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ウズベキスタン旅行記②~出発〜ヒヴァヘ~

シルクロード交易で栄えた世界遺産都市がいくつもあるウズベキスタンは、北側にカザフスタン、南側にトルクメニスタンとアフガニスタン、東側はキルギスタンとタジキスタンに囲まれる、いわゆる「スタン」系の国。イスラム教国ではあるけれど、かなりゆるめらしい。アフガニスタンのせいか、スタンとつくだけで危険なのでは?と思われがちだけど、実際はかなり安全な国である。2018年からビザなしで入国できるようになり、海外旅行先として人気急上昇で、特に日本からの観光客が増えているそう。実際、私たちが乗ったタシケント行きの便も複数のツアー団体で満席だった。

私たちの初日の旅行プランは、まず日本から直行便でタシケントに飛んだ後に国内線に乗り換えてウズベキスタン西部にあるウルゲンチ空港へ移動し、そこから宿のお迎えで30分ほど離れたヒヴァの宿に行くというもの。主に移動のみの日だ。でも今思い返せば、この日が一番ハラハラした1日だった・・・。

冬季以外は週に2回も直行便が飛んでいるウズベキスタン航空。出発は午前11:05の便だった。ブルーの尾翼に黄色い丸、その中に緑色で鳥のようなデザインが描かれていて、色鮮やか。行きは9時間半くらいで成田からタシケントまで行ける。機内食はこんな感じ。備え付けの調味料もパッケージが可愛い。

日本とウズベキスタンの時差は4時間。午後16:30過ぎにタシケントに到着した。入国審査などはあっさり終わり、荷物受け取り口へ。機内はもちろんだけど、タシケント空港には無料wifiが飛んでいなかった。

wifiの欠如=インターネットが繋がっていない状態。

普段インターネットなしには一切の仕事ができない生活を送り、旅行中も時間を減らして仕事を継続する予定だった私には、wifiの欠如は不安の種でしかなかった。空港にwifiがないなんて先行き心配!しかも、これでは今夜の宿の正確な住所を聞いたメッセージの返信が受け取れないじゃないか。いやでも、宿の人に迎えを頼んでいるんだから、住所は要らないはずだけど、初めての土地だし念には念を押したかった。普段からギリギリにならないと行動に移せない己の性質を呪った。そういうメッセージは旅行前日にするものではないのだ。

空港の到着ロビーがあっさりしていて、国内便への乗り換え表記がないので、職員に聞いてみると、拙い英語で「このビルを出て右に行けばいいんだよ」と言われる。荷物を手にしてTちゃんと建物の外に出たが、右側の方に国内線の出発ターミナルは見えなかった。「?」と思った次の瞬間に出口付近にいたおじさんが声をかけてきた。

「乗り換えか?国内便の空港は5、6キロ離れていてタクシーでないと行けないぞ!乗るか?」

タクシーの運転手だった。いくら?と聞くと10ドルだという。ちなみにこれは相当なぼったくり価格である。本来は1、2ドルで行けるはずだ。ガイドブックや知人の話でタクシーはボラれるという前情報は得ていたので、早速値段交渉をしてみた。

「2ドルでどう?」

おじさんは呆れ顔で笑い、首を横に振った。あり得ない、といった態度だ。じゃあいいよ、とおじさんの声を背に先へ進んだ。空港は、建物から2、30メートル離れた場所が柵で囲まれており、内側と外側をつなぐゲートでパスポートを見せないと通り抜けできないようになっていた。とりあえず国内線ターミナルがそんなに離れた場所にあることをタクシーの運ちゃんに言われるまで知らなかった自分にゾッとした。そんなことガイドブックに書いてなかった(涙)。ゲートを出ると、今度は5、6人もタクシーの運転手に囲まれた。ゲートの周りはタクシーの運転手だらけである。そしてこれらの白タクは市内より高値をふっかけてくるので、絶対相手にしてはいけないのだけど、約10時間のフライトの後だったし、ウルゲンチ行きの便は19:00発で時間もそんなになかったしで、焦ってしまった。頑張って慣れない値段交渉するも、強気のおっさんたちに根負けして、結局6ドルで手を打った。ちくしょう。おっさんは国内線ターミナルに着く最後の最後まで、あと5ドル搾り取ろうと粘ってきたため、Tちゃんのテンションは駄々下がりだった。

国内線ターミナルも再びゲートでパスポートを見せ、荷物をスキャンしてから内側に入れてもらう。こちらもまた中はあっさりしていてチェックインを済ませて、すぐ中に入れた。荷物チェックもテキトーだ。ここでの後悔は中に入る前に、持ってきたドルをウズベキスタンの通貨スムに両替しなかったこと。搭乗口側はとても質素で、待合所のように座席が広く並んでいるだけで、両替所はないし、唯一あったカフェはクレジットカードが使えなかったので、何もすることができなった。もちろんwifiもない。言葉もあまり通じないため不安感が募ったけれど、予定通りのウルゲンチ行きに乗れたのがせめてもの救いだった。

ウルゲンチ国際空港に着いたのは夜20:30。今度は迎えの人が来ているからタクシーの交渉をしなくて良いと思うと、心底気が楽だった。タシケント空港と同じように空港外のゲートを出ると、私の名前を書いた札を持って立っている青年がいたので、タクシーの運転手の群れをすり抜けて彼の元へ行った。

「ハロー!」と満面の笑みで私たちを迎えてくれた青年は、ホゥダシュクと名乗った。とても感じがいい人でホッとした。早速、車のトランクにスーツケースを入れてもらい、車に乗り込んだ。これでやっと宿まで連れてってもらえる・・・やっと足を伸ばして横になれる・・・あと少しだ・・・。と気が緩み始めていたところで、本日最大のジャブを食らった。

「で、どこに連れていけばいいんだっけ?」


え・・・

まじで・・・


行き先知らないの!!!!!?????


「実は僕らは3つほどホテルを経営しているから、どれだかわからないんだよ〜」

衝撃だ、衝撃の展開すぎる。しかも、こんな時に限って住所を控えていなかった(涙)。実は旅行費をできるだけ安く抑えたかったので、宿泊先は観光ガイドに載っているようなちゃんとしたホテルではなく、AirbnbやBooking.comで予約したゲストハウスばかりだったのだ。ヒヴァで泊まるのはairbnbで、現地の人の家に泊まれるスタイルだった。4ドルで空港まで迎えに行きますって書いてあったんだけど、なんでこの人は行き先を知らずにここへ来たんだろう・・・。

軽くパニックだったけど、とりあえずwifiがあるところに行かないと住所を確認できないと伝えると、空港からまっすぐ続く大通り沿いにある、おそらく彼らのもう一つのホテルに寄ってくれた。ロビーでwifiをつなぎ、住所を見せるとすぐ分かってくれたので、ひとまず一件落着。車に戻り、ヒヴァヘ向かってくれた。車内ではトルコ人の人気シンガーTarkanの音楽が流れていた。ホゥダシュクが英語ができる人で本当に助かった。

ヒヴァに着くとホゥダシュクは宿に連れて行く前に、イチャンカラ内のカルタミノルのライトアップを見せてくれた。

幻想的。いきなりの異世界感だ。

やっとのことで宿に着いて、部屋に荷物を置き、内部を案内してもらった。どこの部屋も絨毯が敷き詰められ、壁紙も布団カバーもそれぞれ異なる柄の柄物で目がチカチカする。家は変わった作りになっていた。まず玄関で靴を脱ぎ、小さな階段を上がって左へ曲がると、4部屋分のドアがあった。そのうち1つが私たちの部屋なのだが、なんとバスルームは隣の部屋(しかも住民が使う)を通り抜けて、さらにガレージのような部屋を通ったその奥にあった。一方、玄関を入ってまっすぐ進むと、奥は住民が使う居間スペースになっていてTVがついている。さらにドアを通って奥に進むと中庭に出た。庭の真ん中には金網で囲まれた大きな檻があり、中には孔雀のつがいがいた。ホゥダシュクはこれを見せたかったようだ。半年前に買ったばかりなのだが、鳴き声が結構うるさくてちょっと困っているんだ、と笑っていた。孔雀の方も幸せそうではなく、かわいそうだなと思った。

ホゥダシュクに送迎料金を支払ってから、居間に落ち着いた。はらぺこだった。宿のおばちゃんはまずティーポットに入れた紅茶を持ってきてくれた後、軽食を用意してくれた。ウズベキスタン最初の郷土料理は、グンマと呼ばれる揚げパンのようなものと、シュヴィト・オシュという香草を練りこんだホレズム地方の麺類。とっても美味しくて、一気に緊張がほころんだ。

腹が落ち着いたところで、長いテーブルの反対側に座っていたヨーロッパ系のカップルと話してみると、なんと同じ飛行機に乗っていたというポーランド人だった!こんな世界のへき地でポーランド人に会うとか、自分の引きの強さに笑ってしまう。彼らはとてもフレンドリーで話しやすくて、やっぱポーランド人て好きだなと思った。

この夜は、移動のみのたった1日で受けたあまりに多くの印象を抱いて眠った。


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