157.ソウルコーチへの道 ep.29 『モモ』!
「小さなモモにできたこと、それはほかでもありません、あいての話を聞くことでした」
ZOOMの画面ごしに、友だちが見せてくれたページの言葉を見て、
(ええっ 『モモ』って、傾聴の本だったの!?)
思わず、画面にかぶりついた。
友だちが見せてくれたのは、去年の8月にNHKで4回に分けてレクチャーされていた番組のテキストで、ミヒャエル・エンデの『モモ』を、臨床心理学者の先生が紐解いている。
『モモ』は、小学生のころに図書館で手にした記憶があり、本の色も厚みも表紙の色も思い出せるのに、ストーリーを覚えていない。よくわからなかったのだと思う。
「今ならわかるかもしれないから、図書館で読んでみる!」と言った私に、友だちが、
「いや、私たちには、この本が、いいのだと思う!」
と断言するので、さっそくアマゾンで購入した。
去年のNHK番組のテキストが、今も新刊で買えることに驚く。
本はすぐに届き、さっそく読んでみたところ……
〈この本が、いいのだ〉
と言ってくれた友達に、感謝した。
臨床心理学者の河合敏雄先生の解説と、原文の引用箇所は、まさに、まるごと「ソウルコーチング」だと感じたからだ。
たとえば、「傾聴」について。
モモがどんなふうだったかについての描写が、転載されている。
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小さなモモにできたこと、それはほかでもありません、あいての話を聞くことでした。
(2章 めずらしい性質とめずらしくもないけんか)
モモに話を聞いてもらっていると、ばかな人にもきゅうにまともな考えがうかんできます。モモがそういう考えを引き出すようなことを言ったり質問したりした、というわけではないのです。彼女はただじっとすわって、注意ぶかく聞いているだけです。
(2章 めずらしい性質とめずらしくもないけんか)
モモに話をきいてもらっていると、どうしてよいかわからずに思いまよっていた人は、きゅうにじぶんの意志がはっきりしてきます。ひっこみじあんの人には、急に目のまえがひらけ、勇気が出てきます。不幸な人、なやみのある人には、希望と明るさが湧いてきます。
(2章 めずらしい性質とめずらしくもないけんか)
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読んだ瞬間、これらの描写が、ソウルコーチングのセッションで、自分が実際に体験したことだとわかる。
ジャッジせず、まるごと自分を承認してくれ、受け止めてくれる人の前で、自分の口から飛び出してくることが、誰かのではなく、自分にとっての、深い場所にある真実だということ。
小学生の私は、
〈モモがどのように、人の話を聴いていたか〉
〈モモに話を聴いてもらっている人たちが、どうしてそのように変化するのか〉
〈ファンタジーの世界の魔法の描写ではない〉
ということは、わかっていなかったと思う。
大人になっていても、ソウルコーチングを学んでいなければ、わからなかったと思う。
今、このタイミングで『モモ』に出逢えたこと。
物語そのものではなく、
〈この本が、いいのだ〉
と断言してくれた友達に、心の底から感謝したいと思った。
冒頭で、河合敏雄先生が、「100分de名著」で『モモ』を論じるにあたって意図したことを書かれているので、その部分を引用すると、
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〈解釈することのおもしろさと、物語としてのおもしろさの両方に注目したいと考えています〉
〈物語のおもしろさといってもさまざまです。どんどん先が読みたくなるエンタテイメント的なおもしろさもあれば、意味を知ることによってわかるおもしろさもある〉
〈『モモ』には、ファンタジーの描き出すこころの真相と現実、こころの深い層と、現代のこころのあり方の対立が観られるからです〉
〈現代において、こころの深い層に関わるとはどういうことかをこの作品は考えさせてくれます〉
〈『モモ』には「主体が起ち上がる」というテーマが描かれている〉
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これらの着眼点により、いざなわれていくテキストを読むことは、私にとって、
「クライアント」として、「コーチ」として、「ウィットネス」として、深いセッションを受けている体験だった。また、
〈なぜ、モモは話が聞けたのか〉
という章には、「傾聴」の秘密に迫る、佐藤先生の解説が添えられている。
テキストの21ページから24ページに書かれた内容は、「ソウルコーチ養成コース0期」で、綜海さんから教えていただいたことと、深く共鳴した。
今、私の心には、
〈ソウルコーチとして、モモのようにあり続けるために必要だと感じること〉
が、灯っている。
この灯りを、これから、もっと強く、大きく、豊かにしていく。
***
『モモ』の物語の、もう一つのテーマは「時間」だ。
今、「ソウルコーチ」に関することで使っている時間は、セッション、レポート作成、告知の投稿、講座の復習、メッセンジャーでのやりとり、SNSの閲覧など、かなりの時間になる。
モニターセッションが始まってからは、期限が決まっていることもあり、かなり強硬的に爆走していると、自分でも思う。
〈その時間を作るために、引き換えに置き去りにしているもの〉
の中に、とりかえしがつかなくなるものはないだろうか? という恐れと、不安と、罪悪感が、心のどこかに点滅している。
だから、はっとした。
「時間泥棒」が、豊かな生活を送っている人々に、功名なセリフで持ちかける、
〈時間を倹約して時間銀行に貯蓄するため〉
の手口の数々は、私が時間を作るときにやっていることと、同じだと気づいたから。
『モモ』の物語の中で、時間を盗まれていることに気づかず、疲弊して、豊かさを失っていく人々。
(そうならないように)
『モモ』のメッセージが、訪れてくれた。
***
物語の中で、モモは「時間の源」を観に行く。
それは、とても荘厳で美しい。
ひとりひとり、違うのだそうだ。
それぞれに美しい、「時間の源」
〈時間とは、「いのち」である〉
〈「時間の源」とは、人間の豊かさの源泉であると考えられる〉
と、河合俊夫先生はテキストに書かれている。
「グラウンディング」は、モモが観に行った「時間の源」への旅ではないかと、感じている。
グラウンディングで、源にふれることができるから、疲弊せず、豊かさに満ちることができる。
〈なぜ、モモは話が聞けたのか〉という秘密も、ここにつながっている。
私にとっての源は、深い森の中にある、月のしずくが落ちたような湖。
いつのまにか、温泉になっていて、森の動物や人間が入ってくるようになっていた湖。
私のソウルコーチングセッションは、旅する絵描き 白澤裕子さんに描いていただいたイメージイラストのように、クライアントさんといっしょに、温泉に入っているのだと、セッションのたびに実感している。
私の泉質と、クライアントさんの泉質が混じり合い、湯めぐりをしているような、そんな体感に包まれるから。
グラウンディングで、ご自身の「時間の源泉」を、体感しませんか?
そこから起ち上ってくる魂の声を、聴いてみませんか?
「温泉に入ろう。温泉から出よう。じぶん温泉かけ流し」
浜田えみな
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