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私には不思議なジンクスがある

私には不思議なジンクスがある・・と、うちの家族は信じている。

私が一週間ほど家を空けると(大抵の場合は、遠くに旅するとき)、何かしら出来事が起こるというのだ。

一番多いのは天災。地元に大きな地震が起こったり、水害が起きたり、というのは何度もあったし、私が日本にいない間に突然政権が変わる・・というのもあった。

日本だけではなくて、私の旅先にニアミスという距離で、大地震が起こったことも二回あった。(そのせいで家族はしなくてもいい心配をしたらしい)

それにプラスして、私が訪れた場所がすぐその後に何らかの災害に遭う、というのもしばしば起こる。

私自身は、そういう大災害には絶対遭わないという運勢をもっているらしい(ヒューマンデザインというものでそれがクリアに出ていた!)ので自分は何も不都合はないのだけれど、家族は私がどこか遠くへ出かけようとすると、「地震起こさないでよ!」と茶々を入れてくるようになってしまった(笑)


今回もまた、久しぶりの一人旅をしている間に安倍元総理の死というできごとが起きた。

実は、一回目に彼が急に総理を辞職したときも、私は日本にいなかった。帰りの飛行機の中でそれを知った。

いつも旅の間は私は自然の中にいて、社会から隔絶されたような空間の中にいることが多いので、旅を終えて現実世界に戻ってくると、出来事によって大きく世の中が変化してしまったような不思議な感覚になる。

多分、絶妙にそういう変化のタイミングに私は旅に出たくなるのだろうと、勝手に解釈している。そのタイミングは自分個人のものであったはずなのに、私の住む世界ともリンクするという不思議なのだろう。

大地震も政権交代も、日本を揺るがす事件も、ありがたいことに私はいつも、世間の人々の大荒れになる意識の波に飲み込まれることなく、自分自身の本来の感覚を研ぎ澄ませた場所で感じ見つめることができるようだ。

実は東日本大震災のときも、その10日後に私はスペインに旅行することになっていた。世間では旅行自粛などの流れが起きてはいたのだが、私は自分の直感に従いそのままの旅程で出発した。

ボランティアに行くのではなく、自分の為の海外旅行(実は母を連れていくために個人的にプラニングした旅行だった)に行くことにためらいがなかったというのは嘘になるけれど、行ってよかったと今でもそう思う。

スペインでは、私がまるで日本人の代表でもあるかのように、あちらこちらで日本を心配して祈ってくれる人々に声をかけられた。街かどで見かけるBBCでは、毎日メルトダウンという言葉のオンパレードだった。(日本のメディアではまだそれが声高には言われていなかったと記憶している)

日本を離れた地にいたことで、日本で起こった未曽有の災害を世界がどのように捉えているかを知り、そして遠い国の人々のために心から祈ってくれる人間の愛の深さに触れることができたことは、私にとってとても貴重な、私という人間の根幹に染み入るような体験となったと思っている。


安倍元総理の死にまつわるあれこれは、まだ私の中で消化中だ。なぜなら、今一番クローズアップされてきている旧統一教会の問題について、そしてその奥に潜む親子の問題については、私の人生においての大きな課題とリンクしているからだ。

かつて新興宗教というものに属したことがある身として、また毒親に関わる問題で自分の人生を自分自身から手放して生きてきた身として、深くじっくりと考えて書きたいことがたくさんある。

ひとつひとつ、向き合っていきたいと思う。