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自分の中のブレに気付く

私には夢がある。それは夢というより、割と近い将来に現実化させる計画としてずっと心の中に温めてきてある。

自分の中ではもうそれが現実化しているかのような体感があるのに、その夢の実現に欠かせないパートナーとして夫の存在があり、現実化を阻む(?)不協和音的な何かがずっとそこに横たわっていた。

でも今日、ふいに閃いた。その不協和音は、夫の口を借りて出てきていた私自身の中にあった矛盾だった。私がまだ気づいていなかったそのことについて、ちゃんと(無意識的ではあるにしても)その計画の一部である夫が知らせてくれていたのだ。

私の夢というのは、夫一緒に世界一周することだ。随分前から思っていて、そのための資金とかも貯めていた。

しかし6年前くらいだったか、ふいにまだ来ない未来の為の貯金ではなくて、目の前にある必要なことにそれを使ったほうがよいというインスピレーションが来て、自分のためにはお金を使おうとしない夫に新車を買う後押しをするために貯金をはたいた。

今から思うと、私よりも使えるお金を持っていた夫に、そんなことをする必要はなかったのだけれど、その時の私は彼にそれを受け取ってほしかった。なので後悔をしているというわけではないのだけれど、後になってなぜそんなことをしたのか?と自分で謎だったのだ。

諸事情があって、その頃の貯金はまだ戻っていない。世界一周に行くための条件の一つとして、夫の退職もまだ成されていない。ただ夢物語を語るように、私が行くよ行くよと言うだけで、そんなお金どこにある?と夫に鼻で笑われる・・ということが繰り返されていた。

不協和音は、夫が行く場所を選んでいる(行きたくない場所がかなりある)ということに対する、私の抵抗というかざわつきのようなものだった。彼は、共産圏の国や東南アジアなどの(俗にいう)あまり清潔ではない場所には行きたくない・・という考えを持っていて、そのことに対して私は何か正義感のような公平さのような、彼のそういう考えをジャッジするような気持ちが浮かんできていたのだ。

世界一周なんだから、すべてのものを見なくてはならない・・多分、私の中には、知らぬうちにそういう「べき」が潜んでいたのだということに、ようやく気づいたというのが今日なのだ。

バックパッカーとして世界一周した人のブログを読み、色々と大変そうなことも多いな~と思っても、現地の人との触れ合いで心温まるストーリーを読んだりすると、そういうことをするのが世界を見るということだ!というような、どこかステレオタイプな世界一周が私のイメージの中にあったのかもしれない。

でもよくよく考えてみると、私はそういうのは苦手なのだ。特別高級でなくても、清潔で心地よい場所でないと眠るのが辛いのだ。山に登ったりキャンプをする人たちに憧れはあっても自分がしないのは、生理的にそれが苦手な自分のことを知っているからだ。

どこかでそういう自分をダメだと思っていたのかもしれない。また、世界一周するならば、美しいものだけではなく、「見るべきもの」を見なくてはならない・・とどこかで思っていたようだ。

「見るべきもの」なんて多分ないのだ。「見たいもの」を見ればよいのだ。意識しなくても「見る必要のあるもの」は、私の人生にちゃんと現れてくるから大丈夫なのだ。

そういうふうに理解が来た時、これまで夫が世界一周にあまり乗り気ではなく、私の言う事にいちいち茶々を入れてくるのは、私が私の本当に感じていることと一体化していないのを見抜いていた(もちろん無意識に!笑)からなのだとわかった。

夫と私とは全く正反対の性質を持つパートナーだと常々思っているのだけれど、実はそう思っているのは私の思い込みで、彼は私のリトマス試験紙みたいな存在なので、私が自分で青だと思っていたことを赤だと主張するからざわついていただけなのかもしれない。

これまでも、私が自分の本心に気が付いた途端に、反対していたことを賛成してくれるようになったことが度々あった。パートナーがツーカーの相手ではないと嘆いていたのは間違いで、実はものすごくありがたい存在なのかもしれない。ブレているのはいつでも私自身で、そのために彼が私の人生に現れてくれているのかもしれない。

改めて、私はどういう世界一周をしたいのか?と自分に問いかけた。

私が見たいのは、大自然。地球の鼓動を感じる、人の手が入っていない自然の中に佇むのが一番好きだ。(なので山登りに憧れるのだけれど、肉体的にあまり合っていなくてできていない)

歩いて登るのには限界があるので、車で登れる4000メートルを超えるハワイ島のマウナケア山のような場所が大好きだ。

旅行中の朝晩、目の前に風景が広がる心地よいベランダやデッキで、ゆっくり風に吹かれるのが好きだ。

過去世で多分自分がいた場所と繋がれるところ、そいういう場所なら、建物であっても感動する。(基本私は、建物や遺跡にはそこまで興味はない。)歴史ある建造物といっても、たかだか数百年、数千年じゃないか・・という、不遜な自分がいるのを知っている(笑)

そして人が多くて雑多な場所は苦手だ。苦しみの時代を彷彿とさせるような遺跡なども苦手だ。そこにいる美しい子ども達の目は大好きなのだけれど、それ以上に押し寄せてくる澱んだエネルギーの場所は苦しくて好まない。

そうか。そういうことか。夫は私の中にある矛盾に気が付いていて、だから私の夢を心から応援してはくれないし、乗り気ではなかったのか。


きょうは新月。何かを刷新してスタートするにはばっちりのタイミングだ(笑)もう一度、私が本当に望んでいる世界一周のプランをベースから構築し始めよう!

最近ちょくちょくやってくる、こういう小さな気づきを捕まえて、それを人生の軌道修正に使えるのはありがたい。あっという間にどこかへ行ってしまう気づきの切れ端を、しっかり捕まえて落とし込む作業に時間を使う事を惜しまないようにしよう。

長いひとり言でした(笑)お付き合い下さった方、ありがとうございました!