最適権力圏

果たして、国民国家というのは権力の範囲として適切なのだろうか。

国民国家という考え自体非常に恣意的に作られたものであり、範囲が先に固定され、その中に入る人々を民族として纏めたのだともいえ、そして国民国家による教育で、単一言語や共通の歴史が教えられることで、国民という意識が統合されたのだとも言えそう。つまり、国民国家というのは、ある意味で国力が一つのピークを迎えたときに形成されたものだと言え、その強い指導力をもとにして定められた範囲が国民国家の範囲となっているとも言える。

最初の指導者こそカリスマ的な指導力を持っているだろうから、国民の統合ということもできたかもしれないが、それに続く指導者たちが同じような指導力を持ちうるとは限らず、そうすると法などによって合法的に権力を強化して、初代の指導力を固定しようとする可能性がある。それ以外にも、インフォーマルな形で、例えば警察力への暗黙の介入であるとか、法規制の恣意的運用と言った手段で言うことを聞かせようとするかもしれない。そうなると、一度強化された国家権力は容易には緩まないので、傾向的に独裁方向へと向かうことになる。

社会というのは、指導者の認識や考えが安定することで初めて安定するのだと言える。そんな中で、最初の指導者の認識や考えが最低レベルとして定められる国民国家を安定させるには、必然的に権力を強化して社会の安定を求めざるを得なくなる。つまり、国民サイドからも社会の安定のために権力強化の志向が出やすくなると考えられる。いわば、指導力逓減の法則と、権力逓増の法則が働くと言えるのではないか。それが最も典型的に示されたのが、ドイツ帝国崩壊後に成立したヴァイマル共和政だと言える。民主的な憲法ができたものの、ドイツ帝国憲法よりも領邦の力が弱められ、中央集権化して、結局ご存知の通りナチスによる独裁制が成立し、第二次世界大戦へと突入することになった。帝政崩壊後に統一共和制ではなく、元の連邦制に戻っていたら一体どうだっただろうか。

それを考えると、国民国家の枠組みを固定的に考えるよりも、かつてのドイツやイタリアのように、皇帝(や教皇と言って良いものか)の下で、同一の民族意識を共有しながらも、独立性の強い都市国家が併立し、必要に応じて同盟関係などで関係を強化する、という方が、権力を限定的にしながら全体の安定性も保ちやすくなるのではないだろうか。

そのときに、最適権力圏というのがどれくらいか、ということだが、個人的には直接民主制を行うことができる範囲、というのが良いのではないかと考える。権力志向は代表者を選ぶというプロセスにおいて加速度的に強化される。だから、その権力強化過程を省き、意志決定を自らの手で行うようにすれば、権力というものが、仮にあっても最小限に抑えられ、それを無理に強化するという動きを起こす必要がなくなる。直接民主制にも様々な形態があろうが、一つの意志を定めないといけないときには多数決が導入されることになるかもしれない。その時の多数決において納得の意志決定がなされる範囲が最適権力圏と言えるのではないか。

このように、民主主義を直接民主制をベースに考え、最適権力圏で範囲を設定し直して、民主主義のリスタートを図るべきときなのかもしれない。

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