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「マスターマニュピレーター」から自由になる

マスターマニュピレーター(master manupilator)と呼ばれる存在がいる。

意訳するなら「パワフルに相手を操る(コントロールする)人」とでも理解したらよいだろうか。

大抵の場合それは親、特に繋がりの深い親のことを言う。

最近ポピュラーになってきた「毒親」と言い換えてもよいかもしれない。

ただしマスターマニュピレーターは、一見して毒親とは見えない人物であることも多いので、事はやっかいだ。


あなたにとって「最も愛をくれる存在」であると信じていたその人は、その人自身さえも気づいてはいない巧妙さで、あなたがありのままの自分であることをコントロールしてくる。

あなたが自分の魂からの声に従って生きることを、その人は無意識に、でも巧妙に操作する。

あなたが自分の心の声に従う事を、本人も気づかないうちに、それがまるで親不孝をするかのように思わせ罪悪感を駆り立てる。

マスターマニュピレーターとは、その人が信じることが世の中で一番正しいことであるという前提のもと、あなたが自分で感じ行動しようとすることを揺さぶってくる。


相手に悪意があるわけではないのが、難しいところなのだ。

マスターマニュピレーターは、いつも自分が正しいと信じているので、愛という名のもとにあなたをコントロールすることをいとわない。

やっかいなのは、相手がパワフルであるというより、自分が易々とそのコントロール下に飛び込んでいってしまうということだ。

慣れ親しんだその人(大抵は親)の波長に、すぐに同調してしまう自分がいて、あたかも自分自身がそう感じ考えているかのように錯覚してしまう。

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私が、自分の母親が私にとっての「マスターマニュピレーター」であることに気付いたのは、40代に入ってからだった。

私は母親のことが大好きで、小学生の時は何でもかんでも母に話をしていた。

小学2年生くらいの頃だろうか、「うちのお母さんは女神さまみたいだ。こんなに素晴らしい人は他にはいない。お母さんが大好きだ!」と思った自分の思考を、うっすらと記憶しているくらいなのだ。

良く言えば「ピュア」、今の私の子供達に言わせるなら「ヤバい奴」だった自分だとわかる(苦笑)


しかし実際の母は、さまざまなトラウマ体験ゆえにかなりのストレスを抱えていた人だった。

それゆえ自分の満たされなかった願望を長子の私に投影し、それを素直に受け取っていた私は、ものすごくがんばって母の望むように努力する子供になってしまっていた。


7年サイクルで変化する魂の法則で、7歳までは親とくっついている子供も、7歳から14歳までの間に徐々に親とエネルギー的に離れて行く。子供自身の魂が、親から離れ独立した存在として自分を感じていくそのプロセスはとても大切なものだ。

14歳から21歳まででそれは完成へと向かい、普通なら21歳で人は完全に自分自身の魂の声を聴いて、その人自身を最高に発揮して生きる存在になるはずなのだ。

しかし世の中を見渡すと、そうではない人の方が圧倒的に多いと感じるのは、私だけではないだろう。


普通にプロセスに従って成長するなら、14歳(中2から中3)頃に多くの子供達が反抗期に突入するのは、ごく自然なことだ。なぜなら、大好きすぎる親を遠ざけるためには「反発する」しかないからだ。

しかし、私にはその反抗がその時にちゃんとやってこなかった。

母が苦しさを我慢して私達のために生きてくれている(と、アピールしていた笑)と信じていたので、母のために生きるには、母と離れてはいけなかったからだ。


結局、私の自分を取り戻す旅はずるずると何十年も続き、壮絶な反抗期を中年になってから幾度か体験し、親に本音の手紙を送って1年ほど絶縁していても、いまだにそれは完全には終わっていない。

なぜなら、それこそが「マスターマニュピレーター」という存在だからだ。


特にそれが母親であるときは、お腹の中で一度は同じトーラス(エネルギー体)を共有していたせいもあり、気を許すとあっという間に同調が起こる。

それは「赤子の手をひねる」とでも形容されるほど、向こうには簡単なことだ。

自分がそういうパワーを子供に対して持っているという自覚のある親に恵まれた人は幸せだ。

そういう親達は、我が子が自分とは違う考えを持ち、自分の元から巣立っていく事を、寂しく感じはしても心から喜んでくれる。

しかし残念ながら、そうではない親を持ってしまったならば、子供である方が親との触れ合いに意識的にいる必要がある。

よく聞く親からの「あなたのために」という言葉は、ほぼほぼマニュピュレーターの魔法の呪文だ。

その魔法の呪文を愛だと勘違いすると、やがて自分の奥から湧きだす声が聴こえなくなってしまうのだ。

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ところが興味深いことに、マスターマニュピレーターの存在によって、子供が苦しんでいるという自覚のないケースもよく見受ける。

「きょうだいのような仲良し親子」という親子の姿を、一時期よくテレビで観ることがあった。

もしそれが、本当に子どもを尊重し自分の信念を押し付けていない親であったならば、それは見ていてこちらも幸せになる風景だ。

しかし私の目によく映っていたのは、親のエネルギーの中にすっぽりはいったままの、もう子供ではないのに子供にしかみえない大人と、それを「仲良し」という気持ちの悪いエネルギーでマニュピレート(操作)している親の姿だった。

本人たちが幸せだと信じているなら、それはそれでよいのかもしれない。仲良し(ごっこに私は見えるけれど)家族で生きることをあえて選択しているのなら、それはそれでよいのだろう。

けれども、親子が更に拡大した(つまり子供に子供が生まれた)時、そこにほころびが生じることがたまにある。

親をマニュピレーターとしない自立した魂の子供(孫)が生まれてきた時には、その仲良し家族にほころびが生じてしまうのだ。

また恋人ができたり結婚したりした時、親とは全く違うエネルギーを持つパートナーと新しい関係性をうまく築くのが難しいケースをよく見かける。

マスターマニュピレーター(親)が関係性に介入する時、パートナーよりも長く慣れ親しんだそのエネルギーにはあっという間に同調が起きてしまうので、せっかく波長があっていたパートナーとエネルギー的に離れてしまうことが起こるからだ。

私も昔まだ子供達が小さかった頃は、長めの里帰りすることがあったのだが、きまってその後夫の元に戻った時、しばらく二人がしっくりしなかったことを思い出す。

私が、というよりも、母が夫を見る目のようなものが自分の中に残り、夫の嫌なところが見えたり、うまく協調できなくなったりしていたのだ。

今なら何故それが起こっていたかはわかるのだけれど(後でわかったことだが、実は母は私の夫を嫌っていた!)、当時はそれが自分の気持ちなのだと誤解してしまっていた。

仕事柄、私以外にも同じようなケースをたくさん目にしてきて、パートナーシップにおける問題点の根本的なところに、マスターマニュピレーターの存在があることは否めない。

つまり、離婚などの原因の多くは、片方がこのマスターマニュピレーターと癒着していること、もしくは気づかずにその支配から自由になっていないことから起きているのではないかと思うのだ。


自分の魂の声に導かれて生きたいと願う時、このマスターマニュピレーターの存在を軽んじるわけにはいかないと思う。

しかしこの課題は深く重く、一度や二度のワークでクリアリングできるようなものでは到底ないと感じている。

そうだとしても、そのことに意識的にあり続けるだけでも、私達は「違和感」に気付くことができる。

自分自身が本当にそう思っているか、感じているか、常に自分をチェックし続けることはできるのだ。

加えて、その同調が起きないように、例えて言えば「磁石の磁力を断つ」よう工夫するように、私達はクリアな自分自身で在り続けようと意図することはできる。


これらは「親と断絶しろ」とか、そういう話をしているのではない。

しかしこれまでその同調に気付かず、いとも簡単にコントロールされてしまってきたことに気付いたならば、少し物理的な距離をとることは効果的だと思っている。

本当に会いたい(と心から感じる)時以外に会わないと決めるとか、会っても意識的にイメージで「磁石が離れるような画像」を持ち続けるとか、やり方は色々だ。

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また、親が大好きすぎるという人も、一度自分のことを見てみたらよいと思う。(昔の私がそうだった)

「親を喜ばせたい」という、一見すると親孝行のような気持ちに溢れている人は、実はマスターマニュピレーターの親の呪文に掛けられていることが多い。

結論から言うと、親からちゃんと自立している人は、親を喜ばせることより、自分を喜ばせることの方に意識が向いているはずで、親にそんなに意識が向いていることはないからだ。

なぜなら、親自身がそれを望み、親である自分を喜ばせることより、自分自身のことを大切にして生きなさい・・と、見えぬメッセージを絶えず送ってくれているからだ。


「親のために何かをしてくれる」ことを期待し、それをするととても喜び、反対にしないと落胆したり怒りを持つ親を持っている人も、一度よく彼らを観察してみるとよいだろう。

子供をマニュピュレート(コントロール)していない親は、そんなことに一喜一憂しないからだ。

また、親がどう思うか(喜ぶか、悲しむか、がっかりするか..etc.)がいつも気になる人も赤信号だ。

子供を自立させ、その子らしく人生を歩むことに労を惜しまずに育てた親は、子供が自分をどう扱うかや、子供に何かしてもらおうなんってこれっぽちも期待していない。

つまり、子供が親の意向を気にするということは、それが親の側から発信されているから起こるのだ。


特にHSPと言われる敏感な人達は、親がそれほどコントロールしようとしていなくても、微細なその期待や思いを受け取ってしまうことが多い。

よほど親自身が意識的でないと、簡単にマニュビュレーターになってしまうこともある。

今自分が親である人は、自分自身のことをしっかりと見つめ観察しないと、自分が親にされてきたことを、無意識レベルで自分の子供にしてしまいがちだ。

昭和初期生まれの親達は、自分よりも親の意見に従って生きることは当たり前だという風潮の中で育ってきているので、その負の連鎖を断ち切るのは並大抵ではない。

それでも、それは可能なのだ。まず親がそういう存在であるということに気付き受け入れることから、操作されない人生は始まる。

そうなのだ!親がマスターマニュピュレーターであると気付くことは、自分の人生が根底からひっくり返るほどの、自由と解放を得る道への出発点になり得るのだ。

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私にとってのマスターマニュピュレーターである母は、私の子供達(母の孫)にとってはマニュビュレターではない。彼らは、祖母からのコントロールは一切受けない。

つまりそれは、関係性の中でのみ起こり得るということなのだ。私が母に同調し受け取ってしまうから起こる現象であり、母という人間そのものが絶対的にそういう存在であるのではないのだ。

ここに希望の光があると思う。深くて重いその呪縛は、二人の人間の間でのみ起こっているものなのだから、一人がそれを手放せば、そこから抜け出すことはできるはずだ。


私は母と言うマスターマニュピュレーターに関しては、いまだにリハビリ中なので(笑)、何か事があるときは、つねに客観的な視点を持つ夫や娘の意見を聞くようにしている。

長過ぎる年月を母と癒着してきた私は、気を許すといとも簡単に「お母さん大好き」な子供の自分に戻りそうになるので、自分がマニュピュレート(操作)されていないか、アドバイスを仰ぐのだ。


誤解しないでほしいのは、老親に優しくしないということではなく、彼女の存在によって私自身が自分の道を歩くのを阻害されないように気をつけているだけだという事だ。

実際マニュピュレーターの破壊力は半端ない!彼らは、自分の思い通りに周囲の人達をコントロールするためには、病気や怪我まで引寄せることもある。(信じられないかもしれないが、よくあることなのだ)

それによって、自分よりも親を優先させて生きなくては・・という、罪悪感や義務感を呼び起こされることが、いとも簡単に引き起こされる。

「自分自身の魂の声を聞いて生きる」・・そのためには、いつでもクリアにその声を聞ける自分にしておく必要がある。

マニュピュレーターの存在を認識し、いつでも自分の中には自分の声だけが響くようにしておくことは、本当にとても大切なのだ。


この世界には、いつだって自分自身の光を輝かせる場所と空間がある。

その時空に自分を置き、自分の創造性を駆使して生きる喜びを味わうのは、ここに生まれた私達の権利だ。

マニュピュレーターとは、それを阻む見えない壁のようなものをあなたの世界に作りだす。

自分自身が心から自分という存在を喜び、尊び、生き生きと過ごすことに何か淀みが起こっているときは、その見えない壁の存在に気づいてみてほしい。

そしてその壁を取り壊すことを自分に許可し、自分を阻むものを取り除くのだ。

あなたが本当にそれを望むならば、いつでもそれは可能なのだ。

私達は、いつでも望む人生を自由に生きてよいからだ。