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日記:2024年4月15日 晴れ

・日中は特に言うことなし。金が無い、というよりも出費の見込みが多すぎる。とりあえず倹約として労働飯(ラオダオファン)はしばらく弁当を以て代える事になるだろう。ただでさえここ最近は手弁当気味であるのに……世知辛い事である。

・帰宅して早々、ついに寮を引き上げて帰省してボイスチャットなどに勤しむ愚弟の存在をひたすら憎しみのままに呪詛した。伊達ではなくて、本当に小一時間ほど同じ姿勢のままひたすら憎悪を祈念していた。そこに鏡があれば惑星ムスタファーの溶岩に全身を灼かれるアナキン・スカイウォーカーさながらの形相が写った事だろう。俺にとってはもはや奴の声を聞くことすらも忍従の許容を超えた苦痛でしかない。

親愛の反転なので甚だふさわしくないが…

・彼奴に限らず、これまで怨恨が閾値を超えた相手に対しては、その尽くを徹底的に無視して暗に存在を全否定する事に決めている。あくまで俺の視界、生活の範疇においてであるが。無論、法律が許すのならば即時、鉛玉をぶつけてぶち殺している所であるが、そうでない以上はお互い関わり合いになっても消耗するばかりであるし、なにより今後、一分たりとも自分の人生には介在してほしくないからだ。とはいえ流石に公的な場でそんな大人げない事を敢行しようものなら、今日日モラハラなりパワハラなりに抵触する恐れがあるし、第一、仕事が回らなくなるのでその一線ばかりはギリギリで区別している。が、プライベートでは誰に何を言われる筋合いもない。なんとしてもヤツとは今生のうちに、可能であれば合法的に縁を切りたいものである。でなくとも同じ墓に入る可能性など考えるだけで虫唾が走る。

・そうして憎悪に目を血走らせていた折、ふと「憎しみ」という感情は何が由来で発露するものなのかと気になった。個人的な経緯ではなく、知的生命の性質としてである。何かしらの精神疾患として「憎悪」がカテゴライズされていない以上、それは普遍的な感情であり、そうであるからには何か合理的な理由のある機序だと考えたのだ。果たして嘘か誠か、脳科学に携わっているというある人物の見解に拠れば、憎しみとは標的を破壊する目的を持ち、標的を攻撃して変化させる目的の怒りや社会的に排除する意図の軽蔑、苦しみの均衡を回復するための復讐などといったあらゆるネガティブな感情を包含する感情であるらしい。また、進化論的観点から言えば、有限の資源を他のグループと争う上で、憎しみの感情を利用する事こそ敵を殲滅するのに有益なメカニズムであり、過酷な環境で生き残るための適応的な側面であった可能性もあるという。まったき社会不適格者の俺が適応に有用な感情に支配されるとは皮肉この上ない始末であるが、実際問題、21世紀現在ではそうした効用よりも圧倒的に弊害の方が勝るという意味で、やはり不適格は不適格のままであった。

・あらゆる懊悩を捨てて解脱することが人生の大目標だとすれば、憎しみこそ真っ先に唾棄すべき極北に位置するのだろう。それが出来れば誰しも苦労はないというのは、今も地上の何処かで広がる地獄が示すとおりである。そこに至るまで蹂躙された尊厳はもはや相手の破壊を以ってしか正しく報いられないのだろう。理性ある生き物としては積極的に肯定したくはないが、俺自身も今まさにそうした負の感情に縛られている以上はなんとも否定しようがない。せめてそれが自分にとって破滅的な結果に致らないように祈り、堪えるしかない。今はただ……。


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