見出し画像

私たちは今まで密着しすぎていた

先日、集団検診(ガン検診)がありました。

4~5月はコロナ禍のために中止になっていた検診。でも、6月半ばに緊急事態宣言が解除されたため、検診も解禁になったようです。6月後半で、ようやく検診の要項と問診票が届いたため、予定されている日時に検査に行ってきました。

今回の検診は、

「風邪の症状がある方」「体調が悪い方」は検査はご遠慮願います。検診日はマスクを必ず着用してください。

とのことだったので、無事に検査を受けるために、風邪を引かないように健康にはかなり気をつけました。これを逃したら、次、いつ受けられるかわかりませんものね。
とはいえ、ここ数日間は、梅雨空&気圧の変動で、体調は決して良好とは言いにくい状態(汗)。だけど、熱はないし、鼻水は少し出るけど咳や痰はないし、多分、大丈夫でしょう・・・。

検査の朝、まず体温を測り、コロナ用の問診票に「検査日の朝の体温」を書き込みます。更に「ここ一週間の体調」「最近、海外に渡航したか否か」「最近、陽性者と接触したか否か」をササッとチェック。すべて「いいえ」に〇をつけて、他の検診用の問診票と検査料金を持ち、マスクを着けて、会場に向かいました。

◇◇◇
会場に着くと、もう既に20人近い人が、待合室の中で控えていました。

受付には、飛沫よけのビニールカーテンが設置されていてます。

ここで、まず体温をチェック。家でも測ったけど、再度測定。おでこでピッと測る体温計で体温を測ってもらいます。私のこの時の体温は36.2度。

「大丈夫ですね。熱はありませんから、検査は受けられます。」

受付では「19番」と書かれたシールを手にペタッと貼られました。

「待合室のイスに順番に座ってお待ち下さいね。」

・・・と言われ、私は指さされたイスの方へと歩きました。

最後尾のイスに着席。

いつもなら、隣の人とは「腕が触れ合うくらいの密着度」で引っ付いて座って待たなくてはいけないのに、今回は「スーシャルディスタンス」で、隣の席の人と間隔が1メートルくらい空いていました。

ここで、いつもと違う感覚を味わい「わぁ~」と不思議な気分になりました。

大きく開いた間隔で座ると、気分がすごく楽なのです。

すぐ隣に人がいると、いろいろ気を遣うことが多くて気疲れします。知っている人でも、やはり密着するほど近すぎるのは、しんどいものです。知らない人となら尚更・・・。

でも、今回の検診では、待っている間、他の人との距離が開いていたので、気疲れすることなく、とてもリラックスして居られました。

この時、「どんな些細な場所や時間でも、ほどよい距離感を保つことって、とても大事だったんだなぁ・・・。」と思いました。

そして、「あぁ、そうか・・・。私にとって、他人と密着して座ることは、実は正直なところ、すごく辛くて嫌だったんだなぁ・・・。」と、ハッと気づきました。

◇◇◇

振り返ると、日本って、幼い時から集団生活に放り込まれて、芋を洗うように狭い部屋に大人数の人間がひしめき合ってきたと思うのです。人に揉まれて揉まれて、自分に合う合わないなんて一切関係なく、一緒くたになってグチャグチャに混ぜられて、自分の気持ちなど叶わず、他人と密着した状態をただ辛抱と我慢で乗り切らなくてはいけない・・・そんな窮屈な世界を生きてきたんだなぁ・・・と。

私もずっと「世の中はこういうもんだ」と思い込んできました。これが普通なんだから、こうするものなんだ・・・と。そう自分に言い聞かせて、他の選択肢なんて最初から無いのだ・・・と信じて生きてきました。

学校でも、いつも狭い教室の中にたくさんの生徒がいて、いろんな人たちと密着した状態。いつもギュウギュウ詰め。大人になっても、娑婆は人でいっぱい。何処に行っても集団生活がついて回る・・・。集団生活の規律を守らされる・・・。

これが当たり前だったのです。

でも、こうして密着した状態から少し離れて居ると、今までの「当たり前」はすごく異常な状態で、かなり過酷な環境だったんだなぁ・・・と気づきました。

日本(ここ)で暮らすためには、たくさんの人が密集している所にいても、集団の規律を乱すことなく従順に過ごし、集団の流れにそって生活しなくてはいけない・・・。「これが当たり前で常識」という社会だと何も疑うことなく生きてきた・・・という訳です。

何処に行っても、いつでも、人がいっぱい。家の中にいても、常に人の気配がして全く落ち着かない。自分の前後左右に必ず人がいて、人と密着することを嫌がっていては生きていけない。
だから、早く集団に適応して、集団の中で普通に生きていける人にならなくてはいけない。密着に順応することが「常識」であり、「目指すべき姿」であり、「普通の人」の定義だったのです。

しかし、集団生活に適応できない人にとっては、人との距離感がない世界に身を置くことは、ただの苦痛でしかなく、それでも居続けるためには「何も感じない人&状況に対して鈍感な人・不感症な人」にならなくてはいけません。

つまり、自分の感覚を麻痺させるか、そういうものなんだと諦めるか、心を無くして環境に無理やり自分を適応させるか、・・・云々。そうやって自分を騙しながらやっていかないと、どんどん心が蝕まれて病んでしまうと思うのです。

人との距離をちゃんと保ち、自分が自分らしく居られる間隔を守ることが本当は大事なのに・・・。

これは、身内や肉親に対しても同様。例え血縁者でも、自分に合わない人だって居るわけだから、家族であっても、「適度な距離感・ほどよい間隔」が必要だと思うのです。

でも、周囲に人が多すぎて、それは不可能。効率や能率を考えたら、少数での運営はロスが多くて無駄だという価値観。肩寄せ合って密着することが「美談」「美徳」「絆」という感覚。じゃあ、人と密着して生きていくことに耐えて順応しなきゃいけない・・・。

はぁ・・・溜息。

「密着が当たり前」という世界に私たちは生まれて、今までずっとこの密着世界で頑張って生きてきたんだなぁ・・・と、私は、検診の待合室でのソーシャルディスタンスに心地よさを感じながら、深く感じたのでした。

◇◇◇

私がイスに座って待っている間も、次々と人がやってきて、待合室は満席はになりました。入れない人たちは受付の前で、これまたソーシャルディスタンスの列に並び、静かに待っています。

待合室は満席でも、イスとイスの間に余裕があるので、窮屈な感じも圧迫感も全くなく、とてもリラックスして過ごせました。これからも、こんな風に余裕を持たせてくれると嬉しいなぁ・・・と思いました。

19番のシールを貼った私は、前のイスが一つ空くごとに、その空いた前のイスへと進んで座り直し、こうしてジリジリと移動していくうちに、順調に検査を受けるところまで進みました。

◇◇◇

検査中も3密を避けるためか、いつもより手際よくテキパキと進み、あっという間に済んでしまいました。

胸のレントゲン検査も、苦手なバリウム検査も、サクサク進んでいき、あっという間に終了。暑くて喉が渇いていたから、下剤と一緒に飲むお水も、500㎖を一気に飲み干してしまいました。

いつもになく、早く順調に終わった今年度の検診。

多分、これは検査技師の皆さんの手際良さだけでなく、検査を受けに来ている人たちも、皆さん「コロナ」を意識して、それぞれに緊張感を持って会場に来ていたからなんだろうなぁ・・・と思います。

私自身、「余計なことはしない」「時間と手間を掛けない」「早く終わらせる」「済んだら早く立ち去る」を心がけましたもん。迷惑をかけないようにサクサク受けて、大きな声で無駄話なんてせず、済んだらサッとその場を去る・・・。私だけでなく、皆さんもそうだったのでしょう。

だから、会場内はいつもより静かだったし、(良い意味で)しっとりと落ち着いた雰囲気でした。

もしかしたら、人との間の程よい距離感(ソーシャルディスタンス)も、会場のエネルギー浄化に貢献していたのかもしれません。

◇◇◇

コロナによって、今までのやり方や既存のシステムに「変化の一石」が投じられている今。身の回りの些細な事も、これを機会に「ほどよい距離感」という観点で見直すことが必要だなぁ・・・と思いました。

そして何より、コロナ禍の中での集団検診が無事に済んで、ホッとしました。

よろしければサポートお願いします!いただいたサポートは旅の資金にさせていただきます✨