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何となく退屈な会話に欠けているもの


昔の同級生と会った時
昔の同僚や知人と会った時



なんとな〜く、つまんないな…
と感じたことはないだろうか?


せっかく会ったのに昔の話ばっか…
誰々が今何してるとか興味ないな…
そんなことを私は思ったりする。


いや、もしかしたら
友達との会話、妹との会話
家族との会話でも感じる時がある。


なんとな〜く
話したい事が話せてない感じ。


先日、昔の知り合いに会って
色んな話をした。


昔の話や、共通の知人の話
趣味の話や芸能人のゴシップなど…


たくさんの情報交換をして
たくさんの時間会話をした。


たくさん笑って
その人の環境の変化や
近況を知ることができた。


だけど、帰りの車の中で
一人ふと思った。


何だろう…
この満たされない感覚は…


何だろう… あの会話から
私が知りたかったことが
何一つ知れなかった感覚は…





そして気づいた!


あっ、そうか…
私は彼女の心が知りたかったんだ!
今、どんな心境なのかとか
どういう感情を感じてるのかとか。


状況や情報よりも
気持ちが知りたかったんだ!!!


私たちの会話に
唯一足りなかったものは「感情」
だったんだぁ…


そう思った。



事実確認や現状報告だらけの会話に
面白みや情緒を感じなかったのは



何を感じたとか、どう思ったとか
そういうものが抜けてたからだ…



彼女の本当の気持ちが知りたくて
心に触れたかったんだけど
そこに届かなくて私は悲しかったんだ。


あれがどーした、これがどーした
そこには「本当の気持ち」が抜けてて
ただの報告会みたいな時間だったの。


思考で会話してただけで
心で会話してないというかね。



人間関係は化学反応だと思っていて
ハートが閉じてる人を前にすると
私のハートも固くなることがある。


逆にハートが開いてる人を前にすると
私の心の扉も開き素直になれたりする。


私と彼女は鏡だから
きっと私も同じだったんだよね。


あの時の私は心を置き去りにして
上っ面だけの会話にテキトーに
相槌打ってただけなんじゃないかな?
そう思ったりもする。


感情がすっぽり抜けた会話に
私は面白味を感じないみたいだ。



感情がすっぽり抜けた文章だって
面白くないのかもしれない…
な〜んてnoteを毎日書いてる
私の身も引き締まる。


私は報告書を読むより
赤毛のアンを読みたい。



高校生の時、数学の授業中に
教科書で隠して赤毛のアンを
必死に読んでいたワケが分かった。


感性や感情や情緒や風景や
心でしか感じることのできない
豊かさを私は感じたかったんだ。


無味無臭の世界から
彩のある世界へ行きたかったのだ。


小説の世界だけでなく
私の世界にもそれが欲しい!
今の私はそう思う。


もっと心が潤うような
心が繋がるような、心満ちるような
そんな感覚をいつも感じていたい。


人と心で繋がりたい。


そして、それはきっと
私が私と繋がることが先なんだろうね。


改めてそう思った。


その時、私の目の前には
どんな人が現れるのだろうか?







最近話題のペンキ画家のショーゲンさんが
アフリカのブンジュ村の子供に言われた
セリフを思い出す。


ショーゲンの会話は
昨日何をしたとか、今日は何をするとか
作業の話ばっかりで


どう感じたとか
どう思ったとかが抜けているよ。


話をしてても面白くないから
それができるようになるまで
ショーゲンとは話さない!



そう子供たちに言われたと
どっかのyoutubeで言っていた。


その時、あ〜分かるぅ〜
私もそういう奴と話すのつまんないわ〜
って思ったんだけど


いやいや、これって
自分のことなのか…
とは気づかなかった。笑


きっとね
先日会った彼女も
私がツマラナイと言う同級生も


自分の感情が分からなくて
本音が分からないからこそ


状況報告するしかなくなってる
と思うんだよね。


みんな自分の本当の気持ちが
分からないんだと思うんだ。


それだけ
自分とのコミュニケーションが
足りてないの。


自分の心と繋がれないの。


だけど豊さや面白さって
ここにしかないんだよね。


さて、今日も心の声に
耳を澄まして生きるとしますか。


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