出された事からヨーロッパに旅立つ彼の意志を継いでショッカーと戦う事を選びます。
 友人である藤岡弘の役を奪うのは忍びないという理由からあくまでも復帰までの代役として立ち続けた彼ですが、その快活なキャラクターや先述の変身ポーズが起爆剤となって初期の怪奇路線からヒーロー活劇への転換点となり、現在まで続く仮面ライダー人気を形成する礎となりました。

第四幕(後編)

 マスクに記録されたルリ子の遺言を聞き届け、涙する本郷。本来は全く笑えるシーンではありませんが、迫真のSOUND ONLYに思わず苦笑してしまうなど。
 初回では劇場の環境ゆえかよく聞き取れませんでしたが、マフラーの件はギリギリ直接伝えられていました。後述する画面の明るさもさることながら、だいぶ劇場によってブレが発生するタイプの映画だと思います。このシーンもなまじ音響の良い劇場で見ると演者の滑舌とカラスの鳴き声がやや気になるといえば気になりますが、あれでゴーサインを出したという事は質感を重視しての判断なのでしょう。

 さて、政府の男たちとの対話で明かされる本郷の過去……すなわち緑川博士に見出されたきっかけとなった出来事は大学時代に経験した、警察官だった父の理不尽な殉職に居合わせた際に感じた無力感。拳銃という強い力を使う事なく亡くなった父とは対照的に、オーグメントとして強すぎる力を持った自分との在り方の懊悩こそ、本郷の強さであり弱点でもある「優しさ」でした。コウモリオーグとの戦いに臨む際には力を持っていて使わなかった父と自分は違うとして迷いを制しました。
 ルリ子の復讐を問われた彼は、ただ彼女の遺志を継ぐだけだと否を告げます。そんな彼に竹野内豊演じる政府の男は「絶望は誰しも経験するが、その乗り越え方は人それぞれであり、本郷は本郷なりの乗り越え方をすればいい」と激励して彼を送り出します。庵野監督自身も鬱の時期はニチアサの視聴を無聊の慰めとしていたそうなので、どこか実感の伴うセリフです。僕も鬱で4年くらいずっと泣きながらアニメ見てたので共感しかありません。

 洗脳されていたとはいえルリ子の死を招いてしまった事に詫びを入れつつも群れるのは趣味でないと言い、去っていった一文字。「バイクは孤独を楽しめる。そこが好きだ」という何気ないひと言は、本作の結末を見るにつけて印象的なセリフ。それを責めることなく単身でイチローの元へと向かう本郷の背に感じ入るものがあったのか、結局この後「群れるのは好きじゃないが、好きになる事にした」と考えを改めて本郷に加勢します。これで多少、心がスッキリだ。

13人の仮面ライダー

 ルリ子の死に感情の片鱗を見せつつも、あくまでも計画を遂行しようとするイチローは障害となる本郷を排除するために新たな刺客を用意します。

 まぁ、それはマストだよね。というわけで大方のファンの予想通りであったショッカーライダー軍団。今作での触れ込みは孤独相である第1、第2バッタオーグに対して、群生相で集団としての統率力と凶悪性を向上させた「大量発生型相変異バッタオーグ」。いわゆるショッカーライダーは見分けの都合もあってマフラーの色や手足の色が異なるカラーリングでしたが現実に相変異したバッタも体が黒く変色するらしく、なかなかどうして理に適っています。
 オリジナル版ではNo.1からNo.6までの6体でしたが、今作は漫画版の「13人の仮面ライダー」に倣って本郷、一文字を除く11体が出現。マシンガン片手に暴れ散らして本郷を追い込みますが、一文字の加勢によってダブルライダーとなった事で形勢は次第に逆転します。

 ところで、ここの戦闘シーンは「暗すぎてなにも見えない」という批判が目に付きますが、実際に当時の庵野少年もテレビの暗い画面で何をやっているのかわからない、ただ、仮面ライダーの複眼が赤く光る暗がりの戦いに魅入られていたそうなので恐らくわざとやってます。
 お嘆きの皆さんはぜひ「人喰いサラセニアン」の回を見て当時に思いを馳せてみてください。個人的には『閃光のハサウェイ』のいっそ理不尽なほどの暗さを思えばこれくらいはもう全然、許容範囲です。

 立ち込める炎の前で黙禱を捧げる本郷と、無言でそれに倣う一文字の後ろ姿がこの映画の中でもっとも美しい場面だったように思います。

 ところで『シン・ウルトラマン』のデザインもそうでしたが、あらためて映像化するに当たってはオリジンである石ノ森章太郎先生のアイデアを優先的に踏襲している様子。それは大変律儀で結構なのですが、世間一般にはショッカーライダーの印象の方が強いはずで、この辺りの齟齬が本作が抱える一般ウケしないと言われる所以の一つであるように思います。いや! 僕みたいなオタクとしては心底から美しいリスペクトだと思うんですけどね。でもこの日本に自分みたいなオタクが何人おるのよっていう。

父よ、母よ、妹よ

 群生相バッタオーグを退けて、イチローと再度対面する本郷たち。変身せずともプラーナの絶対量でダブルライダーを圧倒するイチローでしたが、ルリ子が生前に遺していた用意周到な策で、プラーナの供給源とハビタット計画の実行装置を兼ねていた玉座をサイクロン号の特攻によって破壊されてしまいます。ラスボスと言えど即時、野望が潰えるのが東映特撮の宿命です。時間も予算もないから……

 自らの慢心を悟ったイチローはそれでも動揺する事なく、ダブルライダーを相手に本気を見せると宣言。おもむろにチョウオーグへと変身したかと思いきや、あまつさえ白いマフラーまで取り出し、人類の救済者としての立ち位置から「仮面ライダー第0号」を名乗ります。兄妹で形は違えどマフラーはライダー、すなわちバイク乗りであった父・緑川博士の継承に違いはなく。
 ちなみに名乗り始めるまで僕はベルトの形状も踏まえつつ(仮面ライダーV3だ)と思っていましたし、隣の席をちらっと伺うとやはり(仮面ライダーV3だ……)と言いたげな表情をしていました。とはいえ蝶をモチーフでそれをやったらもう「イナズマン」なんだよ!

 ところで、こうした変身プロセスを敵も味方もお互いに邪魔をしないのは、古来から特撮作品でツッコまれがちなあるあるポイント。平成ライダー以降はそれを解消すべく、変身中はバリアを張って敵の攻撃を弾くなどの機能が備わっている事が多くなってきました。しかし今作は特段そういったことはなく、むしろマスクの着脱をかなり意識的に撮っている節があります。そこにはお約束とかそういう生ぬるいものではなくて、なにか、こう……例えばニンジャのアイサツのような当然に順守されて然るべき神秘的な合意が形成されているかのような、ただならぬ気配を感じさせます。
 ここもやはり『衛府の七忍』で知られる若様がビッグコミックスピリッツで絶賛連載中の最新作『劇光仮面』において思想の一端が共通しているように思えてならないため下記でご紹介。極めて大雑把に言えば、特撮美術の極限を追い求めて実戦に堪えうる特撮衣装で戦ったりする狂気の話です。

 ダブルライダーを圧倒して血反吐を吐かせるチョウオーグ=仮面ライダー第0号。唯一の勝算である彼の仮面を脱がせることに命を懸けて縋りつく本郷。死闘の末にプラーナが枯渇したイチローは剥き出しの本音を絞り出します。
 イチローも唯一の生きる希望であった母を亡くした通り魔殺人をきっかけに、本郷と同じく人間の理不尽と自分の無力感に絶望した経験から暴力や憎しみを嫌悪し、嘘偽りのない世界で互いを理解する事でその廃絶を望むようになります。その事が引いては、本郷にとってもルリ子を喪う要因となったSHOCKERやイチロー自身を滅ぼす「復讐」にも繋がるのだと。

 しかし復讐を否定し、ルリ子の遺志や人を守りたいと思う自らの心に従う本郷はそれに抗い続け、一文字の捨て身の頭突きによってイチローの仮面は砕け散りました。
 チョウオーグは確かに人類の平和のために戦っていたのかもしれません。その上、母に加えて父である緑川博士、そして妹のルリ子をも亡くした彼の境遇はいまや仮面ライダーV3(=風見志郎)とも重なって見えます。しかしオリジナル版で提示された原義に基づくと「仮面ライダーは人間の自由の為にショッカーと戦うのだ」とある通り、人間の自由遺志を蔑ろにする彼のやり方では仮面ライダーたり得なかった(ゆえにV3も名乗れなかった)という事なのでしょう。
 本郷の仮面を通してルリ子との和解を果たすイチローでしたが、最期には彼女たちの前から身を引き、父である緑川博士の元へと向かいます。そして自らを犠牲にしても他人であるルリ子やイチローの心に尽くした本郷もプラーナを使い果たしたことで限界を迎え、泡となって消え去ります。あとには一文字とマスクだけが。

終劇

 再び孤独に戻った一文字の元を訪ねて来たのは政府の男たち。彼らは生前の本郷からボロボロになった一号のマスクを修復を依頼され、その中にあったルリ子のプラーナを安全な場所へと移送していました。
 その本郷の最後の願いとは一文字へと後を託すこと。奇しくも一文字はオリジナル版と同様、彼の意志を継ぐ事を決意します。「自分の名前を明かさない人間は信用しない」という一文字に対して政府の男はそれぞれ「立花」「瀧」と名を明かし、彼の頼みを引き受けて新たな防護服を用意します。
 竹野内豊が名乗った「立花」とは無論、『仮面ライダー』を語る上では決して外す事の出来ない本郷の理解者である「おやっさん」こと立花藤兵衛。本作では斎藤工が演じる瀧もまたオリジナル版では本郷や一文字たちとショッカーやその後のゲルショッカーに立ち向かった戦友の名前でした。

 修復されて形と色合いを変えたマスクと、爽やかになった新しい防護服に身を包んだ一文字。その姿はオリジナル版で一文字とバトンタッチで帰還した本郷の新1号ライダーそのもの。マスクには本郷のプラーナが宿り、ダブルライダーは一心同体となりました。優しく、暖かな本郷のプラーナに触れ、共に風を受けて走る仮面ライダー第1+2号。彼は言います。


 「いくぞ本郷 二人でSHOCKERと戦おう」

総じて

 今回の記事は本当に書くのが辛いことも多く、途中で何度筆を折ろうと思ったか知れません。というわけで、まずはここまでお読みいただきマジでありがとうございます。これまでの人生で一番『仮面ライダー』と向き合いました。それでも二万字には届いてないので僕もまだまだです。

 さて、この映画を観ている間は本記事で纏めたようなことを考えながら興奮と困惑とが入り混じった感情で、それもやや後者が勝って終始苦笑いを浮かべていましたが、このラストシーン、最後のセリフで全てを帳消しにするかの如く滂沱の涙を流して泣き崩れました。初代『仮面ライダー』、それも広く知られたテレビシリーズではなく敢えて当時に並行連載されていた漫画版を下敷きにしてくるのは、いい意味で慮外の範疇だったため、凄まじいサプライズ映像であった事に違いなく個人的には大満足でした。

 ただし今回は極端な話、『シン・ウルトラマン』の時のようにただ元ネタを羅列すればいいというモノではなく、咀嚼する上で必要な文脈(予備知識というよりは仮面ライダーを始めとする東映特撮の性質やノリ)の要求が一般的な感性に照らして過大であるとも感じるので、耐性のない人の背中を無責任に押す形で2000円近くを払って飛び込めとはなかなか言い難いところがあります。庵野監督的にはマニア向けに作ったわけではなく、普遍的に楽しめる作品を目指したとのことであり、それ自体を否定するわけではありませんが、それを知った上でなお受け手がどのように本作を捉えるのかはまた別の話になってくるので。
 でも絶対に新作は見たいから興行成績は伸びてほしいし、この記事を読んだフォロワーには絶対に2000円払ってオタクになってほしい……。(くねくねしながら)

 俺たちはもう一人ぼっちじゃない。二人で仮面ライダーと向き合おう。よろしくお願いいたします。

アンチSHOCKER同盟 砂塚ユート


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