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【写真日記】自分の進む道は、新しく自分で生み出していけばいい

ここ一週間ほど、私はずっと家に引きこもり、カタリベの記事をせっせと書いていた。楽しい作業だから全然苦しくはないけど、集中力が要るので、書いていると時間があっという間に過ぎていく。

こうしてひっそり籠り続け、コツコツ順番に書き上げていき、今日、ようやく全部を書き上げた。

よしよし、これで一安心。

ホっと一息つきたくて、一週間ぶりに外を歩いた。

ちょうど雨が止んだところだった。

しかし、今にもまた雨がこぼれてきそうな雰囲気。

一応、傘をもって行こう。

こうして片手に傘を持ち、いつもの散歩コースを歩いてみた。

前に歩いたときは五月晴れの爽やかな日で、私はさらさらと風になびく新緑の中を歩いた。風も軽やかで涼しく、爽やかな初夏の風だった。

しかし今日は、緑の木々も、足元の草も、道路も、道端の花も、全てがしっとりと濡れている。

そういえば、今日の午後、作業を終えてホッとして休んでいた時、「梅雨入り宣言」のニュースを見たんだった。

「えっ?まだ5月の半ばだよ。もう梅雨入りなの⁉」

私は非常に驚いた。今年は桜が咲いたのも早かったけど、梅雨になるのも早いらしい。

この一週間、ずっと家に籠り続けていたから、新緑をしっかり楽しむ前に、もう季節は巡って、次のシーズンに入ってしまったようだ。ちょっぴり悲しい。

確かに、誰もいない公園で、マスクをそっと外して吸い込んだ空気は、まさに梅雨のものだった。湿度、匂い、肌から感じる質感、感覚的に受け取ったものは、梅雨の空気だ。

こんなに早く梅雨が来るのなら、初夏の空気を思いっきり吸って、5月の空をしっかり楽しみ味わっておけば良かったな…と思った。

ふと、この一週間を振り返ってみる。

私が家に引き籠っていたこの期間は、「書く」ことに関して、今までとは異なる視点から見つめ直し、様々な新しい学びを得た一週間でもあった。

「書く」ことを生業にする。

これは、書くことと本が好きな人なら、誰もが憧れ、夢見る世界だ。でも、その世界に飛び込むには、あまりに無知で知らないことが多すぎたなぁ…と、自分自身を振り返り、深く痛感したのだった。

もっと真摯に勉強していかなくてはいけない…。

新しい扉を開いてみたら、もっともっと勉強しなくてはいけないことが、わんさか出てきた。そして、もっと視野を広げ、いろいろな世界を見て感じて体験してみたいと思った。

「書く」ことを生業とする場合、ただ書くことが好きでも、書くことが非常にうまくても、それだけでは充分ではない。。

霞みを食べるような淡い夢の世界の話ではなく、もっと現実味を帯びたリアルな世界の話へと、自分の「書く」を移行させる必要がある。

これは、どんな仕事にも当てはまることで、どの道に進んでも必要なことなんだけど、特に「書く」を生業にする場合、自分が「書いた作品」を商品と見立てていく…という割り切った見極めが必要だ。

しかし、そうした見極めの仕方や具体的な詰めた話などは、素人には全く分からない未知の世界のものである。だから、一体どこから始めて、どこに向かっていき、どうしていくと良いのか…が、さっぱりわからい。

今も、私はさっぱりわからないまま、自然の流れに乗っかって、今、目の前にあるものに全力を注いで過ごしている。

今までは、それで良かったし、それで充分だった。

ところが、この「今まで見えてこなかった部分」が、この一週間の間に、少しずつ霧が晴れてくるように、すーといろいろ見えてきて、たくさんの気づきも得た。私の意識も、視界が広がるごとに、まるで此岸から彼岸に飛び移ったようになり、とても不思議な感じを味わった。

この世界の厳しさというか、大変さというか、甘いことだけではなく、責任もつきまとうことで、覚悟も必要だ。それでも、自分に責任をもって足元をしっかり固めながら、自分を成長させつつ、実直に前へ突き進んでいく…。その大切さと必要性を、私は少しずつ知り、気づき、学んでいった…という感じだ。

もしかしたら、私の勝手な先入観で難しく複雑にしてきただけで、案外、自分が思うより、もっとシンプルなことなのかもしれない。

自分に合う「型」を、自分の外側で一生懸命に探すより、自分の型を自分の内側から自由に見つけて決めていけばいいのではないか?

前もって「こうすべき」という型があり、その型どおりに自分を固定させてはめていくのではなく、また、「こうしなさい」と人から頭ごなしに決められていくことでもなく、実は、そもそも型なんて在るようで無く、最初から何も存在していないのかもしれない。

今は、誰かが作った型を見て、それが少しでも上手くいっているように見えると、皆が一斉に真似をして追従しようとしているけど、もしかしたら成功のパターンとは100人いれば100通りで、自分で新たに生み出していくものではないか…。

既存の型に無理に自分を丸め込んで収めようと頑張るのではなく、自分で新たに自分に合う型を新しく作っていき、自分の型を伸ばしていく…。本来はそれが重要かつ必要なんじゃないかな…と。

とまあ、ここまで語ってみたものの、もしかしたら「世の中はそんなに甘くない」とお叱りをうけるかもしれない。しかし、今は新しい時代だ。昔からある既存の古いスタイルや通例は、今やもう全く通用しなくなっている。それをこのコロナでさらに実感するようになった。

ならば、自分が進む道も、過去のデータを集めてそこから計算して叩き出すのではなく、行き当たりばったりでもいいから、自分の直感と感性を信じて、自分で見つけていくのが良いのではないか…。自分が進むべき道と方向性を自分の嗅覚を使ってうまく嗅ぎ分けながら、常識にとらわれず、どんどん突き進んでいけば良いのではないか。

自分の力を信じて…。

まさにサバイバル時代の幕開けだわ。

いろんなことを考えながら歩いていたけど、歩き続けていくうちに、いつの間にか頭の中は空っぽになり、すっからかんになった。

空っぽになれば、また新しいアイディアが湧いてくる。

自然に満たされていく。

これでいい。

一週間の引きこもりの間に、もう田植えが始まっていた。

だから、夜、カエルの鳴き声がケロケロと聞こえていたんだなぁ…。

田植えを終えた田んぼの水に、梅雨空が映っていた。

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