自分に嘘をつき続けた反動
過去の話
故意じゃないんだけども
ただそれは健康的なものでは
なかったような気もするし、
しかしある時は必要なことであったとも思う
それがなければただ打ちひしがれて
動くことすら不可能だったかも
でも今はかわった
以前より、制御することができ
そして己の天秤をいつも見続けている
随分前ある人を支えようと思った話
一定期間、共に時間を過ごした
そしてある日家に帰って、
急に、とても苦しくなった
その人に心を蝕まれたと思っていた←
でも違った、
それは自分に嘘をつき続けた結果
利用されていたことに途中から気づいていたのに
それを続けていた自分に対して
自分が反応していたんだと
(※たぶんいくらかは相手の嫌なものを
取り込んでいたのもあると思う)
家に帰って己の声に気づいた時には
時すでに遅しという状態🍣
だって己の声など無視し続け、
あいでんてぃてぃーなんて存在しない
ロボットみたいに生きていたのだから
(自分が相手を欲しいのではなく、
相手が自分をほしいという状態だと
認識することができていなかった
ということも問題
要求に応えたいか、応えたくないかは別問題)
最初の動機は
支えたいという動機だった
いつも通りの
でも本来の道筋からずれた時は、
それがなんなのか
しっかりと見る必要はある
場に作用するでなく
ただ個人で利用されはじめたら
多くの場合もう一緒にいることは難しい
けれどもしかしたらそれを
続けていく先に可能性がある
ということも1つあると考えるということもある
ただ多くの場合は、わたし個人ではもう意味を成さず、このわたしとの関係という経験値をもってその先の誰かとの関係においての材料として
機能してくれたらなという希望があったりする
とにかく
自分の軸を意識的にみないといけないと思う
というよりは
前提として、己の軸がどれなのか
把握しておく必要がある
自分とは?何者?
(↑これが難しすぎるのだけども)
でないと、それは単純に
あんまりよい状態でないと
過去の自分をみて思う
本来の自分から
ズレたらもどる
誰かにズラされたらもどる
ズレたらもどる
誰かにズラされたらもどる...
一分一秒、その日
自分の本来の軸にもどる意識
他人からは違和感があるかもだけど
でも、その違和感こそがあいでんてぃてぃー
心の中で制御できていればよいのだ
表面でわからなくても
それに1人になってもよいのだ
多分そういう人はいつも1人であるわけだから
(孤立とかではなく精神的な話)
ズレることの正しさは
その人にしかわからない
でも、、、
①意図的にズレること
②反射的にズレ、そして
"ズレたことに自分自身気づいていないこと"
この2つは大きく異なる
後者の場合あとで必ず反動が来る
自らにフィルターをかけまくったせいで
自分を見つけられないという状態はある
そして"どうしても逃れられない環境"という
ものがある。大変だよね
でもよりよい未来は考えるということもできる
でも環境によってはできないかもしれないけど、今はできないという状態であるということをただ認識するということもできるかもしれない
できたからといってそれがどうということもないのだろうけど、
ただ現在地を把握するというのはどの場面でも必要なことだと、教えてもらった
あいでんてぃてぃーをつくるのは
何歳からでも、どのタイミングからでも
はじめられると思うという話
なんか同じようなことばかり書いている気はするけど、1つのものから得られるものは限られていると思うから、同じ内容でも視点を変えれば、全く違う知見が得られるということもあるんかなー
って思ったりもするのである
という話
今回のポイント
・心を蝕まれたのではなく、
自分に嘘をついていた
以上
(4月は、はじまりの季節!
なんていっても、顔から笑顔が消えてしまう人
少なくない。というよりほぼなのでは?
なんて思ったりする
この時期は社会とは?と、よく考えさせられる
CMのような新生活スタート!
なんて華やかさではごまかせない
テレビCMやみせかけの華やかさでは
この記事のように自分に嘘をつくような
錯覚に陥る、その後の反動は大きい
だから自分の心の声を聞くことは大切)
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