自分を証明したくなるというのは、ほとんどの場合、幼い頃の育てられ方に由来する。
「そのままのあなたで愛しているよ」と、たとえ口でそう言われなくても、無償の愛を親かそれに準ずる人から全身に浴びせられて育った人は、自分の価値を証明しなくてはと思う事はない。
ハングリー精神が素晴らしいなんて、それは随分古びた価値観だ。なぜなら、ハングリーというのは、無償の愛をもらえなかった人の「愛にお腹を空かせた状態」のことでしかないのだから。
人にとって辛いのは、愛されなかった自分を認めること、もしくは不十分な愛しかもらえなかった自分を受け入れること。
なので、条件付きならもらえた愛を、今でも受け取るために頑張り続ける。
でも、本当にそれが自分のほしいものなのだろうか?
がんばらなくてはもらえない愛しか、この世界には存在していないのだろうか?
認められなくては!(だれに?)という気持ちは、本当に欲しいものを得るための手段ではないかもしれないよ。
がんばっていない自分を愛してくれる人なんてこの世にいない・・と信じていること自体が、実は間違っているのかもしれないよ。
ずっと長い間自分で自分に覆いをかけてきた幻想という名のベールを外すと、自分を愛してくれている人、無条件でその愛を向けてくれている人に、きっと気が付くに違いない。
何より自分が、自分自身が、ずっとがんばってきた自分を愛しいと、そんなにがんばらなくてもいいよと、心から慈しんでいるのに気がつくよ。
未熟だった親たちに、自分の人生を捧げる必要なんてさらさらない。
誰かに認められるために、この大切な人生を捧げる必要なんて絶対ない。
自分が自分を慈しんで、そして触れ合う周りの人達とささやかな愛をわかちあい喜びあって、今幸せな気持ちに満たされることが「幸せ」なんだ。
それを恥じることなんて全くない。「今」が積み重なって未来ができあがる。
何かを成し遂げたから幸せになるのではない。多くの人に認められたから幸せなのではない。
幸せな「今」を積み重ねて生きることができたならば、「幸せだった!」と人生の終わりを迎えることがきっとできると思うんだよ。
多くの人に認められることを世界で成し遂げた人が、自分の人生を振り返って語っている言葉は、私たちへの気づきと示唆に満ちている。
*天才的な経営者でありイノベーターだったスティーブ・ジョブズが後継者のティム・クックに残した最後の言葉