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神様のファン

成功している人はなぜ神社に行くのか? 矢木龍平 サンマーク出版
 ふみサロの今月のテーマ本です。

 私にとって、神様への思いはファン意識に近いと思う。
霊感は何もない。見えることも、聞こえることも、感じることもない。
 ごく自然に、受け入れて毎朝今日もよろしくお願いしますと、祈り、毎晩有難うございましたと正座して祈っている。日中西日の射す窓から空に向かって。
 
 子どもの頃から空気のように、何の疑問もなく当り前に漠然と感じていた感覚だ。
 でも、初詣に行くこともない、神社仏閣には興味がない。
今流行りの、引き寄せとかスピリチャルとかにも興味がない。

 神様は何故、こんなに苦しむ人たちを作ったのか?なぜ人間は争いから何も学ぶことができないのか?に関心は深く、歴史に関心をもち、宗教に関心を持ち、本を読み漁ったが、よくわからなかった。そして自然に人の心に関心がいき心理学にのめり込んでいった。

 大叔母は、霊感の強い客の絶えない人気のユタ婆さんだった。
第二の母である叔母は晩年、鬱で苦しんでいたのに、そのユタ婆さんは何も力にならなかった。
 現実の世界では、叔母はみんなのために身を粉にして働き私たち一家を支えたばかりでなく一族の世話に奔走した人だった。
ユタの大叔母は一人豊かに暮らしていた。
 子どもの私にはわからなかったが、大人たちの会話でユタ婆さんを快く思っていないことを感じていた。でも私は素直にユタ婆さんが好きだった。

 我が家は貧乏だったから新聞を取ってなかったが、ユタ婆さんの家は新聞を取っていた。11才くらいから週末にはユタ婆さんの家に新聞をよみに遊びに行くようになった。 
 その時にこの神様は「天照大神」だよと大きな神棚を指して教えてくれたり、日本神話の絵本を貸してもらったりしていた。

 神に仕えて人助けをしていたが、現実の身近な人には手を差し伸べることはしなかった。ユタの大叔母。
 鬱で苦しんだ叔母は亡くなった後も親族に、絆の大切さ、与えることの素晴らしさを残してくれた気がする。

 私が神様のファンなのは正直、当り前すぎてわからない。育った環境かもしれない。そして人が好きだからかもしれない。
 うまく言えないが、私がコミットし続けるのは多くの人の自然な心の集合無意識だと思う。
 人との関係が幸せでありたいとの思いから祈る。
私は神様のファンなのだと思っている。だから朝晩「ありがとう」時には許しを乞うて祈る。

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