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ブレインフォグとの向き合い方

最近の自分

2022年も半分が過ぎた。春くらいから少しずつ働ける時間が増え、新しく期間限定の派遣や在宅での校正の仕事をはじめたり、知人からの紹介でもうひとつ在宅での仕事も動き出そうとしている。

一日の労働時間は数時間、週に半分程度の労働日。

それ以外にプライベートで買い物や遊べる時間も設けても、週に3日は家で静かな時間をゆっくりとることで、からだが動いてくれている。

新しい環境に入ることで、新しい方との何気ない会話から私の病気の話をすると、いろんなことばをいただけた。

「話を聞いて仕事を辞めてから、久しぶりにワクワクできました」
「壮絶な人生なのに…そう感じさせない。本当、生命力が強い」
「ブレインフォグはあっても、全然会話できるよね」


ME/CFS(筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群)になって5~6年がたち、自分なりの症状に対して無意識的にからだの維持する行動や注意していることがあるんだと気づきをあらためてみつけ、それについて言語化してみようと思う。


私のブレインフォグとの向き合い方

ブレインフォグとは 脳の霧と言われ、ぼーっとする、視界が曇っている、決断力や思考力などすべての行動の判断もできなくなる状態。

ここまで強めの症状ヤツが書いてると、ブレインフォグヤバっ!!と他人から見ても明らかに分かると思われるが、見た目ははっきりいって何も変わらない……と思う……。ブレインフォグ以外にも倦怠感やめまいなど、この病気にはとてつもなく自分でも笑っちゃうくらいの症状があるため(私で13個くらい。以前はもう少し多い……頑張れ自分w)ブレインフォグ単体でみると本人が感じている中身のほうがとてつもなくヤバい……といった方が正解な気がする。

自分でコントロールできない自分。
それぞれのブレインフォグがある。

私の場合

ブレインフォグが強いときは、みえている景色も脳みその中も何かフィルターのようなものに包まれているような感覚がある。
そのため、いつもよりみることも、きくことも、思考することも、反応を返すことも、すべての機能が鈍いような、遅いような感覚。

本やスマホでSNSの文章を読んでも、文字であることは理解しているがどんな内容かは頭に入ってこない。脳みそがふわふわしていて、理解の決定打に欠ける感じ。

症状ヤツが強々のときは、コンビニなどに買い物に行っても優先順位をつけることができずに、商品を選択できないため、決めることができずに無駄にぐるぐるする。笑

出かけるときは大丈夫でも、急に「次、どうしたらいいんだっけ?」と、普段であれば考えなくてもできること。例えば、地下鉄の乗り換えや、予定していた場所へどの段取りで行くのかなど、疑問を感じて立ち止まってしまう自分が現れることもある。

脳みそと思考と行動がうまく連携できていないふわふわした感じ。
物や人が多いと情報の処理が追いつかず、さらに症状が悪化し焦燥感を感じるいわゆるパニック状態になる場合もあるため、危険が危ないの回避は大事

こういういろんな症状や状況を何度も繰り返すなかで、自分のこのくらいを知って、これ以上いくと脳みそがパンクするヤバい状態にならないように私がやっていた無意識的に向き合っていた方法が下記になる。


1 からだの声を聞く
2 無理はしない
3 自分の心地よいで満たす
4 頑張らないことを頑張る


からだの声を聞く

症状はゼロにはなる日はない。その中でも体調の波の強弱をある。
ME/CFSはHP(体力・生命力)がすさまじく少なく、MP(回復力)もなかなか効果がでないため、なるべく省エネモードで生きている。

「今日、体調良いかも」
「これ超えたら、ちょっと怖い……」
という日の自分を覚えておくことで、今がどうなのか判断基準を見出せる。
自分の余白や余力を知っていくのが大切。挑戦と調整の連続。


無理はしない

症状を知ることで、今日の自分はどのあたりなのか。
「動けるのか、動けないのか、どっちなんだい?!」と
朝から、なかやまきんに君ばりに自分に問う日々。

・気圧の変化はないか
気圧や満月と新月の二日前に体調が悪くなる民

・テレビやスマホの情報は自然と理解できるか
文字を読んでも理解できなかったり、スクロールしても情報が追えずにめまいがでたり、テレビも音楽も異様にうるさく感じるときもある

・人と会話しても体調悪化しないかの想像
いろんな要因を考えて、かけ算するとどうなるのかの想像をする。
音も光も言葉も空間もあらゆるものを刺激となって症状が悪化してしまうため、できる限りの刺激要因を減らしていく作業が大事
シンプル is ベスト=無の境地w

*無理をして出掛けたり、人と会った場合の究極の最悪の状態は
情報が多すぎて、言葉は理解できないし、自分で“辛い”とうことも相手に伝えることができない。誰とも通じない世界……。
お互いにとって分かり合えない、悲しみや苛立ちやお互いの無力感すら出てきてしまう……
こういうときは誰とも会わないが一番と考え、愛でる日とする。


・頭はすっきりしていても、動くと何かしら変化はないか
脳みそが元気でも、からだの痛みや息切れ、倦怠感などが強いときもあるため、朝ご飯の準備(パンを焼いて、コーヒーを淹れる程度の動き)をしてみる。試すも大事。からだの声が強いときも愛でる日。

・出かけたときは問題なくても、途中から「このあとは、どうしたら良いんだっけ?」といつもの行動に疑問がではじめたら、その日やらなくて良いことはやらない。早めに帰る。閉店ガラガラ、また明日。


自分の心地よいで満たす

病気が続き、強々の症状が続いていくと、息しているだけの日々は経験する。そういう人も多いし、そこから抜け出せない人も多くいる……きっと……

息するだけでなく、生きるために。
私は朝から絶望を味わっていた時期、症状が強すぎて廃人なりかけの中でも自分の感情の変化を大切にしようと。「何か楽しそう……」
そう思えたものを「楽しかった」に変えるように動くようにしていた。

人間のワクワクは力になる。自分がワクワクできるものを知る。

好きな花を買うようにしたり。月に一度はお気に入りのパン屋さんと豆屋さんから買ってコーヒーを淹れるようにしたり。
贅沢はできない気持ちが強ければ、部屋の中でも風を感じたり、空を眺めたり。動けるようであれば緑の多い公園や神社に行き季節を感じるように心がけたり。自分の心が動くもの、満たすものに出会えるように日々の工夫。

病気とお金問題は密接で、動きを狭めてしまう要因になる。
自分で枠を決めて、縛りをつくっていないか……時々そう問いかける。

動けないからだだけど、働けないからだだけど
毎日いろんな症状とたたかって
どうにかこうにかハードモードな毎日を生きている
自分をたくさん愛でてやるのも自分。

好きって思うものやことで満たされた暮らしは、ワクワクでつながっていく。小さなことでも良いから動いてみる。動くことで生まれるものがきっとある。


頑張らないことを頑張る

「頑張って頑張って……あと少し…………と思ったら、上乗せきた……もう無理……」という努力根性昭和世代な自分は、このループによくいた。

今でも、「もっと、できるんじゃないか?」 「自分ができないだけなのでは……甘えか、怠惰か……」と悪魔の強々スパルタな自分は時々現れる。

そこに打ち勝つべく、上記のことを唱えながら過ごして今がある。
自分勝手にわがままに生きろということではない。
今できることは、くそ楽しめ、頑張れ。今できないことは無理するな。
今の自分で何ができるか、今できることを一生懸命にすごすが大事
元々が自分を戒め、いつの間にか何かやってしまう人は、頑張らないことの強制をしないと、何かできるんじゃないか思考の脳みそは根深い。
頑張らないことを頑張るは自分のおまじないのようなモットー。


最後のまとめのようなもの

無意識的に自分のからだを守りながら、維持してきたことで、今の少しずつ働けている自分にたどり着けていた。ただ我武者羅に毎日を過ごしていた。だからか、壮絶な人生だねと他人から言われても、そうなのか……?とあまり理解はできない自分がいたが、最近ここまでこれて良かったと安心した自分を感じると、頑張ってきたんだなと思うことができるように、やっとなれたのだと思う。

今の自分を知るには、自分だけの世界から出てみないと気がつけないことがたくさんある。相手があるから自分を知れる。

自分を知って、自分の好きを再確認して好きで満たすために動いていると、人やものや場所とも出会い、そのつながりができたことで、違うつながりも生まれ(これが、巷で言う引き寄せとかいうやつか?本とか読んでないけど何かそんな気がするな……)私はいろんなものに支えられ生かされて今がある。病気がなければ出会わない、今を感じていることは尊く温かくて幸せだとも思えて感謝しかない。

頑張るが当たり前にならなくて良い。
最近見つけた自分の真ん中にいた“良い子でいようとしてしまう自分”も、いろんなことにゆらぐ自分も、やってられないわーとスイッチが入って旅の計画しちゃう自分も面白いと受けとめて。

その都度その都度、今を感じて、今を楽しんで。
これからも、ゆるりとすすんでいこうと思う。

頑張らないことを頑張りながら。

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