子規を想う

画像1 先日、私は東京・根岸にある正岡子規の晩年の住居『子規庵』を訪れました。玄関を上がってすぐの八畳間の左横に、子規の病室となった六畳間がありました。清貧という言葉がぴったりの静かで清潔な部屋です。私はこの六畳間に入った瞬間、何ともいえない切なさで胸が一杯になりました。 この家で8年を過ごした子規。しかし8年のうちの大方6年間は病床に臥せっていたそうです。
画像2 そんな子規が日々の記録として綴っていた『仰臥漫録』。子規自身は本にするつもりはなかったそうですが、亡くなった後、出版されました。 あの小さな家の狭い部屋で、彼はどのような気持ちで、どのような毎日を過ごしたのか…。私は生前の子規の魂に少しでも触れてみたいと思い、この本を子規庵の売店で買いました。
画像3 売店では、買った本をこのような素敵な手作りの袋に入れて下さいました。 何やらスタンプが押されてあります。
画像4 よく見ると、スタンプは、あの六畳間からの風景と最期の句でした。
画像5 子規の最期については、このパンフレットに記されてあります。 それによると、子規は糸瓜の三句を詠んだ後、その日のうちに昏睡状態となり、翌日午前一時ごろ永眠しました。享年34歳11ヶ月。天才の若すぎる死でした。
画像6 これがあの六畳間から見たヘチマ棚の庭。 亡くなる数年前から、文机に向かうこともできなくなり、最後は寝たまま口述で句を詠むようになったそうです。そばにいた人が子規の口許に耳をあて、聞いたことをそのまま記録したとのこと。 でも最期の句は、自ら筆を取って書いたそうです。
画像7 子規が住んでいた当時の庵は戦争の空襲で焼失し、今の庵は戦後に門人たちの尽力で再建されました。現在の子規庵は、ほぼ、あの頃のまま忠実に再現されているそうです。
画像8 子規庵への地図。
画像9 今もふと、切なさを強く感じながら、子規庵の緑豊かなあの風景を思い出します。 明治という時代が私はものすごく好きなのだけど、ここに入った瞬間、この静かな佇まいの隙間から、明治の文士たちの若い情熱と子規の生きることへの強烈なエネルギーをひしひしと感じました。
画像10 【私もここで三句】 ◇糸瓜水 子規の命の滴(しずく)かな◇ ◇命懸け 言葉を紡ぐ子規の筆◇ ◇あの時と変わらぬ糸瓜 風に揺れ◇◇ 【素人の句でお恥ずかしいのですが、この思いを表現してみました】

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